2部3章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。日常変化の兆し 1
響き渡った鋭い声に。
びくんっ!と、オレたち三人は、揃って身を震わせた。
三人の指先は、水面に達してはいない。あと、ほんのちょっと、というところだ。
声の聞こえたほうから、草を踏みしめる足音が聞こえてくる。多分、こちらに存在を示すためにわざと鳴らしているのだろうというほどに、大きな足音だ。
「その光っているの、全部、アルキチスという毒虫よ。強い麻痺毒を持っていて、常に体表から粘液を出しているの。その粘液が混ざった水は、こうして、虹色に光り輝く」
声を発しながら近づいてくるのは、わざと存在感を示すためか。
こちらに警戒されることを少しでも避けるためか。
わからない。
わからないが……。
オレはすぐ真横にしゃがんでいるシルキアを背中で隠すように位置をずらしつつ、音のするほうへと身体を向ける。
危険人物かそうでないかで言えば、今のところ、そうではないかもしれない。だってもしも危険人物だとしたら、何かしら悪意ある企みがあるのなら、こちら側に気取られないよう存在を殺して近づいてくるだろうから。
とはいえ、警戒しないわけもないが。
いたのは、二人。
黒の、甲冑とドレスを合わせた作りの、華美と武骨を絶妙に組み合わせたようなものを着ている。性別は……外見からは判断がつかない。まあ、この状況、性別なんてどうでもいいけれど。男だから大丈夫、女だから安心、そんなことは微塵もないのだから。
……後ろの人、でっかいな。百八十、いや、百九十とかあったりして。
目測では、正確な数値はわからない。
いや、それもどうだっていいことだ。
とにかく大きい……自分なんかよりも遥かに大柄だという事実だけで充分。
大柄だということは、それだけ力が強く、危険という事実だけで。
恐怖。
不安。
心配。
そういった感情に挫けないよう、オレは意識して警戒心を高める。
シルキアとナーナは守ってみせる。
何がどうなったとしても。
シルキアだけは、守ってみせる。
前を歩く人が、足を止めた。
後ろにいる人は、前にいる人の横ではなく、斜め後ろに止まった。
オレたちとは十メートルほどの距離がある。こちらを少しでも安心させるためか、もしくは向こうは向こうで、警戒しているのか。子どもだって、乳飲み子ほどの幼さでもなければ、身勝手に、無邪気に、他者に害を加えるものだ。
……剣に、槍。っていうか、あの槍、何なんだよ⁉
前に立つ人は、両腰に剣を一本ずつ提げていて。
後ろの人は、右手に、長い槍を持っている。地面に対し真っ直ぐ縦に伸びているその凶器は……鈍色の矛先は、所有者の頭を遥かに超えている。一体どれほどの長さなのか。
……何かっ、何かオレもっ、武器を!
相手に見えないように。
右手を背後に回し、妹との間の地面を叩いて撫でて探る。
少し頼りないけれど、触れたなかで一番大きな石を掴んでおく。
「警戒する気持ちはわかるわ。でも、私たちは何もする気はないから」
喋ったのは、前にいる人のほう。
もしも男だとしたら、線が細く高音だな~と思う声質だ。
だからといって、警戒心が揺らぐことはない。
警戒しないでと言われて素直に警戒心を解くことだってできるわけがない。
人間には悪意がある。
コテキから逃げる最中、悪人どもに襲われたときは、ディパルさんに助けてもらえた。
でも、あれは本当に幸運だっただけ。
今も。
これからも。
窮地にあって、誰かが必ず助けてくれるわけではない。
自分は自分で守らなければ。
大切なものは、自分で守らなければ。
「……アナタたち、ストラクの子どもよね?」
喋りかけてきたのは、再び、前に立つ人。
横に並ばない立ち方からして、もしかすると二人には明確な上下関係があるのかもしれない。だから、後ろに立つ人は勝手に話すことができない……みたいな。
そんなことも、まあ、この状況に置いてはどうでもいいこととして。
「そうですけれど」
オレは素直に真実で答えた。
この辺りにはストラクしか町村はないのだ。嘘を吐いても、まず、意味もない。向こうだって、尋ねはしたけれど腹の内では確信しているだろうし。
「よかった。あのね、じゃあ、お願いしたいことがあるの」
「……お願い?」
「セオ。セオ=ディパルという人が、村にはいるでしょう? 連れて来て欲しいの。あぁ、いえ、そうね……カゲツとレイが会いたいと言っている、だからこの森の……そうね、この泉まで来て欲しいと言っている。そう、伝えてもらえないかしら」
「セオ、ディパル……えっ?」
オレは信じられなくてバカみたいに反芻してしまったが、やはり聞き間違いでもない。
この人たちは、ディパルさんの知り合いなのか?
わざわざ会いに、ここまで?
だったら、悲しいことだけれど、それは叶わない。
ディパルさんの知り合いなら善人だろうし、正直に伝えても……いや、待て。
この人たちを。
村で。
見かけたか?
ここしばらくの、村に訪れた部外者について、思い出す。
いない。
そんなものは、いない!
警戒心が一層、高まった。
「村に、来てないですよね?」
オレは石を握り直す。
いつでも投げつけられるように。
「え? ええ、行っていないわ」
「どうしてですか? 人に頼まなくても、自分たちで村に来ればいいじゃないですか」
言いながら、目を逸らさず、オレはゆっくりと立ち上がった。
チラと素早く、ナーナに目配せ。
目が合ったカノジョは、察してくれたらしく、立ち上がった。
ナーナに促されて、シルキアも立つ。
「ああ、なるほど。そうね。キミの言う通り、私たちの行動は怪しいか」
前に立つ人の口元が、微笑を浮かべる。
「…………」
オレは睨むことで返事とした。
「……わかった。私たちは、ここを離れるわ。でも明日からしばらく、私たちはここで野営をするから。もしよかったら、さっき伝えたこと、セオに伝えて。どうか、お願いします」
そう言って、腰を深く折った。
頭を下げたのだ。
オレたちみたいな、ただの子どもに。
ぐらり。
心の内が、揺らいだ。
ああも頭を下げるだなんて、よほどのことではないのか。
あの人たちは、とても、誠実なのではないか。
……いや、そんなことはない。
だって、そうだろ。
おかしいじゃないか。
どうしてここで野営をする?
ディパルさんに会いに来たのなら、村まで来ればいいのに。
普通の人なら、そうする。会いたい人がいるところへ、自分も行くはずだ。
でも、この人たちはそうしない。
明らかに、変だ。
姿勢を正したその人が、笑顔を浮かべ、振り返り、歩き出した。
後ろに立つ人は、ぴくりとも笑うこともなく、その人について行く。
その姿は、やがて、木々の奥へと消えた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁあ」
気が緩み、自然と大きな息が漏れる。
いつの間にか、シャツがベタベタだ。ドッと汗が噴き出している。
「あの人たち、何者だろね」
「怪しいよ。とりあえず、もう離れよう。戻ってくるかもしれないし、もしかしたら、いなくなったフリをしてて、どこかでこっちを見てるかも」
額から流れた汗を
「わかった。あ、でも、薬草が」
「あの人たちがいなくなった方向は避けて帰るし、となると自然と来た道とは違うところを行くことになるから、道中で見つかればいいね。でも、見つからなかったとしても、しょうがないよ。オレたちが……殺されちゃったら、一番、よくないし」
「こっ!」ナーナの目が真ん丸になった。
そこまでの危険は、考えてもいなかったらしい。
「ほら、行こう。早く早く」
「わかった。シルキアちゃん、手ぇ繋ごっ」
「うん」と頷いて、差し出された手を握るシルキア。
オレたち三人は、急いでここから離れるため、馬のほうへと駆け出した。
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