2部2章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。大体いつも同じ一日 7
日替わりで務めることになっている門番。
今日の担当は、アンライさんだった。村人から依頼を受けて家具を手製したり、家屋の損傷を直したり、森で木を伐採し材木を作ったりすることが本来の仕事であるため、そのこんがりと日に焼けた両腕はそれこそ丸太のように太い。上腕なんて、もっこりしている。逞しく力強い風貌。けれど、五十後半らしい年齢――らしい、と曖昧な言い方しかできないのは、当の本人も誕生日を何回迎えたのか、すっぱり忘れてしまっているようだから――の肉体は、相応に、損耗もしている。膝がダメになっているのだ。走ることができないほどに。
だから、アンライさんは、ディパルさんの死を前に、村の男性の中で誰よりも大泣きしていた。カレは、力自慢なところがあるから。実際、この村で最も腕力があるのは、アンライさんだ。誰もが認めている。本人にも、自負があった。
それでも、ブゼルデスに攫われた子どもたちの救出に対し、役立たずだった。
機敏に動けない足では、どれだけ腕力に自信があっても、助けには迎えなかったのだ。
悔しかったのだろう。
流した涙は、それが原因だ。
腕力自慢の自分が、何もできなかった。
無力感は、相当なものだったに違いない。
……まあ、すべてオレの憶測なわけだが。
「おはようございまぁ~す!」
ナーナに続いて、オレとシルキアも挨拶する。
丸太を適当に輪切りにしただけの椅子に腰かけているアンライさんが、オレたちに向かってそのぶっとい右腕を挙げた。黒々とした腋毛に濃厚な男を感じ、オレも将来ああなるのかな~なんて、どうでもいいことがふと思い浮かぶ。
「お~う、ガキんちょども~。どうした? そんな本なんて抱えてよぉ」
「森に行ってくるんだよ」
説明は、よほどのことがない限り、一人が担当したほうがいい。誰もが喋り出したら聞き手がややこしくなってしまうから。今は自然と、ナーナがする形となった。
「森ぃ? 何しに行くんだ」
スッと、アンライさんの目が細くなる。
オレたち子どもが勝手に抜け出すのであれば、ここで止めるのがカレの役目だから。
「アクセルくんとシルキアちゃんがお世話してくれてる鶏、一羽、病気かもしれなくて。薬草を探しに行くの。村長の許可はもらってるよ~ん。ねっ?」
ナーナがこっちを向いて、パチンとウィンクをしてきた。
同意を求められ、オレは「はい」と力強く頷く。
「あのねあのねっ、緑色のウンチしちゃったんだよ~。あと、吐いちゃったのぉ」
シルキアの発言は、アクセルさんに向けたものだ。
「ほぉ、病気なら大変だなぁ。鶏がダメになったら、卵も食えなくなっちまう。貴重な栄養源がなくなっちまうのは、大きすぎる損失だ。でも、本当に村長は許したのか? お前たちだけで行くことを。大人は、誰か、ついていかないのか?」
半信、半疑。
鶏が病気というのは、間違いなく信じている。そんな嘘を吐いてまで村から出て行こうなんて企むほどオレたち三人が愚かなクソガキでないことはわかっているからだ。
とはいえ、子どもたちだけで行くという点に、アンライさんは引っ掛かっている。
注意深い人であれば、当然、そう思うだろう。
つい最近、子どもたちがクソ蟲に攫われる悲劇があったばかりなのだから。
「うん、あたしたちだけだよ」
ナーナは、オドオドせず、きっぱりと返した。
この流れでは、最適な態度だ。もしここで狼狽えれば、子どもたちで行くという部分についてはやましいことがあるんだな?と、アンライさんに思わせてしまうから。
「……まあ、この村はいつだって人手不足だ。大人たちも手が回らない、か」
ここ【ストラク】は小さな村だ。暮らす人間の数も少ない。
しかし、少ないからといって、楽ではない。
むしろ大人たちはみんな、一人でいくつもの仕事をやらなければならないくらい、村の運営はギリギリのところで回っている。誰かがサボれば、運営が滞る――助け合いの輪が上手く回らなくなり、生活に支障をきたしてしまうほどに。
「心配ならさ、アンライさん、一緒に来る?」
「……いいや、この足だと、いざ何かあって逃げるとなっても、かえってお前たちのお荷物になっちまう。わかった。村長が許可した、それを信じるとしよう」
パンッと、アンライさんは大きな掌で太腿を叩いた。
「じゃあさ、馬、乗っていきたいから。厩舎、開けてもらえる?」
「おう」と頷いたアンライさんが、よっこらせと立ち上がった。
足の悪いアンライさんの、ひょっこひょっことした歩調は、極めて遅い。
だからオレたち若者三人は、ちゃっちゃかと、すぐそこの厩舎まで先に向かう。
厩舎には、全部で四頭の馬がいる。そのうちの一頭が、こちらを見ていた。
灰色の毛並みが美しいその馬は、ディパルさんの愛馬だ。
……オレたちのこと、ちゃんとわかってるのかな。
馬は獣の中でも高い知能を持っていると、グレンさんが言っていたような気がする。
……でも、栗毛のヤツは、こっち、まったく見てないんだよなぁ。
オレとシルキアがこのストラクまで乗ってきたあの子。
とても乗りやすく、気性も穏やかだったけれど、知能は低いほうなのだろうか。
それとも、ただ、オレたち兄妹のことを主だなんて認めていないか。
まあ、認めてくれていようがくれていなかろうが、乗せてくれるのなら感謝だな。
――ぶるるるるるるぅう。
傍まで来ると、灰馬が鳴いて出迎えてくれた。
ナーナが右手を差し出すと、その手に灰の毛を押し付けてくる。その動きはとても優しげというか、こちらと意思疎通を図ろうとするものに感じられた。この子は絶対に優秀だ。
「馬ぁ、一頭か? 二頭か?」
「二頭っ。え、二頭で行くよね?」
アンライさんに即答したナーナが、確認のためオレに顔を向けた。
「うん。さすがに三人は乗れないよ。可哀想」
「だね。じゃあ、灰毛の子と、アクセルくんの馬でイイよね?」
「ん」オレの馬って言っていいのかな? 買ったのはディパルさんだし、栗毛もカノジョの財産なわけだが。なんてことを思ったけれど、今する問答でもない。「イイよ」
アンライさんが、首から提げていた鍵を使って、厩舎を封じる柵を開いた。
「自分たちで連れ出せるな?」
「もちっ。あたしが連れてくるから、二人は待っててねぇ」
「ありがと」
「ありがとぉ!」
「シルキア、少し後ろ下がってよ」
「んっ」
オレたち兄妹は、厩舎から五メートルほど離れた。
ナーナが、厩舎の中へと入る。
四頭はそれぞれ、厩舎そのものの柱に、鞍から伸びた革紐で繋がれている。
ナーナはまず、灰馬の革紐を外した。手綱を持って、外に連れてくる。
それまで抱きかかえるようにして持っていた本を左手だけで持ち、空けた右手をナーナに差し出す。オレは手綱を受け取った。
厩舎に戻っていくナーナ。
オレは灰馬を見上げ、「よろしくね」と挨拶する。
灰馬は小さく鳴きながら、オレの頭に鼻を当ててきた。押される!と感じることもまったくない、絶妙な力加減だった。獣がやれるものとは思えないほどの、配慮。
この子はやっぱり優秀なんだ。
……ディパルさんが亡くなったこと、どう思ってるのかな。
死、という概念が、馬にもわかるのだろうか。
仮にわかるとして。
じゃあ、この子は主のいなくなったこれから先のことを、どう考えているのだろう。
馬も自らの将来のこととか、思案するのだろうか。
主を失った今、この子は誰を己の主だと思っているのだろうか。
わからない。
わかるはずも、ない。
ナーナが栗毛を連れて戻ってきた。
栗毛は、灰馬と違って、鼻息荒くしながら頭を右に左にと落ち着きなく振っている。
「ナーナ。オレがそっちに乗るから、シルキアとこっちに乗って」
「え、いいの?」
「いいよ。その子のほうが訓練になるし」
先のことを考えたとき。
気性の荒い馬に慣れておいたほうがいいだろう。今のうちに乗馬能力を高めておくことは、今後、生き残っていくために必ず役立つはずだから。
「シルキアちゃんも、あたしでいいの?」
「いいよっ!」
「じゃあ、それでいこっか」
オレとナーナは、お互いの持っている手綱を交換する。
ナーナがシルキアを抱えて灰馬の鞍に乗せた。
「あ、本っ。シルキアが持ったほうがいいかなぁ」
オレが持っていないほうがいいことは間違いない。
この栗毛を操るのは両手でないと厳しいから。
「そうかな。うん。そうしよっか。シルキアちゃん、本、お願いしていい?」
「はぁい」
オレは本を馬上の妹に差し出す。
受け取ったシルキアは、大事そうに両手で抱きかかえた。
「よっこいしょっとお」
ナーナが軽快に灰馬の鞍に上がる。
シルキアがナーナの胸に凭れかかった。大きな胸は、妹からすれば、後頭部を守る最高の緩衝材になるだろう。感触はどんなものだろうか……いや、考えてはいけない……。
オレは栗毛が少し落ち着いたところを見計らって、鞍に跨った。
煩わしそうに、馬がぶるぶると鳴き、頭を振る。
「ナーナ、先、行って」
「ほいよぉ。シルキアちゃん、しっかり凭れかかっててねぇ」
「はぁい。おっぱいおっぱい~」
「ははは。おっぱいおっぱぁ~い」
「…………」
オレはもちろん、無言。
「じゃあ、アンライさん。行ってくるねぇ」
柵を閉じ、錠前に鍵をかけたアンライさんが、ぶっとい右腕を軽く挙げる。
「おう、気ぃ付けろよ。何かあったら、すぐにその場から離れるんだぞ」
「はぁ~い」
「行ってきます」
「行ってきまぁ~すぅ」
ナーナに続いてオレたち兄妹も、ちゃんと行ってきますを告げた。
行ってきますは、大事な言葉だから。
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