2部2章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。大体いつも同じ一日 5

 村役場で忙しく書類整理をしていた村長さんは、オレたち兄妹が鶏を連れて顔を出すと、老眼のせいなのか書類の内容のせいなのかその両方なのか険しくしていた目つきを柔和なものにし、温かい笑顔で迎えてくれた。

 顔中に刻まれた深い皺と、八十近い年齢の割にこんがりと日焼けした肌と、老齢だからこその人生経験豊富な者独特の雰囲気のせいで、厳めしい人柄だと思っていた。でも、この村の人たちの中では、ハーナさん、ナーナを除いて、一番最初にオレたち兄妹を優しく迎えてくれたのが、村長さんだ。村長さんが受け入れてくれたからこそ、ほかの人たちも許容してくれたと言っていいだろう。

 本当に感謝している。

 そんな村長さんに、オレは病気かもしれない鶏について、処遇を相談した。このまま養鶏場に入れておくと、ほかの鶏に伝染するかもしれない。だから別離したほうがいいと思いこうして連れてきたけれど、どうしたらいいでしょうか。決断してください、と。


「――ふぅ。こんなものかなぁ」

 オレは、今完成したばかりの柵を手に、立ち上がる。

 すぐ隣で、オレから受け取った鶏を抱えてしゃがんでいたシルキアも、立ち上がった。

「それで完成なのぉ?」

「ああ。あとはこれを地面に刺して、その子が逃げ出さない柵としてちゃんと使えるのか試すだけだ。試してみてダメだったら、もちろん、作り直し」

 オレを先頭に、すぐ傍にある農具置き場へと入る。


 村の門の傍にある農具置き場は、村長さんがそう呼んだ通り、農具が乱雑に置かれている手狭な倉庫だ。広さは、村の公衆便所の半分ほどしかない。高さは、オレ……三人分ほど。村と湿原の間に広がる森から適当に拾ってきた材木を、角や縁、大きさを切って整えずに使ったのか、壁はガタガタであちこち隙間だらけ。しかし、おかげで陽射しも風通しもいい。灯りを使わなくても晴れの日はこうして中の様子がわかるし、ジメジメしていないからこの子の回復にも最適だろう。新鮮な空気は万病に効くと、グレンさんは言っていた。


「ん~、左側の農具は多分、使う頻度が多そうだから、右隅を使おう」

 入って左の壁に立て掛けられているシャベル、左側の地面に寝かしてある鍬や鋤の先端には、まだ乾いてパリパリになっていない土が付着していた。これは最近、何かしらで使ったからだろう。一方、右側にある箒なんかは使われた形跡がない。


「お。このスコップ、少し借りよう」

 柵を右側の壁に立て掛け両手を空けてから、その場にしゃがみ、スコップを拾う。

 柵で囲うとどうなるのか。頭の中で絵を描き、この辺かな?というところを、スコップで掘っていく。柵を突き立てるための差し穴だ。村長さんに使っていいぞと言われた、村共用のたきぎで作った柵は、三十分ほどで完成させたにしては自賛してもいいだろう出来栄えではあるが、穴なしで地面に刺せるような代物ではない。

 十分ほど?をかけ、オレは地面に『し』を描くよう、差し穴を掘った。

 スコップを置いて立ち上がり、柵を穴に嵌め込んでいく。上手くいかないところは、改めて位置をずらして穴を掘り、そうやって調整調整を繰り返しながらやって――

 うまくいった。

 壁と柵で四方を囲われた区画を、なんとか作り出すことができた。


「シルキア。その子、この中に放してあげて」

「はぁ~い」

 妹が柵の上に両手を伸ばし、掴んでいた鶏を離した。

 羽をばたつかせながら、飛べない鳥が地面に無事着地する。

 首を伸ばして顔をあっちこっちへ振って、かなりソワソワした様子だ。落ち着かないのも当然だ。いきなり仲間から離され、見ず知らずの場所へ連れて来られたのだから。

 ……ごめんな。

 胸が苦しくなった。

 この子からすれば、故郷を失ったようなものだ。

 しかも、独りで。


「……さって、次はナーナと薬草探しだ。行くぞ~」

 言いながら、オレはその子に背を向ける。

 心苦しくても、しょうがないことだ。

 あのままみんなと一緒にいさせて、ほかの子たちまで体調を崩すような事態だけは避けなければならないから。快復するまでは、こうするしかなかった。

「……シルキア?」

 倉庫から出たところで、妹がついてきていないことに気付き、呼びつつ振り返る。

 妹は柵を両手で掴み、未だ落ち着かない様子の一羽を見詰めていた。

「…………シルキア。行くよ」

「ん……お兄ちゃん。この子、ずぅっとここなの? 独りぼっち?」

「……体調が元通りになれば、またみんなのところに戻れるよ」

「そっか。早く元気になったらいいなぁ」

「そうだな。そのためには、薬草入りのエサ、作らなきゃ。だろ?」

「うん。シルキアも、頑張る」

「ああ。一緒に頑張ろう」


 オレたちは、村長さんから、薬草入りのエサ作りも任された。

 最初は断った。薬草学に関する知識に自信がないからだ。ネルの手伝いで薬草探しもしたことがあるし、ネルの母親の店で様々な薬草を見てはいるが、名前と姿形を一致させられるほどの自信はない。せいぜい「なんとなく見覚えあるな~」程度だ。

 うろ覚えほど、危険なものはない。とくに、薬草だと思って、実は毒草だったなんてことはよくある。人間には善い効果があっても、獣には致命的な猛毒になる種も存在する。それが薬草の難しさ。だから断った。鶏を……貴重な村の財産を殺したくはないから。

 そんな責任は、村外の者であるオレには負えない。

 負いたく、ない。

 負うなら、村内の者であるべきだ。


 しかし村長さんからは、ナーナを頼ればいいと言われた。

 ナーナは独学で薬草学について学んでいるから、と。

 なんでも以前、行商隊が来たとき、商人から村のためにと譲ってもらった薬草学の本が数冊あって、それを誰よりも熱心に読んでいるのがナーナだと言うのだ。

 オレは、それなら……と思い、引き受けた。


 今、ナーナは本来の仕事である、村人たちの草履製作をおこなっているはず。

 向かうのは、家の近くにある工房だ。

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