2部2章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。大体いつも同じ一日 4

 大切な人の墓参りを済ませたオレたちは、帰宅後、ハーナさんが作ってくれた朝食を摂った。昨晩の残りの煮込み料理――五種類の豆と麦、パン屑をトマト汁で煮込んだものだ――と目玉焼き――卵は貴重だから一人一個だ――干し肉のハーブ焼きだ。めちゃくちゃ美味しくて、オレもシルキアも、贅沢は許されないのに、おかわりという甘えを享受した。

 そして、今。

 オレたち兄妹は、自分たちの仕事場へと向かっている。

 朝食を終えたら、仕事を始める。

 それはどこの町でも、どこの都市でも、同じことだ。


「お~、アクセルぅ、シルキアぁ、おはよ~さぁん」

「おはようございます」

「おはよ~ございまぁす!」

 会う人たち会う人たち、朝の挨拶を何度も交わしながらも、歩みは止めない。

 まだ一週間ほどの付き合いだというのに、オレたち兄妹は随分と受け入れてもらえている。会えばこうして笑顔を向けてくれるし、干し肉や干し果物なんかを恵んでくれるときもあるくらいに。元々の、その人その人の気質というのもあるだろうが、オレもシルキアもこの一週間、真面目に、誠実に、一生懸命に生きてきた成果と言っていいだろう。

 いくら善人が多いとはいえ、もし不真面目な生き方をオレたちがしていたら、受け入れてはもらえなかったはずだ。良心的だからといって、なんでも許容するわけではない。

 向けられる笑顔は、自分たちの正しさの証だ。


 ――コーッコッコッコ。

 ――コケェ、コッコ、コケッコ。

 ――コケッココケッコ、コココ。

 ――グェエ、グェエ、グッグッグ、グエグエェ。


 仕事場が見えてきた。

 馴染みのある鳴き声は、朝起きた瞬間から聞こえていたものだが、距離が縮まるにつれて大きくなっていく。日常生活に溶け込んでいるものだから普段は意識しないが、こうして近くで聞くと、やっぱりうるさい。でも、このうるささもまた、貴重な資産だ。

 うるさい鳴き声は、鳴き声を発する存在がいてくれるからこそ、なのだから。


 やってきたのは、村役場のすぐ傍。

 聞こえよく言えば『爽快感がある』が、正直、鼻をツンと刺すくらいにはキツイ香りを発するハーブに囲われた柵、に囲われている養鶏場だ。ハーブは、蛇を始めとした爬虫類除けの効果があるとされている種で、過去に湿原から襲来したであろう蛇に飼育していた鶏が暴食されてしまったことを機に植えたそうだ。

「む~ん、くちゃ~い」

 妹が両手で鼻を覆い、眉間に皺を浮かべている。

 オレは笑いながら、ぽんぽんとその頭を撫でた。


 踏んでしまうと草履の裏に汁が付き、どこかしこで臭いを発することになtってしまうため、決して踏まないように注意しながらハーブの囲いを超え、柵にある戸を開けて中へ。

「さぁて。シルキア、今日もお仕事だ~。卵集め、よろしく頼むぞ~」

「はぁ~い!」

 しゃがんだ妹が、卵探しを始める。

 一個目を見つけ嬉しそうに見せてきたのに笑顔で応え、オレも仕事を取り掛かることに。

 まずやるべきことは、鶏たちの体調管理だ。


 その場に留まったまま、シルキアから逃げるようにして駆け回る鶏たちを、一羽一羽、観察していく。まずは、ザッと、簡単にでいい。気になるものがあるか。その見極めだ。

 ……ん? あれは、吐しゃ物? 下痢?

 地面に黄緑色のドロッとしたものがある。

 健康的な糞が転がっている中で、それは明らかな異常だ。

 吐いたのか、下痢したのか、どちらかはわからないが、体調不良の個体がいるのか?


 ……そういえば、鳴き声になんか、濁ったのが混じってたような気が。

 オレは鶏との付き合いは長い。

 この【ストラク】では、まだ一週間ほどだが。

 故郷【コテキ】での経験も年月に加えれば、一年以上にはなる。自分の鶏を所有してからの年月は長くないが、グレンさんに授けてもらった知恵があるのだ。グレンさんの養鶏を手伝っていたこともある。だから、養鶏は初心者ではないと、自負してもいいだろう。

 そんな自負が、ここで役立った。

 何かできることはあるかと村長に問われたとき、養鶏の経験について説明できた。

 だから今、こうして鶏の世話を任されたのだ。

 信頼には応えたい。

 鶏は村共通の貴重な資産なのだから。

 もし何かあれば、卵という貴重な栄養素が採れなくなってしまう。


 ……もし病気だったら、ほかにうつるかもしれない。特定して、ほかと離そう。

 鶏の世話は、基本、朝夕の二度。

 昨日の夕方ここを訪れたときには、とくに問題はなかった。となると、病気だったとして発症したのは、昨晩から今朝にかけてということか。だとしたら、まだほかの子たちには伝染していない? ……わからない。獣医の知識はないから。

 とりあえず、難しいことを考え、脳内を複雑にしてもしょうがない。

 あの黄緑色の量からして、恐らく問題のある子は一羽だろう。

 探し出して、その子を他所へ移す。

 もしも感染が広がっていたら、そのときには、誰かに相談しよう。

 医学の知識がないオレの範疇を超えている問題だから。


「お兄ちゃん!」

「ん? どした?」

 ぼやっと返事をしつつ、駆け回る鶏たちを睨む。

 シルキアには悪いが、今、頭の中は鶏で一杯いっぱい。

「この子! なんか臭いよ!」

「えっ?」勢いよく、シルキアのほうへ顔を向ける。

 と、妹が両手で一羽、抱え込んでいた。

 抱えられている鶏は、一見、おかしなところはない。

 オレは近づいていって、両手でその子を受け取った。


「ほんとだ。なんか、臭うな」

 嗅ぎ慣れた獣臭さとは異なる臭気。

 ……この子なのか? 吐いたか、下痢したのは。

 嘴周りは、見たところ、黄緑色の何かは付着していない。

 オレは肛門を検めるため、眼前に鶏のお尻を持ってくる。

 ツンと、刺激臭がした。

「あっ」

 思わず声が出たのは、お尻に黄緑色の汚れがあったから。

 この子だ!


「シルキア! お手柄だぞ!」

「え? お手柄ぁ? えへへ」

 どうして褒められたのかわかっていないようだが、妹はにへらと笑う。

「この子、ちょっと他所に移すから。シルキアは卵集め、続けててくれ」

「えっ、お兄ちゃんと一緒に行くっ」

「すぐに戻ってくるよ?」

「やだっ! 離れちゃ、嫌っ!」

「ん~、わかったわかった。じゃあ、一旦、今集めた卵も置きに行くか」

「んっ!」と頷いたシルキアが、鶏を抱えるために脇へ除けた卵を、一個一個、持ってきた手提げ籠に入れていく。籠はナーナ手製のものだ。


 立ち上がったシルキアと一緒に柵から出て、ちゃんと戸を閉め、入ったときと同じくハーブを踏まないように気を付けて囲みの外へ。

「さて、と。村長さんに相談するかぁ」

 病気の疑いがあるから隔離したい。

 とはいえ、どこに移せばいいのかは、オレが決めていい領分ではない。

 この時間だと、村役場で仕事をしているはずだ。

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