2部2章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。大体いつも同じ一日 3

 タリウス家に戻ってくると、ハーナさん、ナーナ、フィニセントさんが揃って食卓を囲う椅子に座っていた。

 各々の手元には、湯気の立つコップが置いてある。白湯か、薬草茶か、ハーブ茶か。何かしらの香りがすることもないから、三人とも、白湯かもしれない。

 水は限りある資源。それでも、寝起きの、朝の一杯は、活動のためにも欠かせない大事なものだ。


「お帰りなさい」

 真っ先に声を掛けてくれたのは、ハーナさんだ。

「ただいま、です」

「です?」

「あ~、はは……」

 濁すように、オレは笑う。

 気まずい。

「ただいまっ!」

 と、シルキアが元気いっぱいに言った。

 ハーナさんの顔に浮かんでいた笑みが深くなる。

 その笑顔に、オレの中の気まずさは、余計に膨らんだ。


「二人とも、白湯にする? それとも、何かお茶を淹れようかしら」

 立ち上がったハーナさんが歩き出しながら尋ねてきた。

「あ、オレは、白湯で、あっ、白湯が、イイです」

 言い直したのは、〇〇で、という言い方は失礼に思ったから。〇〇が、と言ったほうが感じはいいだろう。

 あなた『で』いい。

 あなた『が』いい。

 この違いは結構、大きいと思う。

 まあ、白湯にも当てはめられることなのかどうかは、オレ自身よくわからないが。


「シルキアはねっ、あまぁ~いお茶がイイの!」

「はぁい、わかったわ。二人とも、座って待っていてちょうだい」

「はぁ~い! ほらお兄ちゃん、座ろっ!」

 グイグイと妹に引っ張られるがまま足を進める。顔はハーナさんに向けたまま。


 オレも手伝ったほうがいいんじゃないだろうか。

 いや、手伝ったほうが、というより、手伝うべき、なんじゃないだろうか。

 いやいや、そもそも、手伝うとかじゃなくて、自分一人でやるべきじゃないだろうか。

 でも、申し出れば、ハーナさんは「座ってていいのよ~」と言ってくるはず。今までずっとそうだった。配膳ですらさせてもらえなかった。待っていれば料理がでてくる。そんな毎日だった。それでいいのだろうか。いや、よくないはずだ。


 だが、しかし。

 もしかするとハーナさんは、オレに調理をして欲しくない可能性もある。

 こうも料理に関すること、食に関することで手伝いを拒まれるのは、そういうことかもしれない。可能性は低くないはずだ。


 だが、しかし。

 だからといって「手伝います!」と申し出なくていいかといえば、違う気もする。

 一体、どうすることが正しいのか……。


「アクセルくん、今、手伝ったほうがいいのかな~とか、考えてるでしょ」

 そう図星を突いてきたのは、タリウス家一人娘――ナーナだ。

 顔を向ければ、ニヤニヤと笑っている。

「まあ、うん……」

「やっぱり~。気にしなくていいって、前に言ったじゃん。母さんがやりたくてやってるんだから。アクセルくんもシルキアちゃんもファムちゃんも、家のことはしなくていいって」

「でも、お世話になってるし……」

 答えながら、ナーナの左斜め後ろにある、ハーナさんが座っていたのとは別の椅子に腰を下ろす。すかさず、オレの膝の上に、シルキアが跳び乗ってきた。


「したくてしてるんだからいいんだよ! ねっ、母さん!」

「アンタはもうちょっと手伝いなさいよ」

「や、やれるときはやってるじゃん!」

「やれないときなんてないでしょうが」

「あるでしょ! ほらっ、風邪引いたときとか!」

「そういう非日常のことを言わないの」

「ぬぐぅ……」

 反論が出てこなかったらしい。


 台所で背を向けていたハーナさんが、こちらに振り返った。

 両手に一つずつ、湯気の立つお椀を持っている。いきなり人が増えたことでコップの数が足りないからだ。

 新しくコップを買って五つ揃えようかしらとハーナさんが言い、オレが阻止したのは、共同生活初日のこと。

 いずれいなくなる身だ。自分たちのためにわざわざ新しく調達するだなんて、そんなの勿体ない。


 はいどうぞ、とハーナさんがお椀を差し出してきた。

 オレとシルキアはお礼をちゃんと言いながら、両手で受け取る。

 ハーナさんが、元いた椅子に座った。


「本当に気を遣わなくていいのよ。とくに、アクセルくんは、いろいろなことを考えすぎ。考えらえることは素晴らしいことだけど、気を抜くことも大切なことよ」

「はい。すみません」

「謝らなくてもいいわ。別に悪いことをしたわけじゃないんだから」

「ははは、すみま、あぅ……」

 苦笑いしか、もうできなかった。

「まっ、気を遣おうとしてくれるのは、すっごく嬉しいけどね。このバカ娘にも、その繊細さ、思いやり、ちょっとは学んで欲しいものだわ」

「えぇ~え? あたし、めっちゃ繊細だしぃ、思いやりもあるしぃ~」

 ぶぅ~っと、頬を膨らませるナーナ。


「あら、そう? アクセルくん、どう思う?」

「えぇ⁉ その、え~っと」

「アクセルくぅ~ん、あたし、繊細じゃんねぇ? 思いやり人間じゃんねぇ?」

「え~っと、え~っと、あぁ~~~」

 何が正解なのか、オレは頭をキリキリ働かせる。

 しかし、一向に答えは出てきそうにない。


 と、母娘が揃って吹き出した。

「ごめんね? 困らせちゃったわね」

「アクセルくん、ほんっと真面目だなぁ~。でもそこがっ、魅力的なところだよっ」

 笑う、二人。


 無性に顔が熱い。

 からかう、なんて言葉を当てはめるほど、二人のやり取りに悪意はなかった。

 わかる。和ませようと、馴染ませようと、母娘がしてくれたことくらい。

 わかるから、照れ臭いというか、恥ずかしいのだ。

 上手く対応できなかったことが……。


               ※


 全員、起床したあとの水分補給を済ませたあと、毎朝の日課のため外に出た。

 向かう先は、村外れにある共同墓地だ。

 ハーナさんを先頭に、オレとシルキアとナーナがほぼ横並びで、その数歩ぶん後ろをフィニセントさんといういつもの陣形で歩いて行く。


「ファムちゃん! 今日もイイ天気になりそうだねっ!」

 ナーナが顔だけで振り返り、快活に語りかけた。

「……そうね」

 たったひと言の返事。しかも、悩むことでもないのに、わざわざ間を置いて。

 感じ悪い。

 そう思われてもおかしくない態度だ。

 けれど。

「だねっ! ファムちゃんは、今日、何をして過ごすのかなっ?」

 ナーナの明るさは変わらない。

 フィニセントさんとは対照的な人間性だ。


「……いつもと同じよ。掃除をして、縫いものをして過ごすわ」

 掃除とは、タリウス家の掃き掃除拭き掃除のこと。

 縫いものとは、タリウス家で使っている布類の補強や、村の共有財産である布類の補強だ。

 それらが今、【ストラク】で暮らす中での、フィニセントさんの仕事だった。


「もぉ、それはわかってるよぉ。お仕事以外でってこと!」

「…………はぁ」

 今度の返事は、溜息。

 それをやってはおしまいだろ、というくらいの感じの悪さの極みだ。


「あ~、溜息はダメだよ溜息はぁ~。幸せが逃げちゃうって言われてるんだから~」

 しかしナーナは不変。

 尊さすら覚えるほどの明るさだ。

「……元からそこになければ、逃げられないでしょう」

「へ?」

「……なんでもないわ」

「え~、なんでもない感じじゃなかったよ? 悩み、あるなら聞くよ?」

「……今の最大の悩みは、あなたが耳障りということよ」


「フィニセントさんっ」

 さすがに黙っていられなかった。

 意識して強い視線を向けると、フィニセントさんも真っ直ぐ見返してきた。

 しかしその灰色の瞳は、無感動。怒り、不満、反抗心……そんなものも微塵もない。


「あ~、アクセルくんアクセルくん、落ち着いて。ごめんね、ファムちゃん」

 へへ、と笑いながら頭を掻くナーナ。

「…………」

 フィニセントさんは、もはや何も言わなかった。


 共同墓地が見えてきた。

 並ぶ墓標の中から、オレたちは剣の立てられた墓の前に並ぶ。

 タリウス母娘を剣の正面に、オレとシルキアがナーナの横に、フィニセントさんがハーナさんの横にという並びで、地面に膝をつく。目を閉じ、祈る。


 セオ=ディパルさん。

 ここに眠る、偉大なる恩人に。


 ……ディパルさん。オレたちは今日も生きています。それも全部、あなたのおかげです。

 ここでの生活が始まってから、毎朝こうしてみんなで参るたび、感謝を伝えてきた。

 でも、どれだけ伝えたところで、伝え足りない。

 それほどのものを、オレたちは受けたのだ。

 オレたち兄妹だけじゃない。

 ハーナさんも、ナーナも、そう。

 唯一、何を思っているのかわからないのは、フィニセントさんだけだ。


 ……ディパルさん。オレたちは懸命に生きます。絶対、生きてみせます。

 生きることを疎かにしてはいけない。

 苦悩することがあっても。

 深刻な壁が立ちふさがっても。

 生きる努力をしていく。


 生者ができることは、それだけだから。

 精一杯、生きていく。

 それが、全てだ。

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