2部2章 行商隊が訪れるまで、およそ三ヵ月。大体いつも同じ一日 2

 タリウス家に戻ってくると、ちょうど玄関扉が開いた。

 中から出てきたのは、ナーナだ。

「あっ、アクセルくんいた! シルキアちゃ~ん、お兄ちゃんいたよぉ~」

 顔だけで屋内を振り返ってそう言ったカノジョ。

 と、その身体と扉枠の間を縫って、妹が飛び出してきた。


「お兄ちゃん! どこ行ってたの!」

 悲鳴にも近い金切り声を上げながら、シルキアが突進してくる。

 勢いのある頭突きが下腹部に的中して、ゔぅと反射的な呻き声を漏らしながらも、オレは両手で妹の頭を抱く。寝癖のついた、自分と同じ黒紫色の髪を、両指で梳いてやる。

「どうしたどうしたぁ」

「どうしたじゃないでしょ! どこ行ってたの!」

 むぎゅっと抱き付いたまま見上げてくるシルキア。

 大きな目は涙で潤んでいる。寝起きだから、というわけではないのだろう。


「便所だよ」

「一人で行っちゃダメ!」

「えぇ~?」

「シルキアを一人にしちゃ嫌っ!」

 ああ、これが本音ということか。

 ポンと、頭を優しく撫でてやる。

「ごめんごめん。さ、中に戻ろう」

「……シルキアも、おしっこ行くぅ」

「そっか。じゃあ、行こう」

 頷いて、身を離すシルキア。

 右隣に来た妹の左手を、オレは右手で握ってあげる。


 ……まだ甘えん坊、治ってないんだな。

 甘えん坊というか、怖がりというか。

 今のシルキアは、独りでいることを、極度に嫌がるようになった。


 この《ストラク》での生活が始まって一週間が経ったが、朝から翌朝まで、大抵の時間をオレはシルキアに触れられて過ごしていた気がする。朝、起きたら妹はすぐに抱きついてくるし。身支度や食事中、仕事をしているときだって、妹はオレのすぐ傍にいて、前触れなくいきなり、オレの腕を握ってきたり、足を触ってきたりした。もちろん夜、眠るときは、妹のぶんの布団もハーナさんが用意してくれたのに、オレと同じ布団でくっ付いて寝た。


 オレたち兄妹は、かなり仲がイイほうだとは思う。

 でも、こんなにべったりではなかったはずだ。

 その原因は、何か。

 考えるまでもない。


 故郷が魔族に破壊されたからだ。

 両親が、大切な人たちが、魔族に惨殺されたからだ。


 妹が心に負った傷が、今の妹を形成している。

 そうとしか考えられない。

 だから、どうしたものか。

 慕ってくれることは嬉しいけれど、妹の将来のためにも変わって欲しい。


 人間は誰しもが、独りで生きられる力があったほうがいいものだろうから。

 支え合うことは大事だし、孤独も行き過ぎれば猛毒となるけれど。

 それでも、独りで戦い生きていける能力は、持てるのであれば持っておいたほうがいいものだ。


 便所についた。

 しかし、妹は手を離さない。

「ほら、行ってきな」

「……お兄ちゃんも、来てぇ」

「ダメ。ここで待ってるから」

「えぇ~、ヤダヤダァ~。来て来てぇ~」

「ダーメ。おしっこ、独りでできないような子どもじゃないでしょ?」

「むぅ、むぅぅぅぅぅぅぅぅぅう」

 膨れっ面になって、右足で地団駄を踏むシルキア。

 可愛くて、つい許してやりたくなるが、それではダメだ。


「ほら、行ってきなさい」

 もう少し、ほんのちょっと口調を低く強めて、再び促した。

 妹はジッとオレを見上げ、オレが折れるのを待っていたけれど、観念して手を離した。

「絶対、いてね」

「もちろん」

「絶対だからねっ」

「わかってるって」

 中へ入っていくシルキア。


 出入り口で仁王立ちしていたらほかの人が来づらいだろうから、オレはちょっと脇に寄って腕を組んでみる。

 やれやれ。本当にどうしたものか。

 ……強くなって欲しいよなぁ。


 もう過去は変えられない。

 魔族の襲来が起きる前には、どうしたって戻ることはできない。

 両親も、グレンさんも、生き返ることはない。

 オレたちは、これから先を生きていくしかないんだ。


 だから。

 妹にも、少しずつでもいいから強くなって欲しい。

 オレが一緒にいられる間は、オレが絶対に守ってやるけれど。

 オレだって、たかが、一人の人間だ。

 いつ死ぬかなんてわからない。


 もしそうなったときでも、妹には、幸せに生きていって欲しいんだ。

 そのためには……幸せのためには、強くならないといけない。

 とはいえ、あの甘えん坊というか怖がりは、簡単には変えられないだろう。

 それだけ重く深い傷だから。


 妹が出てきた。

「お兄ちゃん、手っ! 握るのっ!」

 わざわざ言ってきたのは、オレが腕を組んでいるからか。

「はいはい」

 腕組をやめると、すぐに妹が左手を握ってきた。

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