2部1章 月明りキラキラ☆肉が焼けてキラキラ☆世界を壊す学園創設計画でキラキラ☆
「――追いますか?」
深い夜の中、月光に照らされている庭園には、二人の女性の姿。
「いいえ、放っておきましょう」
リリィ=ブイホルダーは、下方を流れる川を見下ろす。
つい先ほどまで自分を殺そうとしていた者たちは、今、あの川を流れていることだろう。
跳び込んだところは目視していないが、まず間違いない。この庭園から慌てて出て行ったとしたら、皇女が全力で駆けてきたのだから、何事か!と、出入り口を見張っている警備兵たちがざわつくはずだから。
しかし、今、そういった喧噪は、夜の空気の中に感じられない。
となれば、兵士たちは、出て来た皇女たちを知らないということだろう。
そう考えると、脱出経路らしい脱出経路は、もう、眼下を流れるあの人工川くらいだ。
「それにしても、です」リリィは川から視線を上げ、そのまま振り返った。宮殿へと戻るため、庭園を歩き出す。「あの子は知っていたようですねぇ、国を犯している邪の存在を。その教えを説いているのが、ワタクシであると。う~ん。ワタクシを嗅ぎ回っている者たちは一定数いるようですねぇ。どうしたものでしょうか。教徒たちに、嗅ぎ回る者たちを嗅ぎ回らせ、見つけ次第、一人ずつ拷問にかけ、肉と血に変え貯蔵させておきましょうか……」
ぶつくさと、頭に巡らせる考えを声に変換しながら、月夜を行く。
「……とはいえ、嗅ぎまわっている者たちにも、友人や家族はいるでしょうし。捕らえ消していけば、それら関わりある者たちが騒ぎ出してしまうのは目に見えること。民衆にとっての敵は、魔族どもを始め、ほかの種族だけでいい。兵士が街中で何人も行方不明になっているなんてことが広まれば、民衆同士に敵意が生まれかねない。そうなると、それぞれ神の加護を受けている種族に抗うためにも、我々人間にも神の加護が必要であるという、ワタクシの教えの力が弱まってしまいかねません……」
ぶつくさ、ぶつくさ、ぶつくさ――
思考を整えるための独り言は止まらない。
「それに、教徒たちには、いなくなってしまったあの子を探すこともしてもらわなければなりませんしねぇ。教徒はだいぶ多くなったとはいえ、数はまだまだ。戦力としても、まだまだ。うん、うん、うん。やはり、嗅ぎ回るヤツらは放置が最良か……」
と、そこで。
リリィは足を止め、くるりと振り返る。
「ルシェルさん。あなたはどう思――」
言葉をつぐんだのは、目に映る光景に衝撃を受けたからだ。
自らに走り寄ってくる、ルシェル=モクソン。
その右手には、月光を浴び、キラリと光るものが。
短剣だ。
迫る、鋭い切っ先。
近づいてくる。
近づいてくる。
近づいてくる。
もうあと数十センチで、リリィの黒いドレスに達する――
「ッッッ」
切っ先は、布を容易く裂き、肉を貫いた。
しかし。
リリィの黒いドレスは、無傷。
代わりに切り裂かれたのは、鮮やかな赤い布だった。
短剣は、ルシェルの左腕の袖を裂き、ルシェルの左腕の肉に突き刺さっている。
構図だけを見るならば。
ルシェルは、自らの右手によって、自らの左手を刺した。
ということだ。
「あはっ」
驚きを浮かべていたリリィの顔が、可笑しくて仕方ないといった笑みに変わる。
カノジョは、自らを狙い、でも自らに達せなかった短剣に、右手を伸ばす。
相当な力を受けて振るえる短剣の、鈍色の刃は真っ赤に濡れている。
赤は、血だ。
その血を人差し指で掬うと、ルシェルの右頬に塗り付けた。
「すっごぉ~い醜い顔ぉ~。せっかくの可憐な顔が台無しですよぉ?」
リリィの目に映る、ルシェルの顔。
それはカノジョが言ったとおり、酷いものだった。
いや、酷いなんて言葉で片付けられるようなものでもない。
どうやったらそんな表情ができるのか。
見た者すべてがそう思うしかないような顔をしている。
顔の右半分は。
憤怒と憎悪と殺意に満ち満ちた表情で。
顔の左半分は。
よほど嬉しいことがあったのかと思うほど、ニッコリと笑っているのだ。
「く……く、そ……クソ、がぁ……」
そんな酷いというか不気味というかあり得ない顔で発した声は、何かに苦しめられている中でどうにかこうにか絞り出したようなものだった。
「はい? なぁにがクソなのですかぁ?」
ツンツンと、血で濡れた指先でルシェルの上唇を突くリリィ。
「わ、私っ、にぃ……ひ、姫っ、姫様っをぉ……おそ、襲わっ、襲わせたっ、なぁ……!」
「あらまぁ~、驚きました。そんな、ただの人間だったときのあなたが言うようなことを吐くことができるだなんてぇ~。これは忠誠心の成せることなのでしょうか。あなた、
忠誠心の成せることなのか。
なんて言ったけれど、そんな清らかなことでないのは、わかっている。
これは、戯れだ。
自分たち人間なんかによりも遥かに高位の存在による。
ただの気まぐれの。
ただの戯れだ。
「こっ、殺しってぇえ……殺してっ、や、やるぅぅぅう……!」
短剣がさらに大きく震える。
けれど、いくらルシェルが気張ったところで、自らの左腕の肉が抉れるばかり。
リリィは、ふと、白ける。
無表情になって、短く息を吐いた。
戯れは、確かに、愉快でもある。
とはいえ、もう飽きた。
「ナぺロペ様? これはなんの戯れでしょう」
その言葉に、返すように。
チッ、パチッ、ジジッと、ルシェルの右手周りに火花が散った。
火花はどんどんと数を増していく。
「や、やっめ、やめて……」
ルシェルが漏らしたのは、怯えた声だった。
それに反して、火花は止むことなく数を増やし、そして――
ボウッ!
――炎という塊となった。
ルシェルの右手を包み、容赦なく燃やす。
炎はカノジョが握ったままの短剣も包み、半端でないほど高温なのか、金属はどろりと溶け始めた。じゅわぁ。粘性をもって垂れた短剣の素が、カノジョの肉に垂れ、焦がす。
「や、だ、やだ、やだっ……」
怯えるルシェル。
カノジョを嘲笑うかのように、炎は短剣の突き刺さった左腕へも移った。
服ごと肉を侵していく炎。
やがて――
「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああっっっ!」
――炎はカノジョの全身を呑み込んだ。
熱を煩わしく思い、リリィは一歩二歩と後ろに下がる。
ルシェルは絶叫しながらその場にくずおれ、痛々しい悲鳴を上げながら転げ回る。
「……まったく。ナぺロペ様、何をされたかったのですか?」
ルシェルを焼く炎が上に膨張し、そこに真っ黒な穴が生まれた。
「キサマ、ノ、アワテル、カオ、ミタカッタ、ノダ」
一音一音に合わせ、炎の黒穴が縦に横にと動いた。
黒穴は、口だった。
高位なる存在が、下等な人間に合わせた言語を発するための。
「慌てる、ですか? でしたら成功しましたねぇ。驚きましたよ」
それは、本当。
まさかルシェルが……今のルシェル=モクソンが、自分に殺意を向け、それを実行に移してくるとは、まったく予想もしていなかった。微塵も身構えていなかった。
重低音な「ハ」が、断続的に響く。
内臓を揺らすその音は、笑い声か。
まったく幼稚なことをと呆れたくもなったが、リリィは臆面にも出さない。
相手は高位な存在。何で機嫌を悪くするかなんてわからない。下手なことをすれば、呆気なく殺されてしまう危険性がある。いくら自分に利用価値があることの証明はできているとはいえ、だから力を貸してくれているとはいえ、危ういことは避けるに限る。
重低音の「ハ」が止んだ。
合わせて、悲鳴も絶える。
「ワレラ、ガ、シュクン、ノ、フッカツ、ジュンチョウ、ナノカ?」
炎の黒穴が蠢く。
「着実ではあります。まだ時間はかかりますけれど」
「ジカン、ナド、ワレラ、ニトッテ、ナイ、ヨウナ、モノ」
「でしょうねぇ」
「デハ、ワレ、フタタビ、コレヲ、シハイ、スル」
「ええ、ワタクシの忠実な
「……キサマ、ノ、デハナイ。シュクン、ノ、ダ」
「そうでしたそうでした。申し訳ございません。ああ、でも、支配するのはイイですが、この子には人間にとっての英雄でいてもらわなければなりませんので。魔族ども相手に好き勝手やるのは構いませんが、人間には、清く、正しく、優しく、接してくださいねぇ」
「……アマヤカス、コト、スナワチ、ヨコシマ、ノ、イッタン。シンパイ、スルナ」
甘やかすこと。
確かにそれは、邪なことの一端だろう。
人間は。
甘やかされすぎれば。
堕ちていく。
どこまでも。
どこまでも。
堕ちていく。
そんな、弱い、生き物だから。
邪なる存在にとっては、甘やかすことなど領分中の領分だろう。
「……ソレデハ、ハゲメ」
「ええ。さようなら」
炎が消える。
残ったのは、黒焦げと化した人間だった物体。
見下ろす、リリィ。
ジッと。
ジッと。
見ていると、真っ黒の表面に突如、泡が立った。
ブクブクブクと、泡は次から次に立ち、どんどんと炭化した表面を広がっていく。
パチン――泡が弾けた。
泡がなくなったそこにあるのは、つるぅんとしたキレイな肌。
パチンパチンパチンパチンと弾けていくにつれ露わになっていく肌は、すべてが生前の肉の美しさに回復していた。
すべての泡が弾け、素っ裸の、ルシェル=モクソンとなる。
ハッと目を開けたカノジョは、ぱちぱちと二度瞬き。
「おはようございます、ルシェルさん」
「え? あ、リリィ様。おはよぉございます?」
きょとんとした表情のまま、ルシェルは見下ろしてくるリリィを見返す。
未だ頭の霧が晴れない感覚がありながら、ルシェルはいつも起床したらそうするように上体を起こす。
「ふえぇ⁉」そこでようやく、自分が全裸でいることを知った。
顔を赤らめ、サッと、胸と股間を両腕で隠し、恥じらう。
「あの、私、なんで裸で、こんなところにいるのでしょう」
「ルシェルさん。あなたは再び、コテキ方面に行って、魔族を殺してきてください」
リリィは、ルシェルの疑問をすべて無視した。
しなくてもいいことだからしない、それだけだ。
困惑顔だったルシェルの表情が、スッと、真顔になる。
そしてすぐに、凛々しい顔つきになって、「はい!」と威勢よく返事をした。
もうカノジョの中に、どうしてここに裸でいるのか、なんて疑問はない。
内側に巣食っている存在によって掻き消されたのだ。
「今はこちらから攻めなくていいですから。国境は超えないように気を付けてくださいね」
「はいっ!」
「殲滅を終えたら、一度、戻ってきてください。創設の際にはあなたにもいてもらいたいですから。人を守る、神の剣の使い手として」
ルシェルの顔に笑顔が咲く。
「いよいよ、学園を創設するのですねっ!」
「ええ。この世界を壊すための学園を始めます。あなたには、そのときの情勢次第ですが、学生たちへの剣術の指南役も務めてもらいますからね」
「わはぁ~、任せてくださいっ! 素晴らしい使い手を育ててみせますっ!」
「では、宮殿に戻って新品の可愛いドレスを着て、戦場へと赴いてください」
「はいっ! 魔族どもを虐殺しますっ!」
深々と頭を下げたルシェルが、宮殿へと駆けていく。
その後ろ姿を見詰めていたリリィは、ふと、夜空を見上げた。
「楽しみですねぇ。一体、どんな子どもたちが集まるのでしょうか」
未だ深い夜だからこそ降り注ぐ月光を浴びながら。
リリィは心底楽しそうに笑い声を上げる――。
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