2部1章 皇女による暗殺作戦 5

 パチパチパチパチ。

 

 拍手の音に、カゲツとレイは険しい顔を向ける。

 二人の呼吸は荒い。多くの戦闘経験を積んできた二人にとっては、時間にして二分ほどだったとの戦闘は、とても短いものだ。走り回ったわけでもない。それでも、こうも息が乱れているのは、それだけ、二人ほどの猛者であっても重たい緊張感のある戦いだったからだ。


「さすがです、さすがです。ワタクシ如きでは呼べるのも下級のみですが、とはいえ、ほかの種族とは違って神の加護がないただの人間では、祓うことなどできないと思っていました。まあ、お二人だからこそ祓えた、ということでしょうが。強者の振るう武具には、特別な情念が宿る……と邪神様も仰っておりましたからねぇ。ふむ」

 長々と発声し、終いには一人で納得したように頷く始末。

 カゲツは、意味が理解でいないところもあったこともあり、怒りが高まる。

「御託はいいわ。次はお前の番だ。ここで殺させてもらう!」

 駆け出す、カゲツ。

 レイもすぐに続いた。


「お~、恐ろしい恐ろしい。なので、助太刀を呼びましょうか」

 リリィが己の黒いドレスの胸元に両手で触れる。

 指先が紐を解いたことで、ドレスの締め付けが緩んだ。

 すとん、とドレスが足元に落ちる。

 露わになった老体の裸。

 その腹部には、無数の、が刻まれていた。


「捧げるのは、我が血潮。開き、繋げ、邪肉の扉!」


 唱えた、刹那。

 腹部の文字がすべて赤く染まり、ぐにゃりと肌が肉が歪み、赤赤とした渦が生まれた。

 その渦はどんどんと広くなっていく。

 その拡大に合わせ、老体も膨れ上がっていく。


 あまりもの異変に突撃していくほど愚かでないカゲツとレイの前に、巨大な渦が生まれた。

 その中心点。

 そこに――の揺らめきが見えた。


 ぞわっと、カゲツの背筋を恐怖が駆ける。

 直感が働いた。

「レイ! 横に跳べ!」

 怒鳴りながら、自らも右へと跳躍。

 レイも一秒遅れで左へと跳んだ。

 次の瞬間――


 渦の中心点から。

 轟々と、炎の柱が噴き出してきた。


 これは。

 この炎は。


「レイ! 撤退!」

 カゲツは背を向け、すぐに駆け出す。

 狙いを少しでもずらすようジグザグに、全力で進んでいく。


 ゴォウ、ゴォウ、ゴォウ――

 空気を燃焼しながら、暴力的な爆音を轟かせつつ、猛烈な炎が一回二回三回と、渦の中心点から噴き出す。橙色でなく、白と青の混じった炎は、破滅的な熱だ。


 カゲツとレイは、右に左に進行方向を変えながら駆け続けることで、直撃だけは避ける。しかし、当たらずとも、揺れる熱はカノジョたちの衣類を焦がし、肌を炙った。

 

 謁見の間から飛び出た、二人。

 カゲツが足を止めることなく背後を見れば、未だに渦奥で揺れる炎が見えた。

「レイっ、端に!」

 切羽詰まった怒声を吐きながら、カゲツは通路の左端へと寄る。

 主の命令を受ける前から、レイもそうするべきだと考え、右端へと寄っていた。


 ――ゴォォォウ!

 二人のちょうど間、通路の中央が、炎柱えんちゅうの暴力に焼かれる。

 先ほど、謁見の間にいたときと比べて狭い空間のため、熱の威力は凶悪で、カノジョたちは限界まで顔を壁のほうに向けた。髪の焼ける音、耳や首に熱さと痛み、眼球が蒸発してしまうのではないかという恐怖に思わず目をつむってしまう。

 それでも、足だけは、止めない。

 止めてしまうことは、死に近づくことだから。


 通路を抜け、大階段に出た。

 カゲツは思い切り跳躍する。

 レイも主に続いた。

 レイのほうが体格がよく、装備も重たいためか、二人は揃って着地した。

 そのまま二人は、宮殿から外へ。


 リリィと対峙したときから、何かしらの方法で増援を呼ばれ、待ち伏せでもされているかと頭の片隅で警戒していたが……見たところ、庭園に敵の姿はない。

 背後は……アイツの姿は見えない。

 けれど、感じる。

 あの熱を。

 あの脅威を。


「川に跳ぶわよ」

 カゲツは庭園の縁、ここを囲う人工川へと進行方向を変える。

 意見を求められていないため主張することなく、レイも追随。

「川をずっと潜って……ストラスに向かう」


 ここの川は、人工だ。

 だからこそ、雨によって氾濫し水害を生むことを避けるため、水底付近に幾筋もの水路が設けられている。その水路はリーリエッタ外の自然の川に繋がっていて、水流に上手く身を置けば、一気にここから離れることも可能だ。

 もちろん、途中で溺死する恐れもあるけれど。

 このまま走って逃げるよりは、逃げ切れる可能性もあるだろう。

 何より、自分たちを襲う攻撃で、何も知らないここの警備兵たちが、リーリエッタを守る兵士たちが、愛すべき国民が、巻き込まれてしまうことだけは避けたい。


 庭園の端まで来た。

「セオを連れて……妖精国に亡命するわよ」

 カゲツの言葉を受け、レイの目が驚きに見開かれる。

「死ぬわけにはいかないの。私だけは、皇族としてっ」


 皇家はもうすでに堕ちていた。

 恐らく、リリィを音楽の教師として任命したときから、愛すべき父と母は――現皇王と皇妃は陥落していた。

 あの女に。

 邪なる者たちに。

 そして、今。

 兄様も姉様も囚われてしまって……いや、殺されてしまった。

 自分も死んでしまったら、ヤツらに堕ちてしまったら、愛すべき国民を守る者がいなくなってしまう。皇族が誰一人としていなくなってしまったら、ほかの種族の当主たちと対話できる者がいなくなってしまう。


 死ぬわけには、いかない。

 絶対に。

 人間の未来のために。


 下方を流れる川へと、カゲツとレイは跳んだ。

 落ちていき――ほんの数秒で、ばしゃんと上がった水しぶき。

 一度、水面へと顔を上げ、深々と息を吸い、再び身を沈める二人。

 水底へとできるだけ近付き、水流を利用し、すいすいと泳いでいく。

 ここの地図は頭に入っている。

 向かう水路を見逃すことはない。


 こうして。

 皇女カゲツ=ワイファウンダーの暗殺作戦は、に終わった。

 真夜中におこなわれた、ほんの三十分も経っていない出来事だ。

 まだ、都市は眠りに落ちている。

 遠い遠い、辺境の小さな村で生きる子どもたちも、寝息を立てている。

 イイ夢を見ながら。

 悪い夢を見ながら。


 夜は未だ、深いのだ。

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