2部1章 皇女による暗殺作戦 4

 リリィ=ブイホルダーは、カゲツにとって音楽の先生だった。

 正確には、カゲツだけではない。カノジョの兄と姉にとっても、そうであった。

 皇族としてカゲツたちは、幼少の頃から多様な教育を受けてきた。音楽、文学、彫刻などなど、様々なものを。

 そのうちの、音楽という科目の先生を務めていたのが、リリィだったのだ。


 先生と生徒の関係だったとき、カゲツにとっては善き先生だった。

 優しく、温和で、朗らかで。ほかの芸術教育は退屈で仕方なかったけれど、音楽の時間だけは好きだった。

 その日がくるのが、待ち遠しかった。

 それほどまでに、先生に会えることが楽しみだったのだ。

 なのに。

 なのに。

 どうしてカノジョは、邪教の教祖になってしまったのか……。


 いつから、そうだったのか。

 カゲツは、国防の道に進むため、兄や姉よりも先に芸術教育を卒業した。それに充てていた時間を、武具の扱いや戦闘術といった鍛錬に、戦術の勉強に変える必要があったから。


 卒業して以降、リリィには一度も会うことはなかった。

 会わなくなってから、何かしらの理由があって、邪に堕ちてしまったのか。

 それとも……。


 先生だったときから。

 先生として皇家に出入りするようになったときから。

 そうだったのか。

 皇家に付け入るために、先生としてやってきたのか。


 わからない。

 わからない、が。

 今、奥へと――謁見の間へと入っていったアイツは、敵だ。


 もう、先生ではない。

 あれは。

 あれは。


 敵だ!!!


               ※


 カゲツとレイは、謁見の前へと駆け込んだ。

 次の瞬間、リリィが電源を入れたのか、暗かった空間がパッと白く染まった。

「……なんだ、これは……」

 天井から提げられた電球シャンデリアが点き、明るくなった空間に飛び込んできた光景を突き付けられたカゲツの口から、恐怖の声が漏れた。


 この世のものとは思えない。

 そんな光景が、目の前に広がっている。


 地面に整然と並び立っている、大量の腕と脚。

 腕も脚も、指を上にして、線を描くように立っている。

 その様、まるで花が咲いているよう。指が、花弁に、見えなくもないのだ。

 俯瞰して見ていないから、その人肉の花が何を形作るように咲いているのかはわからないけれど、その構図は確実に何かの様式にしか見えない。

 なんとも、絶望的で、意味不明な、光景。

 並大抵の、真面な人間であったら、これだけで充分に震え上がるものだ。

 しかし、カゲツにとって。

 この肉の花畑を上回る絶望が、ある。


「兄様っ! 姉様っ!」

 親愛なる家族は、宙に吊るされていた。

 謁見の間のおよそ中央に位置するところ。

 二人の両腕に巻き付けられているのは、赤黒くブヨブヨとした質感の何か。それは天井に向かって伸びているけれど、天井まで達しているかどうかは視認できない。

 

「兄様っ! 姉様っ!」

 再度、カゲツは悲鳴を上げた。

 けれど、二人から返事はない。

 ぴくりとも動かない。

 でも、それも当然か。

 だって。

 だって。


 裸の上半身が縦に大きく、パックリと、引き裂かれているのだから。


 兄と姉の上半身は、胸の中ほどから下腹部まで、縦一本に裂かれている。

 一糸まとわぬ姿だから、傷口からはぞろりと、臓物が零れ出ている。臓物と体内がまだ繋がったままだから、臓物はぶらぁんと宙に垂れている。

 その、二人の臓物は、中ほどで繋がっていた。

 臓物同士が、二本の紐を捩じって結んで一本に合わせるように、ねじねじクルクル繋がっているのだ。

 二人の臓物の先端からは、ポタ、ポタ、ポタと、赤い雫が落ちている。

 その雫を反射的に追うと……落ちていく先には、大きめの盆が置かれていた。


「兄様、姉様……」

 カゲツの目に、涙が浮かぶ。

 もう、二人は。

 二人は……。

 死んでしまって……。


「あはぁ~あ。泣かないでいいのですよぉ? 二人は生きているのですからぁ」

 敵の声が響き渡った。


 生きている?

 あの状態で?

 あんな、上半身が裂かれ、臓物が零れ出ているのに?

 それは……。

 それは、それで……。

 真面じゃない。

 ぶるっと、カゲツの身が怖気に震えた。


「あ、まっちがえましたぁ~。生きている、のではなくてぇ、生かしている、と言うべきですかねぇ。あはははははははははははははは!」

 高笑いが空間を刺す。

 リリィは、いつの間にか、盆の傍に立っていた。

 つい今の今までそこにはいなかったのに。


 生かしている?

 それはつまり……。

 それはやっぱり……。

 死んでいる、ということだろう。

 邪な力で強引に理を無視しているだけで、もう家族は死んでいるのだ。


「……どうして……」

 どうして、兄様と姉様は、死んでしまった?

「……なんで……」

 そんなの、決まっている。

「……お前が……」

 アイツが、殺したんだ。

「お前がぁぁぁぁあ!」


 駆け出す、カゲツ。

「姫様っ!」

 衝動に駆られた主君を抑えようとレイは右手を伸ばしたが、宙を掠めただけ。抑止できなかったから、カノジョは主の剣となり盾となるため、すぐに駆け出した。


 リリィは、高笑いを続けたまま、右手を盆に伸ばす。

「貴重な皇家の血。ですが、せっかく偉大な剣姫つるぎひめ様が激情を向けてくださっているのですから、お相手しなければ無礼というもの。フフフ、フフフフフフ……」

 ちゃぽん――細い指先が、盆に溜まるものに触れる。

 鋭く、けれど優雅に振り上げられた右手。

 指先から、赤い雫が、宙へと舞う。


「来たれ、邪僕じゃぼく


 その詠唱は、

 宙を舞っていた血が停止し、刹那、スーッと、薄く引き伸ばされていく。

 やがて――それは百七十センチほどの円盤となった。


 事態の変化。

 直面する異常さ。

 対峙するカゲツの中に、さすがに、衝動をググッと抑えるほどの不穏も芽生えた。

 足を止めたカノジョの脇を二歩ぶん通り過ぎ、レイが主の矛と盾になれるよう槍を構える。


 血の円盤。

 その表面に、波紋が立つ。

 次の瞬間――

 は勢いよく飛び出てきた。


 ギィ、ギギィ、ギギギギィ!

 耳障りな音で鳴くソレは、巨大なネズミのような体躯だ。

 とはいえ、こんなネズミをカゲツもレイも見たことがない。

 短い両脚は筋骨隆々で、指には赤赤とした長く鋭い爪が生えている。

 短い両手も同様で、筋肉の盛り上がりが凄く、その指には真っ赤な爪。

 全身を覆う体毛は……ない。

 皮膚を引っ繰り返したような、テラテラ、ヌメヌメとした体表だ。

 鼻は異様に長く、二つの目はまるで蜻蛉とんぼのようなもの。


 異様だ。

 異形だ。

 間違いなく、この世のものではない。

 血の円盤が弾け、ボタボタと床を赤く汚す。

 

「姫様っ! 下がってくださいっ!」

 そう吠えた、刹那。

 レイは両手で握った槍を、思い切りその異形へと突き出す。

 ――ぎぃん。

 金属同士の衝突音が一回。

 レイの鋭い刺突は、異形の肉体を貫くことはなかった。

 鮮やかすぎて禍々しい真っ赤な爪で防がれてしまったのだ。


 まさか、そんな。

 カゲツとレイ、両者の内に驚きが生まれる。

 レイの槍の一撃の威力を、カゲツはよくわかっている。レイにも自負がある。

 だから信じられなかった。

 まさか獣の爪で防がれるとは思っていなかったから。


 でも。

 それもそうだと、今の二人は考えを改めている。

 ただの獣であれば、信じられないことだけれど。

 眼前のコイツは、異形の獣なのだから。


 きしぃぃぃぃぃぃぃぃぃん――

 矛先と爪が鍔迫り合いのように圧し合い、金属の擦れ続ける音が響く。


 ……今が好機っ!

 カゲツが異形の頭部に狙いを定め、一歩右足を踏み込みながら、右手の剣を突き出す。

 と、異形の上体が後ろに僅かに傾いた、瞬間――異形は後ろに跳んだ。

 空を突くだけに終わるカゲツの剣。


 後退した異形は、着地するや、ビュンと凄まじい勢いで跳び込んできた。

 レイが向かってくる異形の進行方向に立ち、槍を思い切り突き出して迎え撃つ。

 ――がぎぃん!

 先ほどよりも苛烈な金属音が鳴る。

 槍の柄を通じて、レイの両手を痺れが襲う。歴戦のカノジョであるが、その痺れは感じたことのないほど強いものだった。細胞が震える、むず痒い不快感に、奥歯を噛み締める。


 レイは、圧し合いに移行するのでなく、自分から槍を引き、改めて突き出した。

 繰り出される連撃。

 連撃、連撃、連撃。

 連撃連撃連撃連撃連撃。

 ――ぎぃん、ばきぃん、がぁん、ぎゅいん、ぎぃん。

 矛先はすべて、爪とぶつかり合った。

 その攻防、戦いに慣れていない者では目で追えないほどの速さ。


「ッッッ、うおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 左足を強く踏み込み、レイはひと際の力を込めて一撃を繰り出す。

 その一撃も、爪で防がれた。

 しかし、重みに抗えなかったのか、異形の爪は両腕ごと上に弾かれる。


 カゲツが鋭く動いた。

 左足を踏み込みながら上体を右に捻り、溜めた力を一気に解放して両腕を走らせる。

 狙うは、敵の胴体ではなく、あの無防備になっている腕だ。

 胴体や頭部を断つことができればそこで決着を付けられるかもしれないが、あの両腕両足の筋肉を見る限り、全体的にだいぶ筋肉質だろう。自分の力では、頭部や胴といった分厚い部位を狙っても、致命となるほど刃を通せないかもしれない。

 だから、致命の一撃は、レイに任せる。

 そのために、あの厄介な腕を、一本でも斬り飛ばすことができれば……。


 刃が異形の左腕に当たる――そのまま、カゲツは振り抜くことができた。

 左腕を斬り飛ばし、続けて、振り抜いた直剣は右腕も両断した。

「レイっ!」

 カゲツの鋭い合図。

 それを受ける前から、レイは槍を大きく引いて力を溜めていた。

 狙うは、異形の頭部。蜻蛉のような眼と眼の間。

 突き出された槍は――見事、貫いた。

 そのまま、槍を左側へ思い切り振るう。

 遠心力もあって勢いよく飛んでいった異形は、べちゃっと壁に激突した。

 壁を赤く汚しながら、ズルズルと落ち、床上でビクビクと震えるそれは、数秒で震えも止まった――かと思えば、どろどろと身が崩れ、真っ赤な汚泥と化した。

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