2部1章 皇女による暗殺作戦 3

 兄様、姉様――愛する家族の部屋は、もぬけの殻だった。

 窓から射し込む月光を半身に浴びながら、カゲツはレイと通路を階段へ向かっている。

 手短に話し合った結果、対象の暗殺を決行することにしたのだ。


 今作戦は、大きく二つ、達成すべきことを設けていた。

 一つはもちろん、兄と姉――第一皇子と第二皇女を救出すること。

 そしてもう一つは、この国を蝕む邪なる者――邪教の教祖を殺すこと。

 助けることも殺すことも、達する結果は同じだから、実質、目的は一つとも言えるが、戦うことと逃がすこととは同時に行えないため、二つに分けて作戦を練ったのだ。


 ……最良な展開は、もう無理よね。

 兄様と姉様をまずはこの屋敷から、《アイ花宮》から外へと連れ出す。

 二人の安全を確保した後、レイと二人、再び屋敷へと戻り、邪なる者たちを一層する。

 その流れが、作戦を練った段階で導き出した、最良の展開だった。


 しかし、肝心の兄と姉はいなかった。

 こんな、眠っていなければおかしい時間帯に、私室にいなかった。

 もはや、最良の展開は望めない。

 だから、殺すことを優先することにした。

 兄と姉がどこかにいるとして、敵を排除した後、探せばいいのだから。


 向かう先は、敵の私室。

 カゲツとレイは、大階段へと戻ってきた。

 途中、ここに勤める給仕係たちの部屋を確認していこうかとも思ったが、やめた。

 兄と姉と一緒に外へ連れ出すことは作戦を練る段階でもちろん考えていたが、給仕係たちだけを連れ出すことは一切考えていなかった。


 命の選別。


 最低なことだ。

 極めて、最低なことだ。

 そんなことはわかっている。

 だとしても、しなければならないときがある。

 誰しもを救うことなんて、決して、できはしないのだから。

 ましてや、敵が強大であればあるほど、選ばなければならない。

 国の未来のために。

 我々、人間族の将来のために。


 ――♪、♪、♪。


 一階へ降りようと、段差に右足を置いたとき。

 不意に、歌声が聞こえてきた。

 カゲツとレイ、二人は揃って反射的に振り返り、三階のほうを見上げる。

 一瞬で鳥肌が立った。


 黒いフリルが目立つ、黒いドレスを着た。

 黒い華の飾りが目立つ、黒いブーケを被った。

 華奢な老婆が一人、いた。

 歌っていた。


 レイがすかさず、カゲツの左斜め前に立ち、槍を両手で構える。まだ硬直しているカゲツと違って適切な動きをとることができたのは、カノジョが歴戦の兵士だからだ。

 斜め前に立ったのは――カゲツを背中で隠さなかったのは、カノジョの視線を塞がないためだ。カゲツを何がなんでも守るために、敵が何かすれば自らが盾に、命の壁になる。かといって、視線を塞いでしまえば、それはそれで、主の身を危険に晒すことになる。だからこその、斜め前という立ち位置なのだ。すぐに壁にもなれるし、視線も塞がない。


 ハッとした、カゲツ。

 その美しい顔が、峻烈な感情に歪む。

「リリィ!」

 カゲツは怒鳴った。

 怒鳴ったのは、もう、疑う余地がないとわかったから。


 信用している情報屋から、邪教の存在を忠告され、邪教の教祖の正体を教えられたとき、カゲツは信じられなかった。

 自身でも情報を集め始め、段々と疑念を深めていっても、断言はできなかった。

 正直。

 殺すつもりでここへと来た今も、まだどこか、もしかしたら違うのでは……という思いがあった。いや、違って欲しいという願望があった。


 けれど、今このとき、もうそんな願望はない。

 間違いなく。

 疑いようなく。

 敵だ。


 歌声が止む。

 清らかで、透き通っていて、しかし厚みもあって艶やかでもあるという、相反するとも言えるだろう素養を併せもったその特別な声を発していた唇が、三日月を描く。

 老いた顔に刻まれている皺も、表情筋が動いたことによって、形を、深さを変えた。


「おや? 悲しいですねぇ。昔みたいに、、って呼んでくれないなんて」


 リリィ先生。

 その言葉に刺激されて、カゲツの視界に思い出が重なる。

 つい数年前までの思い出。

 今より幼い自分が、あの敵に向かって、笑顔を向けている。

 リリィ先生! と、笑顔を向けている。

 そんな思い出だ。


 カゲツは、右手を掲げる。

 今、ヤツに向けるのは、笑顔ではない。

 向けるのは、剣の切っ先だ。

「兄様と姉様はどこだっ!」

 空間を震わせた怒気。


 対して。

 うふふふふふふふふ、と穏やかに笑うリリィ。

 向けられる感情に、鈍いわけではない。

 怒気も殺意も、ハッキリと受け止めている。

 受け止めた、うえで。

 穏やかに笑っているのだ。

 それは、なぜか。

 単純なこと。

 まるで脅威に感じていないからである。


 リリィが、右手を挙げた。

 何かしてくるか!と、レイが槍を握る両手に力を込める。

 か細い老体の手は……緩慢な動きで、手招きした。

 そして、スゥーッと、黒い姿が後ろへと動く。


 ついて来い。

 そう伝えてきていることは、明らかだった。


「レイ、行くわよ!」

「はいっ」

 硬い声で返したレイが、すぐ様、駆け出す。

 レイが前という陣形は崩さず、階段を上がっていく。

 三階に上がりきって見えたのは、奥へ伸びる通路をこちらを向いたまま後退する敵の姿。


「邪な力か」

 あり得ない光景に、カゲツは反射的に呟いていた。

 ただ後ろ向きに進む。それだけなら、ただの人間でも可能だ。

 しかし、床材から明らかに浮いて、宙を滑って後退するなんて、普通の人には不可能。

 何かしらの力が……真っ当な人間には使えるわけがない力が使えないと、おかしい。


 敵は、通路の奥にある、開きっ放しの大扉の奥へと滑り込んでいった。

 そこは、謁見の間。

 限られたときしか開かれることのないのに、まさかああも大っぴらになっていたとは。

 直感が働く。

「兄様、姉様……」

 あそこにいると確信が持てたからこそ、カゲツは呟いていた。

 それは、これまで多くの死線を超え、場数を踏んできたレイも、同じ。


 決意を固めた二人が、通路を駆けていく。

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