2部1章 皇女による暗殺作戦 1

 大都市【リーリエッタ】は広大な土地であるが、長い年月と共に各地で増えていった人間族の繁栄に合わせ、次から次へと定住する者が現れ、上空にも地下にも生活圏を拡大していった。

 現代の技術で可能な限り、建築物を上へ上へと伸ばし。

 現代の技術で可能な限り、下へ下へと空間を掘っていく。

 大都市リーリエッタは、ほかの大多数の町村とは違い、酷く乱雑で、昼夜問わず阿鼻叫喚とした様相である。


 そんなリーリエッタではあるが、静謐とした場所がないわけではない。

 いや、ないわけではない、という言い方はあまり正しくないだろう。

 ないわけではないという表現だと、多くはないが複数はある~と聞こえなくもないから。

 もっとも正確に言い表すのなら、こうだ。

 一カ所だけ、ある。


 名を【アイ花宮かきゅう】と呼ぶ。

 人間族を統べる皇家の者たちが、公務や休暇で王都からリーリエッタへとやってきた際、生活を送るための場所だ。

 リーリエッタの中で、最も王都に近い区画の一角にある。その区画とほかの区画との間には、分厚い人工林と人工河が渡っていて、一般住民の生活区域からは当然ながら離されている。

 加えて。

 森の一番端には警備隊が立っているから、住民は軽々しく立ち入ることはできない。

 仮に忍び込めて、森の茂みに潜むことに成功したとしても、その先、悪だくみはまず困難だ。

 森を抜けた先にある人工河は、三カ所ある橋でしか渡ることができないのだが、当然、そこにも厳重な警備が敷かれているから。おまけに、森を超えた先――河に至るまでは開けた空間になっているため、隠れることもできない。

 つまり、どういうことかと言えば……。

 悪だくみして花宮に潜り込もうとしても、まず、見つかり、追われ、捕縛され、極刑される。

 そういうことだ。


 花宮に何事もなく入ることができるのは、限られた者たちのみ。

 その限られた者とは、

 皇族、

 皇族の従者、

 そしてその日の警備担当ぐらいなもの。

 極めて厳重に守護されている場所であり、滅多に問題など起きるはずもないのである。

 そんな花宮で、今――


 ――人間の頭が一つ、宙を飛んだ。


               ※



 灰色の石壁に囲われた、とても美しい大庭園に、大量の鮮血が散る。

 日頃、庭師が懇切丁寧に可愛がっている可憐な花々が、血しぶきで汚れた。

 ――どさっ。

 宙を舞っていた新鮮な生首が、花壇の一つに落下して転がって止まる。


「姫、邪教どもの防備は、手薄のようですね」

 長身の女性が、辺りに厳しい視線を遣りながら、すぐ脇に立つ女性に話しかけた。

 長身女性の右手には、そのカノジョの背を大幅に上回る長さの槍が握られていて。その矛先は、赤く、ぬらぬらと光っている。新鮮な生首を作ったばかりだからだ。


「表向き、今も、私たち皇族の憩いの場だからでしょ。まあ、この先はわからないけれど」

 姫と呼ばれた女性もまた、険しい目つきで辺りを窺っている。

 その両手には、二本の直剣。刃は美しく武骨な鈍色を放っている。赤く濡れていないのは、本日、まだ一度も役目を果たしていないから。武器としての役目はすべて、傍で振るわれた槍が担ってくれた。任せきりも武器としては情けないが、出番がなければしょうがない。


「気を引き締めていくわよ」

 歩き出す、姫と呼ばれた女性。

 すぐに、長身女性も踏み出す。

「はい。姫のことは、この命に代えても、必ず御守りします」

「ええ。セオに預けていたぶんの命も、あなたに預けているつもりですよ、レイ。私にとって心を許せる者はもう、セオが離れてしまった今、あなたしかいないのですから」

「勿体ないお言葉です」

「……さあ、行くわよ。あの門を超えてからが、恐らく、本番だからね」


 進む二人の正面――美麗な庭園に設けられた道の先にあるのは、巨大な宮殿。

 本来、皇族と、皇族に許された者たちのみが立ち入ることのできるそこには、今、打ち倒すべき悪意が満ちているはずだ。


 ……とはいえ本当、あまりにも手薄よね。

 宮殿の大扉まで来たところで、姫は不穏なものを感じ、庭園を振り返った。

 自分たちが歩んできた庭園には、今、亡骸が一つだけしかない。

 正直、石壁を超えてここに入ったら、もう少し殺すことになると予測していたのに。

 皇族である私に対し、立ち入りは認められませんなどという、本来であればあり得ない発言をしてきた不届き者――つまり、我々人間族を蝕んでいる邪な者たちは、一人しかいなかった。


 ……誘われている? いや、まさかな。

 今晩、夜も更けに更けった頃合い、ここを襲うという計画については、自分とレイしか知らないことだ。

 二人だけで計画を練り、二人だけでここまで来たのだから。

 軍で最も信頼している者の一人であるレイが、誰かに情報を漏らすとは思えない。

 となれば、誘われているなんてこと……あり得ないはず。


 ……暗殺されるだなんて考えてもいない、か。もしくは、防備なんていらないほどの余裕、か。

 もしかすると、がいるのかもしれない。

 そうだとしたら、この暗殺作戦は失敗に終わるだろう。

 いくらレイが高能力の兵士だとしても、あの者たちと対峙すれば、殺し合いにもならない。


 ……ルシェルは、魔族討伐と治安維持、調査でコテキのほうへ行っているはず。

 このリーリエッタの守護者でもある、ルシェル=モクソン。

 カノジョは、昨日からの【コテキ】に対する魔族による侵攻への対処で、ここにはいないはずだ。

 そしてまだ、戻ってきてもいないはず。

 だから、今日、作戦を決行したのだから。


 ……もしかしてほかの者が、ここに移されている?

 だとしたら、作戦はもう、現時点で失敗しているようなもの。

 でも。


「姫? 開けても構いませんか?」

「……ええ、お願い」


 意図して、考えないようにする。

 やると決めたのだ、憶測で怯んではいけない。

 覚悟を、決めろ。


 家族を守るために。

 愛するこの国を守るために。

 この国で真摯に生きる人々を守るために。


 この世界を混沌に堕とさないために。


 ――ぎぎぎぎぎぃぃ。

 どれほど注意深くやったとしても軋んでしまう門が、押し開かれていく。

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