2部1章 神々の戦略会議 1
選ばれし存在しかいることができない強固な空間は、とある世界線のとある惑星のとある国に乱立している超高層ビルの一室を真似て構築されている。
灰色のカーペットが敷かれた床に置かれているのは、楕円形の事務机。その事務机を、四脚のオフィスチェアが囲んでいる。
このビルの
しかし、今、模倣されたこの会議室にいる面々は、雇用者ではない。
世界線の一線と、その線に並ぶ星々と生命を管理する神々とその従僕たちである。
「――おい」
痺れを切らしたのは、先ほどからずっと苛立たしい雰囲気を発し続けていた魔神だ。
あらゆる生命が発する陰の感情のうち、邪なるもの以外の大半を司っている神である。 日々、生きているだけで湧いてしまう陰の感情が、星に蓄積し、星を脅かすことを阻止することで、星の維持をおこなっているのだ。
そんな魔神が、右手人差し指の、ダガーナイフのように長く鋭利な黒い爪で、卓上の中央に鎮座している物体を指す。
「このクチュクチュで、本当にあってんのか? 別のクチュクチュと間違ってねぇか?」
クチュクチュ。
そう呼ばれた物体に、一本の華奢な右手が伸びる。
ほかの色すべてを呑み込んでしまいそうなほどの白い肌は、それ自体が光源であるかのように仄かに光り輝いていて。
僅かな刺激でもガシャガシャと崩壊してしまいそうなほどの脆さを感じさせるほどに華奢だ。
しかし。
その脆さは、儚いがゆえのあまりに特殊な存在感というか、強大な力強さも感じさせる。脆く儚いのに力強い。それは矛盾であるが、そんな矛盾を成立させるほどの……矛盾を納得させるだけのものが、その手には宿っているのだ。
か細い、されど間違いなく強靭なはずの五指が、クチュクチュを掴んだ。
クチュクチュは軽く上下に振られ、次いで、卓上に軽く打ち付けられる。
「合っているわ。この、ピンクの、星のクチュクチュで」
そう告げたのは、
ありとあらゆる生命が発する陽の感情は、どれほど美味な料理であっても食べ過ぎれば毒と化すのと同じく、蓄積し続ければ星を犯す。そんな陽の感情が溜まり過ぎないように管理しているのが、この善神。陰の感情が星を毒さないように管理しているのが魔神とは対を成す存在だ。
チッと、魔神が舌打ちする。
「じゃあ、なんで反応しねぇんだよ! えぇ? なぁ。もう転生させてから、どれだけの年月が経ってたんだ! 我らが切札の転生者はよぉ、どこにいんだよ!」
声は怒り猛っていた。憤怒の感情。けれど百パーセントではない。二割ほど、別の感情が混ざっていた。焦燥、切迫、さらに悲哀か……。
溜息を吐いたのは、先端が星形のクチュクチュを握ったままの善神だ。
「怒らないで。大きい声、大嫌い」
「あー! あー! あー! テメェ、この駄目神がぁあ! 使ったクチュクチュ、絶対に間違えてんだろ! ボケたんならちゃんと言ってくれよな! 戦力外しなきゃだからよぉ! あっ、ボケてんだから自分のダメさに気付けねぇ~か! アッハッハッハッハ!」
魔神がさらに声量を上げ、善神を罵倒した。
白銀の双眸で睨みつける善神。
その背後に立つ善神の従僕であるエルフ族の女王も、魔神に攻撃的な眼差しを向ける。自身が崇拝している善神と同じ神という超位存在とはいえ、魔神は自らの信仰の対象ではない。だからこその不遜な目だった。
そして、その目が、突然、ざっくりと割れた。
善神と似た白銀色の目が、たちまち真っ赤に染まっていく。
「おい、エルフ。立場を弁えろ」
魔神の、重く低い声音。
「申し訳、ございません、でした」
赤い鮮血を流す両目を手で隠すこともせず、エルフの女王が深々と頭を下げる。
不遜な態度をとった結果として、こうなることは必然だった。
でもそれは、最初からわかっていた。わかったうえで、エルフは態度に見せたのだ。
「私を侮辱したキサマのせいでしょう」
そう善神が言い終えた、刹那のこと。
女王の目は美しくなっていた。
傷を負った事実そのものをなくしたかのように。
「侮辱されるだけのこと、してんだよ。転生はお前の管轄だろうが。お前、転生させる前に言ってたよな。クチュクチュで転生後の魂も追えるって。追えてねぇじゃん!」
「知らないわよ。私も驚いているんだもん」
「だもん、じゃねぇよ! だもん、じゃあ!」
ブワッと、魔神の感情が一気に高まる。
それを向けられ、浴びせられている善神は、逆にどんどんと凪いでいく。けれどその凪ぎが、意味合い的には、魔神の昂ぶりと同系統であることは間違いなかった。
人間で表すのなら。
怒り狂って他者を傷付けるか。
冷静極まって他者を排除しようとするか。
そういった具合だ。
結局、攻撃的なシグナルであることに変わりはない。
「まぁまぁ、両者、落ち着きなさいよ」
見かねて割り込んだのは、魔神の向かい側に座っている
魔神から分かたれ産まれた神であり、善神と魔神と比べて
任されているのは、星そのもののうちの、大地の部分。
善神と魔神が生命の精神を管理しているとするならば、豊穣神はあらゆる生命の肉体を管理している一柱と言える。大地を豊かにし、生命の営みを可能にするために。
そんな豊穣神が間に入ったこともあって、魔神はケッと悪態を吐きはしたけれど、膨張していた感情をいくらか和らがせた。
善神も同様に、怒りを研ぐことをやめる。
二柱の和らぎを受けニカッと笑った豊穣神は、改めて話題も切り出す役目を担うことにした。
「ところで、お善さん? 今更だけど、クチュクチュってぇのは、何なの? 我、転生ってこれまで関わったことがなかったもんで、関連要素とかもわかっていないんよねぇ」
「クチュクチュはね、転生させるとき、対象の魂を軟らかくするものよ」
「ん~、軟らかく? わかんないねぇ。魂って、軟らかくなるとか、あるの? 神として魂に触れたことはもちろんあるけど、輪郭、しっかりしてるよねぇ。というか、輪郭がしっかりしてるからこそ、その輪郭にパチッと適合した器に生まれ変わるじゃないの」
魂には輪郭がある。
生前の行いによって、亡くなるときまでにかけ、その輪郭は形作られていく。
だから死後の魂は、それはもう千差万別の形をしている。
生まれ変わるときには、その魂の輪郭によって、新しい器が授けられるのだ。
そのため、基本的に、生前に善行をおこなった者は、より恵まれた新生を得る。
一方。
生前、悪事を働いていた者は、罪を犯せば犯すほど、新しい人生も過酷なものとなる。犯した罪によって傷つけた者たちへ、生まれ変わってからも報いるように……と。
「うん、
「……ほぉ、なるほどわかった気がする。確かに、魂とはその世界線ごとのもので、別の世界線と混合することはない。それが当たり前だったら、我ら神々は魂の分別でてんやわんやになっちまうだろうからなぁ。だから、転生のためには、輪郭を壊さなきゃならない。そんでそれに欠かせないのが、クチュクチュ、だと」
「うん」
「……で? そのクチュクチュ、どう使うんだい? 魂をどうするわけ?」
「どうってそれは……こうだよ」
善神が、手に持ったままのクチュクチュで、宙を掻き混ぜた。華奢な手首の運動に合わせて、クチュクチュの星形の先端部がクルリと回されたのだ。
「……え? それだけ?」
くるくる、くるくる、くるくるりん、とやりながら善神が頷く。
「掻き混ぜるだけ、ってこと?」
「クチュクチュ、クチュクチュ、クチュクチュ」
くるくる、くるくる、くるくるり~ん。
「……それぇだとさ、うん、それって……正式名称、
「違うよ」
「えっ?」
「クチュクチュだよ」
「でもぉ我、撹拌機って聞いたことが……」
「クチュクチュ」
「…………」
「……クチュクチュだもん」
「う、うん。そう、やな。うん」
撹拌機だろ!に拘り続けたら痛い目に遭うと判断し、豊穣神は受け入れた。
バンッ!
強い音が響き渡った。
魔神が卓上を叩いたのだ。
卓の艶やかな表面がまったくの無傷なのは、この空間を構築した善神の力のおかげ。
「クチュクチュだの撹拌機だの、んなぁこたぁあどうでもいい! マジで! どうするんだよ! なあ! お前らは
バンッ!
バンッ!
バンッ!
繰り返し掌打される卓上。
煩わしいと思いつつも、善神は不満を口にはしなかった。
同じ世界線を、星を管理する神として、現状、魔神に負担を強いている時間はあるからだ。
豊穣神、そして、魔神の隣でこれまで寡黙を貫いている
魔神の憤怒は、筋違いの
「……いいか。転生者の位置が把握できねぇ以上、今後、どう人間どもの対策をすんのか、真剣に決めなきゃならねぇ。
魔神の言葉が染み込んでいくにつれ、空間を満たす空気は変調していった。
逃げることの許されない神々による戦略会議は続く――。
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