1部3章 生きていくことは、決断

「おやアンタ! ついさっき出て行ったばっかりじゃないかい! 忘れもんかい?」

 出迎えてくれたのは、恰幅のイイ女性だった。両手には絞めた鶏が一羽ずつ。

 この人が宿屋の店主なのだろうか。


「いえ、私たちはすぐにまた発ちます。今ここへ来たのは、この子たちをしばらく休ませてあげて欲しいのです。食事付き、一室で。代金は私が支払いますので」

「えっ、えっ、えっ」

 女性の言葉はあまりに想定していないもので、オレは戸惑いの声を連発した。あまりに間抜けだっただろうが、それほど急なことだったからしょうがない。


 宿屋さんの皺の多い日焼けした顔が、オレとシルキアのほうを向く。

「この子たちって、この二人かい? そっちの子はアンタの連れだもんねぇ」

「はい。金貨一枚でしたら、どれほどの期間、朝晩の食事付きで宿泊できます?」

「金貨ぁ~あ? ちょいとちょいと待ちなさい! しばらくって言うけどねぇ、一体どれほどの期間を考えて言ってるんだい?」


 この国――《バイナンクリプト皇国》で発行されている通貨は

『金貨』

『銀貨』

『銅貨』

 の三種類しかない。

 それぞれ両面にこの国の紋章が刻まれているもので、かつて人間族も同種族で争っていた群雄割拠の戦国時代には、多種多様な通貨があったと聞く。今現在のような王家――《ワイファウンダー一族》に権力集中がされていなかったため、都市の数だけ権力者がいて、その権力者たちが自分たちの力の誇示のために自分たちの家紋や自分たちの肖像を彫った通貨を発行していたから、それはもう商売がハチャメチャに複雑だったそうだ。

 それが、血で血を洗う生臭すぎる同族の争いが時代と共に治まっていくにつれて通貨の種類もどんどん減っていき、やがて王家ワイファウンダー一族が国を、人を統治することになったことで、一種類へと――厳密には三種類へと絞られた。

 そして、その三種類の中で最上位の価値があるのが、金貨である。


 だから店主さんは驚いたのだろう。

 オレもびっくりした。

 小さな町では、金貨なんてまず見かけないからだ。

 日常の様々な商売でも使わない。

 基本的には、最も価値の低く、けれど最も流通している銅貨でのやり取りが主だからである。せいぜい、使ったとしても、銀貨だ。

 金貨なんて、普通の人は、見ないで一生を終えるほどのものでしかない。

 グレンさんも、かつてこう愚痴っていた。

 ――金貨はお飾りだ。流通が少なすぎて使いづらいったらない。

 と。


「どれほど……すみません。少しこの子たちと話をしたいのですが、どこか部屋を使わせてはもらえないでしょうか。すぐに済ませます。それについても支払いが必要でしたら――」

「いらないよ! この村はねぇ、馬と共存するだけの小さな村なのさ! アンタみたいな旅人さんも時々来るし、行商人が使うときもあるから宿屋やってるけどねぇ、そんな守銭奴じゃないの! 話くらいでお金なんて取るもんですか! アンタたちが使ってた部屋使いな!」

 機嫌に障ったのか、宿屋さんの口調は荒かった。

「申し訳ございません。侮辱するつもりはありませんでした。ありがとうございます」

 行きましょうとオレたちへ促したあと、女性が歩き出す。

 オレは宿屋さんに礼を告げてから、あとをついていった。


 素人目にもちょっと雑な造りで不安になる階段を上り、廊下奥の部屋に入る。

 とても簡素だった。束ねたわらを並べて造られた寝所が一カ所あるけれど、その上にあるのは、触れずともわかるほど薄っぺらい焦げ茶の毛布が一枚だけ。あとは木製の机と椅子がひと組のみ。それらも、不器用な村民の手製なのか、不安定な造りで使いづらそうだ。


「毛布の上に腰かけてください」

「ありがとうございます」

 オレとシルキアは、言われた通り座った。草の擦れる音を上げながら身体が少し沈む。

 女性はすぐ傍の壁に凭れかかり、出会ってから未だひと言も喋っていないあの子――少女は椅子にちょこんと腰を下ろした。その灰色の目は、ぼーっと、一つだけある窓へ向いている。


「さて、手短に話しましょう。あなたたちは今後、どうしていくつもりですか?」

 今後、どうしていくか。

 オレはシルキアのほうをチラと見る。目が合うと、妹はくっついてきた。

「……体力が快復したら、リーリエッタに向かおうと思っています」

「そうですか。目的地が決まっているのなら、ひとまず安心しました。でしたら、一ヵ月はお世話してもらえるように交渉しますので、ひと月したら向かってください。ああ。馬も必要ですね。馬も私が一頭、用意します。それで大丈夫ですね?」

「え、あ、あ~、どうなんでしょう」

 大丈夫ですねと言われても、わからない。

 何もかもが初めてのことだから。《リーリエッタ》にも行ったことはないし。


「決断してください。私も悠長にはしていらっ、っっっ、ゴホッゴホッゴホッ!」

 いきなり女性が激しく咳き込んだ。

 右手で口を覆い、軽く前屈みになって、上半身が震えるほど咳をしている。

「だ、大丈夫ですかっ!」

 あまりにも辛そうだったから、オレは思わず声をかけた。


 咳は二十秒ほど続いただろう。

 女性の右手が、口元から離れる。

「えっ」

 目に映ったものは、オレに驚きの声を出させた。


 カノジョは見せないようにだろう、右手を口から離しながら握ったけれど。

 指と指の隙間から、それは洩れていた。

 が。

 どう見ても、どう解釈しようとしても、それは……。


 妹がギュッと抱きついてくる。

 顔をオレの胸元に、ちょっと痛いと思うくらい、強く押しつけてくる。

 血から少しでも逃げようとしているみたいだ。


「あの、あ、何か拭くものを」

「気にしないでください。慣れてますから」

 そう言うと、女性は右手を太腿に擦り付けた。

 灰色のズボンが、汚れる。

 意識が初めてカノジョのズボンに向いたからか、気が付くことがあった。

 あちこちに赤や赤茶、赤黒い汚れがあるのだ。

 慣れていると言ったし、拭ったのだろう。

「…………」

 なんと、言えばいいのか。


「……重い病を患っていて、もう、先が長くはないのです」

「そう、だったんですか」

 青白い顔も。

 黒ずんで見える唇も。

 酷く掠れた、痰が絡んでいるような声も。

 何か患っているかと思ったが、その通りだったようだ。

「だから、申し訳ないですけれど、悠長にはしていられないのです。健常だったら、あなたたちをリーリエッタまで送ることもできましたが。私は、死ぬまでに故郷に……故郷で、死にたいのです」

「故郷は、どこなんですか?」

「ストラクです」


《ストラク》……。

 そこは確か、妖精族の国との境にある村だったような気がするが……、


「ストラクって、確か、妖精族との国境の……」

 「はい。この国でも辺境の辺境にある、ここよりも小さな村です」

 卑下するような言い方だったが、なんとなく、語感は温かいものに感じられた。

 故郷として本当に大切に思っているのだろう。


「ここから行くのに、どれくらいかかるんですか?」

 妖精族との国境の村。

 学舎で習った知識は、その程度だけ。

「順調に行っても、二週間ほどはかかるかと」


 二週間。

 穏やかな日々にある人であれば、長いとも感じる時間かもしれない。

 しかし、大病に毒されている人にとっては、あまりに短い時間だろう。

 それこそ、やりたいことがあるのなら、焦燥感に駆られるくらいには。


 引き止めていてはいけない。

 でも……この村にオレと妹だけとなるのは、あまりにも……あまりにも心細かった。

 とはいえ、そんな自己中心的なこと決して口にはできないが。


「ですから」

 区切りをつけるような言い方だった。

「はい」

 頷くしかなかった。

「支払いなどはしておきますので、ゆっくり休んでからリーリエッタに向かってください。私たちはもう行きますので」


 私、たち。

 たち。

 あの少女も《ストラク》が故郷なのだろうか。

 親子にも姉妹にも見えないから、恐らくは他人だろう。

 そんな人たちが同行しているのは、目的地が同じだったから?

 わからないが……わからないが……。


 そうか。

 ここで無理に別れなくても。

 一緒に行くという選択肢もあるのか。


 ……でも。

 でもそうしたら、《リーリエッタ》から遠ざかってしまう。

 あくまでもオレたちの目的地は《リーリエッタ》だ。

 大都会であり、国軍もいるそこに行ければ、ひとまず命の心配はしなくていいだろう。

 ……どうする。

 提案に甘えてここでひと月休んで、シルキアと二人、馬で向かうのが最善か。

 どうする。どうすることが正しいんだ。

 生存戦略として。


「それでは、行きますね。無事辿り着けること、心から願っています」

「あ、あ、はい……」

 女性が背を向け、続いて、ずっとスンとした表情でいた少女も歩き出す。

 二人とも、部屋から出て行ってしまう。


 ああ、行ってしまう。

 行ってしまう……。

 たちまち、不安が込み上げてきた。

 いや! そんなことでどうするっ!

 これからはオレがシルキアを守らなきゃいけないんだぞ!

 二人になった程度で不安になって。そんなことでこれから先……これからの人生、やっていけるのか?

《リーリエッタ》に行くまでの間、馬に乗ったとしても、何週間も夜を超えなければならないんだぞ?

 不安になって、どうする!


 ………………………。

 ………………。

 ……でも。


「ねえ? お兄ちゃん」

「ん?」

「あの女の人たち、行っちゃうのぉ? お別れなのぉ?」

「ああ、うん。少し遠いところに、急いで行かないといけないみたいでさ」

「病気、すっごい悪そうだったねぇ」

「そうだな」

「……いいのかな」

「え?」

「助けてもらったのに、できてないよぉ」

「…………」

 シルキアの顔を見詰めたまま、口を開いたはいいが言葉が出てこなかった。


 恩返し。

 助けてもらったのに。


「お兄ちゃん。グレンさん、言ってたよぉ? 助け合いは大事ってぇ」

 ハッとする。

 思い出した。

 ――正しき者に助けられたら、必ず助け返せ。正しき助け合いは、強固な繋がりを生む。もしも助けなかったとしたら、お前は一生罪悪感を負うことになり、人生が毒される。

 そう、グレンさんは言っていた。

 言っていたじゃないか。


 そうだ。

 シルキアと二人、ここに置いていかれることに対する不安とか、そういうことじゃなくて。

 助けてもらったのに何も返さないで、別れてしまって、イイのか。

 人として、イイのか。


「シルキア、行こう」

「う? んっ」

 きょとんとした顔だったが、シルキアは頷いてくれた。

 オレは妹の手を握ったまま立ち上がった。

 小走りで、部屋から出る。

 二人は、まだ宿屋さんと話していた。


「待ってください!」

 声をかけながら階段を下りる。

 予想外だったのか、女性の切れ長の目が少し見開かれた。

 オレとシルキアは、二人の前に並んで立つ。

「オレたちも一緒に行きます!」

「どうして? リーリエッタとは、ほとんど真逆ですよ?」

「構いません」

「……わかりません。なぜ、突然? 何が目的なのですか?」

「目的、目的は……」

「恩返しっ、でっす!」

 シルキアが言った。

 切れ長の目がさらに見開かれる。

「そう、恩返しです。オレたちの、先生のような人に教わったんです。助けてもらったのなら、ちゃんと助け返せって。なので、今度はあなたを助けさせてください!」

「助けなんて、そんな……」

 よほど衝撃だったのか、女性は戸惑っているようだ。

「迷惑ですか? 足手まといだと思われるのなら、迷惑にはなりたくはないので、一緒には行きません。でも! 道中、重い物を運んだり、火の番をしたり、オレでもやれます!」

「……ですが……」


 と。

 ここで女性が、傍に立つ少女へ顔を向けた。


 少女のほうはと言えば、ジッと、無感動な灰色の瞳でオレたち兄妹を見てくる。

 女性は、少女に向けていた顔をまたオレたちに向け、また少女を見て、再度オレたちに顔を向けて……頷いた。

 何か考え、何かを決めた。

 それは明らかだった。


「わかりました。そこまで言うのなら、一緒に行きましょう」

「はい! ありがとうございます!」

「ということなので、申し訳ございません。宿泊の話はなしということで」

「ぜぇ~んぜん構わないよ! 気持ちのいい人情も見れたしねぇ!」

 ダッハッハッハ! と宿屋さんが豪快に笑う。


 オレたち四人は、宿屋を後にする。

 出入り口のところで灰色の愛馬を引き取り、栗毛を一頭購入した。


「そうだ。共に旅をするのですから、自己紹介しておきましょうか」

 村から出たところで、女性が提案してきた。

「そうですね! オレは、アクセル=マークベンチです! 妹は……」

 ポンと、優しく妹の背を叩く。

「シルキア!」

「はい。アクセルとシルキアですね。私はセオ=ディパル。それでこの子は……」

 女性が少女に顔を向ける。

 オレたち兄妹も見る。

 さすがに、ようやく声が聞けるだろうか。


「……ファム。ファム=フィニセント」


 聞けた。

 キレイな声だった。

 子どもとは思えないくらい淡々とはしていたけれど。


「さて。では、行きましょうか」

 オレたちは、それぞれ馬に乗る。

 オレとシルキアは栗毛で。

 女性……ディパルさんと、ファム……いや、フィニセントさんが、灰毛に。

 二頭の馬は、オレとディパルさんの指示を受け、緩やかに歩き出した。

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