最後に

第19話 最後に

 約二カ月かけて、俺は発達障害――ADHDの診断を受けた。


 まさか自分がまじもんのADHDであり、障がい者手帳まで持てる人間だったとは、二カ月前まで思いもしなかった。


 俺は嬉しい。

 今までの、「なんかうまくいかない」「なんかおかしい」に、ちゃんと理由があったことが嬉しい。それをしかるべきところに認めてもらえたことが嬉しい。

 

 俺の甘えのせいだけではなかったことが、本当に嬉しい。


 ◇◇◇


 発達障害と診断されるのを恐れていたのではない。

 発達障害ではなかったときのことを恐れていた。


 発達障害でもないのに、生きづらさや仕事のできなさを発達障害のせいにしていたとしたら。


 そりゃあんた、あんまりだよ。本当に発達障害で大変な思いをしている人たちに失礼じゃないか。無能さをありもしない病気のせいにするんじゃありません!


 と、俺の中のおかんがキレちらかしていたのだ。


 ◇◇◇


 このエッセイのはじめの方で書いた一節だ。


 これからは、こんなふうに自分を必要以上に責める必要がなくなるのだ。

 これがどれほど俺にとって救いになるか分からん。


 実際、ADHDの診断を受けてから、精神状態が非常に良くなった。

 また、うまくいかないときも、「ああ、今は自分のこういうところが悪さしているな」と冷静に分析できるようになり、対処がしやすくなった。


 客観的なデータを元に自分を知るというのは、なんと大切なことなのだろうか。


 ◆


 俺は三十四歳にしてADHDの診断を受けた。


 俺にはものすごくポジティブな面がある。

 自分が世界で一番幸せで恵まれた人と感じることがよくあるのだが、今回もそうだった。

(今から言うことは、そんな頭の中お花畑野郎の言うことなので、あまり真に受けないでほしい。あと自分に限った話であり、他意や他者を貶めるつもりは全くないので真っすぐ受け止めてくれ)


 この三十四歳という年齢で、自分がADHDだと分かったことは、俺にとってベストだった。


 というのも、俺は三十四歳まで自分のことを普通の人間だと思っていたのだ。

 つまり、普通の人の考え方も理解できるのである。


 俺は障がいがない人の、冷酷な人間に類していた。

 鬱になる前は「鬱なんて甘え」だと思っていたし、ADHDのことをよく分かっていないときは「だからって配慮を強制するのはなんかおかしくね?」と思っていた。


 だから、父親の気持ちも分からんでもないし、今後そういう反応をされても、悲しくはあれど驚くことはないだろう。

 メンタルの強い人間がメンタル弱者を理解しがたい気持ちもよく分かる。


 そういう人間から一変、俺は障がい者枠のすみっこに腰を落ち着けることになった。

 おかげでADHDの人の苦労や悩み、気持ちなどがちょっと分かるようになった。(適応障害以降は鬱に対する考えも変わったしな)


 何が言いたいかと言うと、俺は人生の半分か三分の一を普通の人として、そしてそれ以降の人生をADHDの人として生きることになり、両者の気持ちが分かることができるようになったのだ。


 人生二種盛りである。これほど恵まれていることがあるだろうか。


 ADHDと診断されたその日、母親が俺に「かわいそう」と言った。

 俺は自分のことを「かわいそう」だなんて微塵も思っていない。


 俺はこの上なく、幸せである。


(おわり)


 ◇◇◇


 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 自己満足でしかないエッセイだったが、少しでも楽しんでもらえていたら嬉しい。


 今、生きづらいと思っている方。なんかうまくいかないと思っている方。

 どうか全てを自分のせいにしないでほしい。

 きっとあなたは頑張っていると思う。


 この世の中は生きづらいけれど、なんとか生きていこうじゃないか。

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