第30話 勇気の結果

 もう隠さなくてもいいのかな……。

 陽菜だったら私の過去を笑うことはないだろう、そう確信できた。

 大きく息を吸い込んで、私の心に残った微かな勇気を出す。


 「私ね、いじめられてたんだ」


 情けないことが覚悟を決めているはずなのに、私の声は震えていた。


 「え?」


 陽菜が信じられないとばかりに目を見開く。


 「涼音ちゃんが?いつ、どこで、誰に?」


 陽菜が慌てた様子で聞いてくる。おろおろと落ち着きがない様子に一変した。

 そんな慌てている陽菜の様子を見たら逆に冷静になれた。


 「落ち着いて、過去の話だから。小学校の最後の大会が終わった後にね、クラスのバスケ部の子に――それから広がってクラス全体にね」


 「涼音ちゃんは4組だったから……まさか、辻裏!」


 「うん――」


 「だから、この前……でもなんで?」


 この前の辻裏の私を見下したような態度に合点がいったのか、地を這うような憎しみのこもった声でつぶやいた。


 「昔の私は――あんまり協調性がなかったというか、周囲を見てなかったというか。勝手に練習時間を増やしたり、自分ばっかりシュート打ったりとか。それで恨みを買っていたんだと思う。最後の大会で無理矢理打ったシュートを外した瞬間に今までの恨みが爆発したよんだと思う……」


 「でも、それはチームのことを考えて……」


 「うん――でも、陽菜に言われて気づいたんだけど、きっとその時も伝えられていなかったんだと思う。全部私は一人でやっていたから。みんなが何を重要にするか、とか。もっと話し合う必要があったんだ。」


 だから不満が溜まってしまった。


 「私は気づけなかったんだ。その時は周囲を全然見ていなかったから……それからは教室でハブかれたりとか、上履きを隠されたりとかいろいろ」


 話しているうちに視界がゆがんできた。

 胸に湧き上がる悔しさや思い出したくない光景が目に浮かぶ。

 そして、目から滴る涙が私の視界に映るものをねじ曲げる。


 「バスケは好き。でも、それ以来、バスケットをするのが怖いんだ。コートに立つと、周囲の視線ばっかり考えて、私がシュートを打っていいのかな、とか。そうしたら、段々シュートも入らなくなって……。バスケをすると過去から逃げられないって気づかされるのが嫌で――」


 「涼音ちゃん!」


 最後まで言い終わらないうちに陽菜が私を抱きしめた。


 「ごめんね、今まで気づけなくて。話して、とか偉そうに言ってたのにいじめのこととか涼音ちゃんが苦しんでるの全然分かってなかった……」


 耳元でささやく陽菜の声は低く重たくて、後悔や嘆いているように聞こえた。

 けど、陽菜にはどうすることもできなかったと思う。

 陽菜が異変を感じても、私が陽菜を避けてしまっていたから、何も知ることはできなかっただろう。


 「けど――ありがとう、話してくれて。ねえ、涼音ちゃん。過去は変えられないよ。でもさ、過去の記憶なんて全部吹き飛ばしちゃうくらい楽しい記憶を作っていけばいいんじゃない?」


 暖かい――。

 私を抱きしめる陽菜の体温じゃない。

 もっと別の何かが私を暖めてくれている。

 ずっと怖かった。いじめられているのを知られたらどんな顔をされるんだろうって。

 もしかしたら陽菜もいじめのことを知ったら私を見捨ててしまうんじゃ無いかって、そんな疑念を拭えなかった。陽菜を信頼出来なかった。

 今までずっと”自分”という部屋にこもっていて、外の世界”他人”が怖かったんだと思う。

 でも、部屋から出てみたら外は想像よりも暖かかくて、優しかった。

 今までの憑きものがとれたような感じだった。

 ほおを流れる涙はまるで今までの強がりを洗い流してくれているようだった。


 「陽菜、ありがとね……」


 「……うん」


 「それと――私と一緒に楽しい思い出作ってくれる?」


 「もちろんだよ!むしろ過去のことなんてぜーんぶ思い出させなくしてあげるよ」


 陽菜がおどけた口調で笑った。

 それにつられるように私も笑った。

 陽菜との間に作っていた壁がガラガラと音をたてて崩れ落ちた。

 陽菜との間に壁を感じる。当たり前だ。

 だってその壁を作っていたのは時間でも陽菜でもない私自身だったのだから。

 自信をなくした雨宮涼音を見られたくない。

 心のどこかでそう思っていたんだ。見栄を張って、自然と距離を取って。そりゃ友達になれるわけなんてない。

 だって自分の本当を見せられない相手なんて、友達とは言えないから。

 そんな当たり前のことに気づけないくらい自分を見失っていたんだ。

 でも、これからは……見失わことはないだろう。

 そうなったらきっと、私の親友が道を示してくれるはずだから。

 あとはけじめをつけるだけだ。


「……という事情があって、バスケ部辞めようとしてました。迷惑かけてごめんなさい」


 そう言って、みんなの前で深く頭を下げた。

 みんなは私が戻ってもなにも聞かずに歓迎してくれた。

 まるで、なにもなかったように。 そうして、いつも通りの練習がスタートしようとしていた。

 けど、みんなに集まってもらい事情を話すことにした。私にはその責任があるから。


 「事情がどうであれ、私は涼音ちゃんが戻ってきてくれて嬉しいよ!それと、これからはちゃんと教室でも話しかけてね!」


 冗談めかした口調で静香が言った。その言葉に陽菜がくすっと笑った。

 もちろん私は静香の言葉に首を縦に振る。

 静香が本当に嬉しそうに口角を上げ笑った。

 こんなに優しい静香を遠ざけていた過去の自分を呪いたい。


 「辻裏ってやつは……この前の印象も最悪だったが、今はもっと嫌いだね」


 辻裏への辛辣な言葉をつぶやくリリー。

 普段、飄々としていて他人の悪口を言わないリリーが包み隠すことなく嫌いと言うとは……よっぽど練習試合で癪にさわったらしい。


 「まったくだ。こうなったら、一度あいつをギャフンと言わせてやらないとな」


 宮子さんはいたって真面目な顔で恐ろしいことを言う。ギャフンと、ってお嬢様が使っていい言葉じゃない気がするんですが……。


 「暴力はダメだよ」


 静香が慌てたように言った。


 「当たり前だ!私はそんな野蛮人じゃない。やり返すなら勿論バスケでだ!」


 静香の言葉に反論しつつ、拳を握りしめてみんなの前で高らかに宣言した。

 けど、バスケットでやり返すって言っても滅多に試合をする機会なんてあるのかな?


 「また黒山高校と練習試合するの?こんな短期間で何回も引き受けてもらえるのかな?」


 陽菜も私と同じ疑問を持ったようで、首をかしげた。

 宮子さんは言われてから可能性の低さに気づいたようで、むむむ、とうなる。


 「確かに無理かも……赤城先生はどう思います?」


 宮子さんが赤城先生に話題を振ると同時にみんなの視線も赤城先生に集まった。

 また先生のコネで試合をさせてくれませんか?みんなが先生に向ける視線にはそんな気持ちが乗せられているようだ。


 「今から練習試合を提案したとしても、引き受けてもらえるかは怪しいぞ。正直、私は向こうの監督とそれほど面識があるわけじゃないしな」


 やっぱり、無理か……。

 はあー、とみんなの口からもため息が漏れた。

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