第17話 揚げ物ダメ。ゼッタイ。
練習試合があることを知らされてから一ヶ月が経過した。
今日はいよいよ合同練習当日だ。黒山高校との試合があることを聞かされてからは練習に一層気合いが入っていた。
練習試合を組んでくれた赤城先生への感謝は尽きない。
場所は白雪高校で行われるため、いつもと同じ時間に起きればいいのは楽だった。
まあ、楽とはいっても朝起きるのはいつも苦痛を伴うものなんだけど……まだ寝たい、と叫ぶ心の声に打ち勝ち、なんとか布団から這いずり出る。
「おはようさん。ちゃんと起きられたわね」
リビングに降りると母親がほっとした顔でそう言ってきた
。どうやら私がちゃんと起きてくるのか心配だったようだ。
失礼な。高校生にもなって大事な日に寝坊するほどマヌケじゃないぞ。
けど普段、休日には寝られるだけ寝るのが私の信条なのでこの時間に起きることはないし、なんなら起きたら既に正午を回っていることもあるしなあ。
心配されて当然なのかもしれない。
普段の私を考えるとこんな朝早くによく起きられたものだと自分に感心してしまう。
朝一から少しだけ自己肯定感を上がって良い気分で席に着く。
それとリビングに入ったときに気づいたのだが、キッチンから食欲を誘う良い匂いが漂ってきている。
それどころかパチパチとした音も聞こえてくる。普段はパンと卵だけなんだけど、今日は別のものが出てくるのだろうか。
なんてことを考えながら、テレビをつけると土日のため普段と違う男性キャスターが映っていて、なんだか違和感をおぼえる。
ささいな違いだけど今日は休日なんだって実感させられる。
そんな普段と違うテレビを何気なく見ていると母親が朝食を運んできた。
さっきからやけに良い匂いが漂ってきていたからどんな料理か楽しみだ。
一体なにが出てくるのかな?ちょっとワクワクしてきた。
そして私の前に置かれたこの料理は――?
キツネ色のサクサクとした衣に包まれた表面に、一口サイズの断面から見えるのは脂が乗っていてジューシーそうなお肉。
その横に添えられたキャベツは全体の彩りをよくしているだけでなく、肉のくどさも多少は軽減してくれるだろう。
けど、え?これトンカツじゃん。
ちょっと待て、まだ朝一だぞ!
朝一から揚げ物は胃にキツいよ。それにめっちゃ量多い。
「今日は涼音の高校でのデビュー戦だからね。勝つとカツをかけてトンカツにしてみたよん」
褒めて?と言わんばかりに自慢げな顔をしているところが余計に腹正しい。
別に勝つとカツなんてよくある験担ぎだし、そんな私が思いつきました!みたいなどや顔しなくても。
……けど、すごい早起きして作ってくれたんだろうな、揚げ物だし。
きっと朝早くからわざわざ私のために作ってくれたんだ。その気持ちがなによりも嬉しい。
頑張ろう、みんなのためにも自分のためにも。
そして、わざわざ早起きしてトンカツを作ってくれた母親のためにも。
……けど、全部食べ切れるかな、これ?
うぇぇ、気持ち悪い。家を出た時はそれほど気持ち悪くなかったのだが、電車に揺られているとだんだん吐き気を催してきた。
胃の中から存在を主張してくるヤツが原因に違いない。
やっぱり朝から揚げ物はヤバいんだ。私の胃は悲鳴をあげている。
なんとなく残すのもためらわれて全部食べてしまったのもまずかった。
揚げ物のくどさに食べ過ぎも加わったダブルパンチに比例して苦しさも倍増だ。
朝から揚げ物ダメ。ゼッタイ。
休日のため、いつもよりは電車に人がいないのは幸いだった。
きっと満員電車だったら私のダムは決壊していただろう。
うぅ、やばいかも……さっきよりも気持ち悪くなってきた。
こういうときは気を紛らわせなければ!このままだと死んでしまうぞ、社会的に。
目を閉じて何を考えようかと思ったら、この一カ月間の練習風景が自然と浮かんできた。
私と宮子さんとのシュート練習は以前に比べて大分入るようになってきた。
宮子さんは相変わらずレイアップシュートに関してはほとんど決められるし、ツーポイントシュートもフリースローラインあたりから打ったら三割ぐらいの確率で入るのではないだろうか……宮子さんはね。
私に関してはレイアップシュートはなんとか決められることも増えてきたが、残念ながらツーポイントシュートは運が良ければ入るといった感じで試合では使い物にならないだろう。
それと各ポジションごとの動きの確認、誰がどこを守るかなどの約束事も決めた。
私の役割はフリーの味方を探して良いパスを出すこと、レイアップシュートを狙うことだ。
私がレイアップシュート以外のシュートを打てない分、周りへの負担が大きくなってしまうが、それに文句を言う人は誰もいなかった。
だったら私は自分のできることを頑張るしかない。
少しでもみんなの役に立つために――。
なんとか地獄の電車を耐え抜き、駅から出ると空を灰色の雲が覆っていた。
そういえば今日は午後から雨の予報だったな、けどいまから取りには帰れない。
帰りは陽菜にでも入れてもらおうか。
まさか、今にでも降り出さないよね……。
ちょっと心配になって早歩きで学校に向かう。
駅から学校へと向かう道中は同じ制服を着た人が誰もいない。
ランニングをしているおじさんや犬の散歩をしている子供とすれ違い、普段とは違う様子になんだか変な気分だ。
いつも通り校門をくぐり、体育館へ向かうと、意外にも私がドベだった。
せっかく早歩きできたのに雨も降り出さなかったし、ドベだったし、なんだか損した気分だ。
いや、ドベなのはトンカツを食っていて予定より一本遅い電車に乗った私が悪いんだけど。
ちょっと凹みつつも急いで更衣室に行こうとしたときにふと、なんだかみんなの様子がいつもと違うことに気づいた。
「気づいた?」
陽菜がニヤニヤしながら寄ってきて私に話しかけてきた。
「あれ、もしかしてそれ、白雪高校のユニフォーム?」
陽菜の服はいつものジャージではなく、白雪高校と胸にプリントされたユニフォームだった。
「そーなの。赤城先生がくれたんだ」
静香が私のところに来てそう言った。静香の服もいつもの青色のジャージではなくユニフォームを着ている。
静香の手には一着のユニフォームがあった。ど
うやら私の分のユニフォームを持ってきてくれたみたいだ。
背番号二、それが白雪高校での私の新しい番号だった。ユニフォームを受け取りつつ周りを見ると、リリーも宮子さんも白いユニフォームを着ている。
いつもはみんなバラバラな服装でジャージや体操服などで活動していたから、全く統一感がなかったのだが、今日は一体感がある。
感動というより違和感が凄いな……。
「私たちすっかりユニフォームのこと忘れてたから赤城先生が用意してくれてなかったら大恥かくとこだったよ」
陽菜はその場面を想像したのか若干青ざめた顔をしている。
確かに練習試合にジャージで臨むバスケ部なんか見たことない。
陽菜の言うとおり赤城先生が用意してくれていなかったら今日はとても肩身の狭い思いをすることになっただろう。
それにしても、普段はぶっきらぼうな感じでもやっぱり生徒思いの先生だと実感する。
お礼を言おうと思ったが赤城先生は遠目で私たちの方を見ていて、その目はさっさと着替えろと言っていた。
私は頭を下げ、感謝を示してから急いで更衣室に向かった。
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