第3話 はじまりの一歩
「おまたせ」
陽菜は私が持ってきたのがバスケットボールだと気づき満開の花のように笑った。
「一緒にバスケやる気になってくれた?」
期待のまなざしを陽菜は私に向けてくる。けど、私はその期待に応えることは出来ない。
「ううん。陽菜、そこで見てて」
私は陽菜に見ているように指示し、フリースローラインに立つ。
陽菜は私が一体何をするのか分かっていないのか不思議そうな顔をして、私の指示どおり一歩も動かずにこちらを見ている。
いったい、いつからだろう?ここに立つことがこんなに苦痛になったのは。
コートに居ることに恐怖を感じるようになったのは。
今もただ立っているだけなのに心臓がバクバクとしてきて、喉はカラカラだ。緊張からか背中を一滴の汗が伝った。
どうせ結果は分かってるんだ、落ち着け私。
心の中で自分に言い聞かせ、リングに向けシュートを放つ。
綺麗な放物線を描いてネットを揺らす――イメージは完璧でも現実は乖離している。
シュートはリングにかすりもしなかった。床に落ちたボールはボムっと音を立てて大きく弾んだ。いわゆるエアボール、シュートしたボールがリングに当たることも無く外れたシュート。
それからも私はシュートを放った。同じ角度からも、違う角度からも。何度も何度も、シュートを放つ。
しかし、私のシュートは一回もはいらなかった。それどころか半分以上がエアボールだった。
「これで分かった?私はもうシュートが入らないの。今回が偶然って訳じゃない。もうずっと――。私は陽菜のチカラになれない。陽菜の作るチームに私は必要ないから、他の人をあたって」
恥ずかしくて陽菜の顔を直視できない。
こんな情けない姿を見て、陽菜はどう思っているだろうか。陽菜の顔を見るのが怖い。
「いやだ!」
「え?」
もしかしたら馬鹿にされるかもしれない。陽菜は軽蔑の目を向けてくるかもしれない。そう思っていたのだが……
顔を上げると、そこには顔を真っ赤にしながら鋭い目をしてこちらを睨んでいる陽菜の顔があった。
「勝手に必要ないとか言わないで!」
陽菜の声は震えていた。それが怒りに由来するものだということは顔をみれば分かる。
「でも私はシュートが入らないの。今見てたでしょ。私がいても強いチームは作れないんだよ」
「シュートが入らなくてもいいよ。上手じゃなくてもいい。さっきから涼音ちゃんは勘違いしてる。私は涼音ちゃんだから誘ったの。涼音ちゃんだから一緒に部活したいの」
「でもさっき私がいたら結構いいとこまでいけるって――陽菜は上を目指してバスケ部作るんじゃないの?」
雨宮涼音というそこそこバスケが上手なやつがたまたま同じ高校だったから誘ったのだと。バスケが上手だから、そんな単純な理由で私を誘ったんだと考えてた。そうじゃなきゃ、わざわざ私なんかを誘う理由が思い当たらないから。
「勿論勝ちたいよ。けど、陽菜にとっては上手な人とやって勝つより涼音ちゃんとバスケットやることの方がもっと重要なんだよ」
陽菜の言葉は冗談のように聞こえる。勝利よりも私と一緒にやることの方が大事?そんなわけない。陽菜にとって私がそれほど価値がある人間とはとても思えない。
しかし、陽菜の顔は真剣そのものでとても冗談を言っている様子には見えない。
どうして陽菜は私にこだわるのだろうか?
「どうして陽菜にとって私と一緒にやることがそんなに、勝つことよりも大事なことなの?」
どうしても自分じゃ答えが出なくて陽菜に聞いてみたのだが……私の疑問を聞いた瞬間に陽菜の顔がゆでだこみたい赤く染まった。
どうしたのだろう。そこまで変な質問でもないと思うんだけど。けど、今の質問は陽菜の地雷なんじゃ……
当たり前だが人の心は読めない。だからこそ私にとっては何気ない話のつもりでも案外相手にとっては気分を害することになるなんてよくあることだ。
もしかして陽菜が怒らせてしまったのかも、という結論が頭に浮かんできて焦る私だったが、なぜだか陽菜の方もオロオロしだした。
「え~とね、そ、それはですね。そ、その陽菜は、涼音ちゃんのことが好き――。あ、あぁー!も、もちろん友達って意味でね!その、つまりね陽菜にとっては勝つことよりも友達と一緒にやることが重要ってこと」
良かった。どうやら怒っているわけじゃないようだ。それに私が聞きたい理由も返ってきた。友達と一緒にやりたいから、か。今でも陽菜が私のことを友達だと思ってくれているのが嬉しかった。私は私立の中学校に行くことを卒業式まで陽菜に伝えなくて随分怒られたものだ。陽菜には悪いことをした。
あの時にもう私と陽菜の関係は終わったと思ってたのに。
「けど……。シュートが打てない私がいたら足手まといになっちゃうよ?」
それでも、臆病な私は一歩踏み出す勇気がでない。バスケットボールは私にとって嫌なこと、恐怖の象徴になってしまっているから。それにコートに五人しかいないバスケットというスポーツで全くシュートが打てない人がチームにいることはとてつもないデメリットとなる。きっと私が入ったらまたあの時のようにチームに迷惑をかけてしまう。
「涼音ちゃんがシュートを打てないなら陽菜がカバーする。それにシュートだけがバスケットじゃないでしょ?涼音ちゃんまた一緒にバスケットやろうよ」
けど、陽菜は私に手を差し伸べてくれた。
正直まだバスケをやるのは気が進まない。
シュートを打てないことだけでなく、コートにいるだけで昔を思い出し胸がざわざわするから。それに、またあんな風にいじめられるかも、どうしてもそう思ってしまう。
けれども、こんなに陽菜が必死に声をかけてくれて断るのもどうかと思う。
それに、この機会を逃せば一生私は過去にとらわれたままになるという危機感も胸の奥にあった。一生バスケは嫌なもの部活は辛い場所だって思い続けて生きていくのは嫌だ。
もし、また陽菜と一緒にバスケをやったら辛くて苦しい記憶も楽しい記憶で上書きできるかも。そんな期待も私が一歩踏み出すのを後押しした。
「とりあえず、部員が集まるまでの仮入部ってことで。部員が集まったらそのときに入るか決める。それでいいかな?」
逃げるようだが、今はまだ心の整理ができていない。
結論を出すのはもう少し後でもいいだろうと思いとりあえずの妥協点を提案する。
「もちろんいいよ!絶対その頃には涼音ちゃん、バスケ部入る気になってるから」
そう言って陽菜は花が咲いたような笑みを浮かべた。
「私最近歴史が好きになったんだ、日本のね。あ、あと中学校になってから犬を飼い始めたんだ。名前は――」
学校からの帰り道。
陽菜と体育館で話した後、二人で並んで帰宅している。陽菜と私は小学校が一緒なだけあり、家も近い。
もちろん最寄り駅も一緒だ。
陽菜とは小学校以来であり、私は若干の気まずさを感じていたが、陽菜は全く感じていないようだ。
さっきから、矢継ぎ早に話題を振ってくる。
陽菜は昔からこうだった。クラス内にも部活内でも常に陽菜の周りには人がいた。
どうして私と陽菜が仲良くなったか不思議だ。
陽菜のような明るく人に好かれやすい子が私と友達、ましてや親友と呼べるような関係になったのはどうしてだろう。
昔の私は我が強く、人に嫌われることもいとわないわがままな奴だった。
そんな私と陽菜が友達に――考えれば考えるほどに謎は深まるばかりだ。
「ちょっと涼音ちゃん!私の話聞いてる?」
そんなことを考えていたら陽菜の少し怒ったような声が聞こえた。
どうやら考え事に夢中になって会話がおろそかになっていたようだ。
「もちろん聞いてたよ」
「じゃあ陽菜の家で飼っている犬の名前は?」
やばい、聞いてなかった。
「太郎でしょ。ちゃんと聞いてたよ」
「全然違うし。やっぱり聞いてなかったじゃん」
陽菜がほおを膨らませてすねたように言う。当てずっぽうで言ってみたが、もちろん当たるわけがなかった。
陽菜を怒らせてしまったようだ。これはまずい――
「ゴメンゴメン。陽菜の横顔がかわいすぎて話しが入ってこなかったよ」
なんとかして冗談でお茶を濁すしかない。
「もう!それは反則だよ!」
陽菜は顔を真っ赤にしながらうめくように言った。
陽菜は客観的に見ても芸能人と同じかそれ以上にかわいい。かわいいなんて言われなれているだろうにこんなに照れるなんて予想外だ。
だが、これはチャンスだ。
「陽菜はバスケ部を作りたいんだよね?それなら場所の確保とかいろいろ条件があるじゃない?」
「うん。でも白雪高校は部活がほとんどないから場所の確保はしやすそうだよ。体育館を使ってるのも剣道部だけだしね。ただ、部活として成立するためには最低5人部員が必要なんだって」
よし、うまく話をそらせた。しかしもう条件を調べているとは。
陽菜は本気でバスケ部を作るつもりのようだ。
「だからあと三人集めるの手伝ってね」
「え?陽菜がやるんじゃないの?陽菜が言い出したんだし」
思わず驚きの声が出た。高校生になったばっかりで忙しいのに部員集めなんて面倒そうなことやりたくない。
てっきり陽菜がやるものだと思ってたのに。
それに、私は入るか決めてないからあと四人必要だ。
「陽菜転入生だから入ってくれそうな人に心当たりがないの。お願い!協力してくれないかな?」
陽菜は頭を下げて必死にお願いしてきた。確かに高校から入ってきた陽菜よりも私の方が探しやすいかもしれない。
私の薄い人脈でもなにもない陽菜よりはまだ当てがあるだろう――きっとあるはずだ。
それに、陽菜の必死さをみたら断る気にはなれなかった。
「分かった。できる限り協力するよ」
しかし、誘われる側から誘う側になるとは……
協力するとはいったけれど、面倒くさいという気持ちがあるのも事実だ。
でも、これが原因で何かが変わるような期待感もある。ずっと過去を思い出す私の人生が――
「ありがとう!涼音ちゃん」
陽菜は無邪気な笑顔を見せた。
それに、陽菜の笑顔が見られたので悪くないか。そう心の片隅で思った。
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