第14話 陶芸展が始まって

 陶芸展を翌日に控え、井原や生徒数人と律、乾が搬入作業をしていた。生徒の以前の作品も含め結構な数が揃った。生徒の展示コーナーや律が仕上げた色見本を含めた陶芸を知ってもらう入門コーナー、それに加え井原の過去作品の展示もすることになった。

「先生持ってきてくれました?」

律が井原に声をかけると、大きな段ボールの梱包を解き作品を出してくれた。

「うわぁ」

思わず声が出る。陶板とうばんが得意な井原の自信作だった。陶板とは焼き物の絵画版みたいなもの。井原の作品は彫ったり貼ったり凹凸をつけて色を入れ桜の風景を描いてあった。釉薬で出すには難しいと思われる柔らかい色味、正直井原から想像できない優しいタッチの作品だった。

「意外・・・」つい律もそう呟いてしまう。

「おぉ先生てこんな可愛らしいの作るんや」

槙野駐車場の主人が感心して言う。

「意外ってことか?失礼やなぁ」

井原は笑いながらもう一つの梱包を解いて見せてくれた。

「これは?」

硝子の破片を器の底に使っている両手に乗るくらいの大きさの鉢のような器だった。

「香川さんが大学の時に作った作品。陶芸展に何か出せって言ったら、これを置いて行ったわ」

「蛍ちゃんもう居ないんか?」

他の生徒が口を挟む。

「あぁ、イギリスに帰った。デイビットも待ってるしな」と舌を出して律の顔を見る。『待っててくれる?』の言葉でデイビットのことは忘れてた・・・デイビットって・・・頭の中に『デイビット』の文字がぐるぐる流れていく。

「何や?デイビットって。蛍って彼氏いたんか?」乾が律に耳打ちする。

知らん知らん、と乾を払いのけ搬入作業に律は集中する。実際デイビットの存在は確認出来ていない。


 夜九時を回った頃、展示作品は全部並べられ、装飾や案内パネルもすべて完了させた。

「お疲れ様!」

楢崎主任が顔を出し、差し入れに飲み物を皆に渡してくれた。

「いよいよ明日からだな。中田君、初責任者としてよろしくな」と律の肩をポンと叩く。

誰かの中心に立って、ひっぱていくことは律には初めてのこと。律も気合が入っている。

「りっちゃん、楽しみやな」

乾が律に抱き着いてくる。

「おぉ~い、やめろやぁ~」

「なんでや~」

どこでも二人は楽しそうにわちゃわちゃ。

「なぁ、りっちゃん今日泊めて」

「なんでや、たまには実家帰れよ」

「え~、まぁそれもそやな」

律は乾といるといつも笑顔になれる。



 陶芸展が明日からということは、怜央と航の結婚式も迫っている。陶芸展の終わった翌日が式になる。

丁度、この日の夕方、怜央と航も薫の元を訪ねていた。

「いよいよね。おか~んは毎日パックして寝てるのよ」

「何でよ~主役は私なんだから~」

薫は夕飯の準備をしながら怜央と楽しそうに話をしていた。航はソファーで寛ぎながらがくと戯れている。ブリの照り焼き、サツマイモのお味噌汁を作ってほうれん草のお浸し、舞茸やシメジのかやくご飯、とよくある家庭の夕飯。

「ねえ、卵焼き、お母さんの卵焼き作って」

怜央がリクエストするので、はいはい、と薫は冷蔵庫から卵を取り出す。ボールに割り入れ、少し白だしを加えカシャカシャとかき混ぜる。その手を止めずに、薫は話を続ける。

「二人で将来の仕事や家庭のこと話してる?」

「う~ん、まあなんとなくね」

卵焼き用の四角いフライパンに溶いた卵を流しいれるとじゅわぁ~という音とともに卵が沸々と泡立つようにプクプク膨れ上がった。

「怜央も仕事続けるんでしょ?」

「まぁ両立出来ればって思ってるけど」

お箸でくるくると卵を巻きフライパンの片方に寄せて、また卵の液体を流しいれ、じゅわぁ~と音を立てる。

「二人に話があってね」

「え?何?」

「もし良かったら、なんだけど」

岳と戯れていた航も少し耳を傾けながらソファーに座り直した。

「権田のおばちゃんがね・・・」



「じゃぁ~りっちゃん明日よろしく!」

真司は律に実家の家の前まで送ってもらい車を降りた。

「お疲れ!」

律も片手を上げて、自宅へ向かった。

「ただいま~」

ちょっと疲れ気味に玄関の戸を開けたが、岳は出迎えてくれない。

「ちょっと遅くなったから寝てるのか?」

そう思いながらリビングに向かうと楽しそうな声がする。部屋に入ると岳が航に飛びついたり尻尾を振って追いかけたり、その姿を薫と怜央が笑いながら眺めていて、律の帰宅に誰も気づかなかったようだ。

「ただいま・・・」

ボソッと言った律の声に岳がようやく気付いてこっちに走って来た。

「あら、気付かなかった、おかえり」

「律君、お帰り、お邪魔してます」

「律遅かったやん」

それぞれから声を掛けられる。

「あぁ」

ちょっとだけ自分がひがんでいるのが分かった。ちょっと輪からはみ出た気分を感じた。ヤバッ僕って面倒臭いやつ、と自滅した。でもそれはここ最近律の感情が動くようになった証でもあった。昔はそもそも自分は余計な存在くらいに思っていた。姉の結婚で家族が増える、家族の変化や幼馴染の真司の他に、陶芸を通して交流した年の違う生徒や井原先生、蛍、仕事場とは違う人との繋がりで心が柔らかくなっている自覚があった。少し怒ったり、笑ったり、トキメイたり、蛍を思い胸が苦しくなったり、心に動きが加わった…そんなことを律は頭の中で巡らせ

「で、今日も打ち合わせに来たん?」と輪に入った。

「そう、最終打ち合わせに式場に行ってここ寄ったの。あんた遅刻したらあかんよ!」

「分かってるわ」

そう言って律は自分の部屋に上がろうと部屋を出た。

「りっちゃん、待って。おばあちゃん、怜央の結婚式に出席するから、うちに泊まって貰うわよ、いい?」とリビングから階段を上がりかけた律を薫が追いかけて来た。

振り返らず律は「ん、うん。分かった」と返事した。


自分の部屋へ入り、外して胸ポケットに入れてたネクタイを出してベッドに放った。

ふぅ、大きな息を吐く。どんな顔して会えばいいんだろう。そう律の頭に浮かんだ。引っ越してから一度も会っていない祖母。父が亡くなってから何となく避けられているように感じていた。東京で一人暮らしの祖母は時々京都や大阪に来る際、怜央に会ったりした。お年玉や誕生日プレゼントは送って貰ったが、顔を合わすことはなかった。理由は聞いたことはなく、ただ事故のことで自分は恨まれていると勝手に思っていた。

「よし」

律は今回理由を聞くいい機会じゃないかと思った。もう自分の心に正直に動こう、嫌われていたり恨まれていたら、その言葉も受け入れよう。僕が見る靄っとした空の色はきっと自分の心を隠しているからなんだ。ベッドに腰を下ろしぼんやり考えていると、岳が階段を上がってきて律の部屋の戸をガリガリ鳴らした。

「おいおい、おか~んに怒られるぞ」と苦笑いして戸を開けて部屋に入れてやる。律の戸には岳の爪の後が古いものから新しいものまで、幾つもついている。こうして律の気持ちを察してやって来る岳。

 岳のおでこに自分の額を合わせて抱きしめる。

「いつも傍に居てくれてありがとう。まずは明日の陶芸展、頑張る!」

 額は律の鼻をペロッと舐めた。




 『芸術の秋、陶芸を楽しみ、学ぶ展』当日。

開店前に再チェックして律は会場で待機した。陶芸体験コーナーで絵付けの指導など生徒が交代で三人程度来てくれる。井原も電動轆轤のデモンストレーションを見せてくれる予定だ。律は自分の企画が形になったことにワクワクしていた。

 ♪♪♪

「お待たせいたしました。おはようございます。ただいまより開店いたします」

館内の放送が流れ、客が少しずつ入店してくる。金曜の平日午前なのでややまだ客足は少ない。食料品売り場へ向かう主婦が多く、陶芸展ブースは素通りされていく。

「本日より陶芸展開催しております。どうぞご覧ください」

律は通り過ぎる客へそっと声をかける。館内に流れる音楽の方が大きいくらいで、律の声は届いていないのか立ち止まる様子はない。井原が律の様子を見て声をかけた。

「おいおい、そんな焦るな。芸術は感性や。感性がビビビッてなった人が足を止めてくれる」

うん、と律は頷き「どうぞ、ご覧ください」と行きかう客に優しく声をかけ続けた。

「おっまたせ~」

相変わらずのハイテンションで乾がやって来た。何故か作務衣を着ている。

「その恰好どうした?」

「これ、ええやろ♪」

めちゃくちゃ自慢げにランウェイを歩くように見せた。

「井原先生の恰好真似してん。お客さんも気になるやろ、お!芸術家がおる!てな」

乾の発想に律は感心した。何に対しても歩み寄れるところが、乾の良いところ。律が助けられてきたところだ。

「おお~乾君だっけ?君は面白い子やな」

井原が笑いながら話しかける。

「はい、僕がお客さんのハートを掴んで作品を見て貰いますよ!」ハハハと笑いながら、「どうぞ、作品ご覧ください」と行きかう客に声をかけ周辺を歩き出した。

 午後になって少しずつ展示を見てくれる人が増えて来た。教室の今日来ていない生徒やその家族、友人、殆どが身内ばかりだったがそれなりに賑わった。展示を見て貰うだけで何か収益が出るわけではないが、ショッピングモールとしてはこういうイベントで集客数が上がれば他店での売り上げが上がるので催し物は大事だった。しかし作務衣の乾もこの日はそれほど成果は出なかった。

閉店後。「先生明日もよろしくお願いします」そう言って初日は過ぎて行った。



 帰宅するといつも通り、玄関に岳が律を出迎えて尻尾を振っていた。

「ただいま、岳」

律が少しかがんで頭を撫でると一層小麦色の大きな尻尾を振る。と、律のかがんだ視線の先に女性の和草履が見えた。あれ?誰かお客さん・・・頭で考えていると奥から薫の声がした。

「律、おかえり」そう言いながら玄関まで出てくる。

「これは?」

律は大体予想出来ていたが薫に聞いた。

「うん、おばあちゃん来てるよ」

祖母の穂希がもう来ていた。怜央の結婚式前に来るとは聞いていたがまだ四日ほどある。律はもう来てたのか、と心の準備が出来ていなかった。

薫に促されそのままリビングに向かう。部屋に入るとソファーに高齢の女性の姿が見えた。小学生になる前に越してきたから、あまり顔を覚えていない。ソファーから立ち上がった穂希は律の方にやって来て「おかえり」と声をかけた。律は「あ、こんばんは」と答える。

「なぁに余所余所しい、りっちゃんたら」

薫が間に入ってアハハと空気を換えようとする。

「僕、着替えてくるから」

そう言って律は自分の部屋へ上がって行った。

岳はその姿を追ったが、今日は階段の下で律を待った。

 穂希は律の顔を久々に見て胸が詰まっていた。どう話していいのか考えがまとまらない。

「お義母さん大丈夫です?」

薫が気にかけてくれる。

「ええ。私が会わなかったことりっちゃんは怒ってるみたいだね、目も合わせてくれなかったわ・・・」

穂希は心細い声で言った。

暫くして黒いスエット上下に着替えた律がリビングに降りて来る。

「りっちゃんご飯は?」

「あ、ごめん真司と反省会しながら食べた」

「そう、今日の陶芸展初日どうだった?」

「ん・・・平日でぼちぼちかな」

「お義母さん、今ねりっちゃんの企画の陶芸展やってるんです。明日一緒に見に行きましょうか」

どうしていいか分からなくている穂希に薫は話を振った。

「りっちゃん、企画してるの?立派になったのね」優しく穂希が声をかける。

律の記憶には保育園のお迎えにたまに来てくれた着物姿の穂希がある。そして今日もベージュ地に紅葉が描かれた着物を着ていた。

「うん、初めて企画した」ぶっきら棒に話しながら冷蔵庫から缶ビールを出して開けた。

「おばあちゃん、今日も着物なんだ」

「あら、覚えててくれた?」

律は無言でこくりと頷いた。

何を話せば良いか分からないのは律も同じ。そんな空気を察したのか岳はさっきから律の後をずっとついている。

ビールを一口飲んで深く息を吸って律は

「それしか覚えてない、全然会ってないし・・・」

思い切って発した言葉はちょっと強くなった。その後少し沈黙があって

「どうして会いたくなかったの?」

今度は本来の律らしく優しい声色だった。

「会いたくなかった訳じゃないのよ」

薫が横から慌てて言う。

「あ、薫さんちゃんと話すわ」穂希はそう言い「りっちゃんこっちに、おばあちゃんの傍に来てくれる?」とソファーへ手招きした。

ゴクンとまたビールを口にし、ソファーへ律は向かう。祖母の隣を一人分開けて、座った。

「ごめんね、りっちゃん、そんな風に思わせて」穂希はゆっくり律に話し始めた。

「おばあちゃん、りっちゃんと会いたくなかった訳じゃないの。会えなかったのよ」

「それは僕のせいでおと~んが死んだから?僕を恨んでたから?嫌いだからでしょ?」

ビールのせいではなく律は心の声を一気に溢れさせた。陶芸展の初日がイマイチだったことの焦りも相まって、いつも無音の心の中が熱くて熱くてマグマのように思いが溢れて来た。

「おばあちゃん、おと~んは僕のせいで死んだから、ごめん、だから僕を嫌ってるんや、ずっと恨んでたんやろ?僕が悪かった、ごめん、居なかったら良かったよね、僕が居ない方が・・・ごめん、本当にごめん、僕のせいで、ぼくの、ぼくの・・・」テーブルに置いた缶ビールを握りながら一点を見つめ涙が溢れるままに言葉も溢れて来た。

「りっちゃん・・・」穂希は言葉を詰まらせ律の手を握った。

「おばあちゃんが弱虫だったから・・・」ごめんと穂希も涙を流した。

穂希が律と会うのを躊躇ったのは、律が成長するにつれ恒靖に似てきたこと、幼い息子の成長を見守って来たあの日を思い出し、短い生涯を終えたことの悔しさ悲しさを律に重ねてしまうこと、そうして自分も律も辛さが増してしまうこと、ゆっくり律に伝えた。

「あなたを見ていると幼い頃の恒靖がすぐに浮かんで辛かったのは事実。こうして成長していった息子を亡くした悲しみは律を見る度に深まってこのままじゃ、いつか本当にりっちゃんを嫌いになりそうで怖かったの。転校するのを機に直接は会わないことにした。でも薫さんや怜央に律のことはいつも教えてもらってたのよ」

「それでも僕は会いたかった。会えなかった時間はもうないんだよ。もしそのまま会えなくなってたらもっと後悔するやん」

「そうね、おばあちゃんが間違ってたかもしれない。今はそう思う。りっちゃんごめん」

「僕を恨んだりはしていない?」

「当たり前よ、生きててくれてありがとう。ずっとそう思ってる」

「おばあちゃん・・・」

泣きながら二人は抱き合った。すっかり大きくなった律の腕にすっぽり包まれた八十歳前の穂希はあの日からすっかり老い、小さくなっているようだ。手を繋いで見上げていた祖母の姿は今はもうない。

「りっちゃん、顔もっとよく見せて」

穂希が律の頬を両手で覆い見つめる。

「恒靖によーく似てる。男前」

そう言って微笑んだ。その手を律の手が覆い重ねる。

「おばあちゃんの手こんなに小さかったっけ。元気でいてくれてありがとう」

薫は台所から二人を見つめホッとしていた。小学校の運動会、遠足、発表会、卒業式、中学入学、合唱コンクール、修学旅行、体育祭、文化祭、高校入学・・・ずっと写真を送ったり電話で様子を話したり、この年月が薫の頭の中でぺらぺらとページをめくって行った。律の胸に靄がかかっていたように、家族を亡くした穂希も薫も怜央も皆一生懸命生きて来たのだ。

「りっちゃん、おばあちゃんプリン持ってきてくれたわよ。皆で食べよ」

「うん、食べる!」

三人で恒靖がデパ地下でよく買ってくれたプリンを一緒に食べ、沢山沢山話して泣いて笑った。

岳も律の足元に伏せすやすやと眠っていた。

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