第12話 律と呼ばれた
♪ピンポーン
中田家のインターホンを鳴らす怜央。その後方に航がいた。
「あれ?誰も居ないのかな?」
怜央が鞄から合鍵をゴソゴソと探す。
「お母さん今日仕事休みやんな?」
「そう言ってたけど・・・あ、あった」
手にした鍵で玄関を開けた。家の中から岳がワンワンと吠えた。戸を開けると岳は一瞬躊躇したが、怜央だと気付き尻尾をブンブン振って飛びついた。大型犬のゴールデンレトリバーに抱き着かれ言うまでもなく後方に倒れそうになり、航が急いで受け止める。が、結果的に岳の力には敵わず尻餅をついて三段重ねになって、大笑いした。
「分かった分かった岳、ただいま!皆いないの?」
怜央は岳を落ち着かせ、纏わり着かれながらリビングへ入る。
どうやら薫も律も家には居ないようだ。
「ちょっと待ってよう」と二人はソファーに腰かけ岳に舐めまわされながらキャッキャと三十分ほど時間を潰していた。
車庫に車が停まる音がし、一緒に遊んでいた岳がピタッとやめ耳を立て玄関へ走った。
「あ!帰ってきたな」
怜央が玄関へ岳を追って行くと、律が戸を開け「ただいまっわ!」と怜央に気付きびっくりした。
「怜央姉、来てたん?」
律は荷物を置いて怜央にそう言うとそのまま出かけようとした。
「来てたん?やなくてちょっと話があって来たのに、また出かけんの?」
という怜央の後ろから航が顔を出す。
「律君、こんにちは」
相変わらず愛想の良い笑顔で律に挨拶をする。
「航君と二人で、何?話って。おか~んは?」
「それが誰も居ないから・・・ちょっとだけ、ちょっと話聞いてから出かけてよ」
怜央が律の肘を掴んで玄関に引っ張り上げようとするので、もう~っと渋い顔をして律は靴を脱いでリビングに入った。
食卓のテーブルに無理やり座らせられた律に対面して二人が座る。律は何となく嫌な予感がした。
「で、何?」
「あの、僕たち結婚するって言ったやろ」
航がそう口を開けた。
「え?まさか止めるとか?」
律は慌てて立ち上がってしまった。
「違うわ!こら」
怜央が律の腕に手を伸ばして叩くふりをして笑う。
「結婚はします。それで結婚式もします。それが、十一月に決まりました。来月です。出席してください」
結婚式の招待状を律の目の前に出して、怜央が言った。
「え?ありがとう・・・って来月?ちょっと急すぎやない?来月?僕シフト出てるし、何日?」
律は招待状を開いて日にちを見る。
「ごめん、急ぐつもりは無かったんやけど」
二人は申し訳なさそうな顔をして事情を話した。
---
式場見学に足を運んだ二人は、湖畔のレストラン挙式の会場がとても気に入り、「ここにしよう」と直ぐに予約を申し込んだ。
「ありがとうございます、まずアンケートにご希望日程と人数の記入と、料理の種類、バリエーション、それぞれチェックして頂けますか?」
「来年の秋くらいだと丁度一年後やし、空いてるやろ」そう言って航が希望日程を記入した。「令和・・・年・・・」
「ではお調べしますね」
タブレットの画面で担当者が検索して
「あの~平日ですと奇跡的にこの日、火曜が開いていたのですが」
「平日で大丈夫です。仕事が二人とも平日定休で、うちの家族も平日問題なしです!」
「ではこの日程でご予約承ります」
トリマーの怜央も美容師の航も火曜日が定休日で逆に都合が良かった。二人はトントンと希望が叶いご機嫌だった。
「ではこちらのご予約書類にサインをいただけますか?」
航が書類にサインをしようとした時、スマホが鳴って「先に怜央ちゃんサインして」と書類を怜央に渡し電話に出た。怜央が新婦の欄にサインをしようとして、ん?
「あの!これ今年の十一月になってません?」
担当の顔を覗き込むと「はい、ご希望日程がそうなっておりましたので。日程が迫っていて空いているのは先ほども申した通り奇跡的で」とあなたたちが希望したんでしょ!と言う顔をしてこちらを見ていた。
「怜央ちゃんどうした?」
電話が終わって航がハテナな顔をしながらニコニコ怜央の顔を見た。
---
「てことで、航君が令和・・年を間違えて、本当に奇跡的に空いててね。もうこれ運命やんて」と怜央は律に説明しながら眉を八の字にし呆れながら「早くても遅くても結婚するのは決めてたから、ま、ええかってね」と笑って言った。
「航君、天然過ぎる、ククク」と律は笑うのを堪えていた。
「ええねん、律君、笑ってええで。まぁこれで絶対結婚記念日も忘れへんし、いい思い出になるやろ」
「前向きやなぁ、航君、ククク」
「こういう前向きが航君の良いところ。クヨクヨしない。あんたと違うのよ」
怜央は律に言った。ちょっと嫌味に聞こえて律は笑うのをやめて
「いや、前日までの連休に陶芸展の催しをやるから、この日撤収で出勤になってる。僕今回初責任者やから、休めるかな」
「え~弟が出席しないとか無いでしょ。それに・・・」
「それに?」
「おばあちゃん来てくれるって。久しぶりに会えるで」
「おばあちゃん・・・」
滋賀に引っ越して以来、小学生になってから会えてなかった。いや、会ってくれなかった。怜央や薫は時々会っていたらしいが、僕には分からないように会っていた。避けられていた。おと~んの事故の原因が僕だから恨んでるんだ。ずっとそう思っていた。
「僕居ない方がいいかも」
「そんなことない!おばあちゃん、律にも会いたいって言ってたから」
「ほんま?」
律は休みのことは上司に相談することにし、一先ずまだ陶芸展の準備の続きが残っているので慌てて井原の元に向かった。入れ違いに薫が「あら~怜央、航君も来てたの?」とご機嫌に帰宅してきた。律と同じように急な結婚式の招待状を目にし経緯を聞いて大笑いし、一つこれで肩の荷が下りるのかと内心感慨深く招待状を見つめ胸がいっぱいになった。
「今日二人とも泊まって行く?」
「うん、そうしようっかな」
「じゃぁ夕飯手伝って」
「はぁ~い、あの卵焼き教えてよ」
「皆卵焼き好きよね」
「お母さんの卵焼き美味しいもん。そういや、今日はどっか行ってたん?」
「ん?今日はお友達とお茶。子供も大きくなったから、お母さん達はこれから遊ぶのよ、フフフ」
なにそれ~と怜央と薫が台所で話している様子を、岳と航が並んでニコニコと眺めていた。
◇
陶芸教室に着いた律はあと少しの釉薬色見本の続きを独り黙々とやっていた。
到着した時、井原の姿は無く槙野駐車場の主人が一人陶芸雑誌を眺めていた。
「おお、りっちゃん。先生ちょっと出て行ったから留守番頼まれててん。りっちゃん来てくれたから俺帰ってええか?」
「あぁ、大丈夫です。お疲れ様です」
最後の一枚に釉薬をつけ、土の種類、釉薬の種類、掛け方、全部メモを取って分かるように棚に並べようやく窯に入れて焼くだけになった。秋になって日の入りが早くなり気付けば外は暗くなっていた。
「もう六時か」
粘土が少し残っているので、律は一人それを練っていた。土を練る作業は『無』になるので律は好きだった。練りながら「あ!」と思いついた。
律は一人思うがままに手を動かした。
暫くして井原が戻って来る。
「おぉタナカ君、来てたか」
何かに没頭していると気が付かないのは子供の頃から変わっていない。律はとにかく夢中になっている。
タナカ呼びが気に入らないで無視なのかと井原はそうっと近づき様子を見る。結構近くで見ているのに気づかない。
「おい、律!」
耳元で井原が声をかけ、「うわぁ」と初めて律が反応した。
「凄い集中力やな」
井原は笑って「もう完成したんか?」と聞く。
「あ、全部釉薬かけて、棚に並べました。メモも。あ、これ勝手に作ってしまって」
律の手元に手動の轆轤があり、器のようなものが出来上がっていた。
「おお、それは陶芸展には間に合わんけど、今度完成させたらええ」
微笑んで井原はそう言った。
「しかし律、お前の集中力は創作にもってこいや」
そう言いながら棚からタタラの素焼き一枚に割れたかけらを持ってきた。まだ色付けされていない、長方形のA5サイズくらいの大きさだった。
「律、これ好きな釉薬で色付けしてみろ。律の思い描く色で自由にやったらええ」
「いいんですか?」
あぁ、と井原は優しく頷き奥の部屋に行った。
律は暫くそのタタラを眺めじっと座っていた。それから十五分くらいして、おもむろに釉薬の並ぶバケツから色を探した。自分の頭にある色をどう表現しようか、その色に当てはまるものを探し、撹拌し、律の集中力がまた発揮された。何の音も聞こえず、視界には釉薬しか見えず、頭の中とだけ会話をしているようだった。暗い色味に皿の半分を浸け、スプレーガンで青と白になる色を吹きかけた。とは言え、釉薬は焼かないとどの程度の色になるか分からない。律の頭の中の色がこれで表現できたかは実際、焼き上がってからになる。
「おぉ出来たか?」
「うん」
「陶芸もそうだが、創作は集中と想像が大事や。向いでるかもな」
自分の否定していた所を褒められて律は心から力が抜ける気がした。
「仕上がりが楽しみやな、律」
「うん」
律はワクワクした気持ちが抑えきれなかった。何かが始まる楽しみが今は感じられる。
ん?ていうか、さっきから律って呼ばれてるのは気のせいなのか・・・。中田をずっとタナカ呼びされていたのに、何故に急に律呼び。少々困惑しながらも、こそばゆくちょっと嬉しかった。
「窯に入れて焼き上がったらまた連絡する。律、取り出すの手伝いに来いよ」
「はい!」
単なる陶芸教室なので大して大きくは無い電気窯だが生徒の作品と律の作った色見本とこのタタラの皿を後は焼くだけとなった。陶芸展はいよいよ来月になる。
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