第11話 戦隊ヒーロー着ぐるみ隊

 十月の『ガンバれ・スポーツ!』のイベントでマリノスポーツ店は地元出身の元サッカー選手のトークショーも予定していた。

 イベント前日、乾は本部から他の打ち合わせに来ていた。律は休みの日で、陶芸展の釉薬や土の種類の違いを見せる為、色見本のようなものを作りに教室へ来ていた。数日前から

「タナカ君、タタラを作ってそれに釉薬をつけて焼こう」

井原は律にタタ作りを教えていた。タタラとは轆轤ろくろを使わず、粘土の塊を平らにスライスして板状にしていくもの。その板状のものに型紙の円形に切り抜いてサイドに角度をつければ皿も簡単に作れる。律は小さな小皿程度のタタラを作り素焼きの後、釉薬で色をつけ、本焼きをして展示の日に間に合わせなければいけなかった。乾燥させる時間が必要なのでかなり急ピッチで作業しなければならず、休みの日や仕事後に井原の元へ通っていた。蛍も手伝ってくれ、作業は順調に進んではいる。

「しかし、香川さんが居なくなるとワシはのんびり制作できんから困るなぁ」

井原がポツリと呟き、律はそれを聞き逃さなかった。

「それってイギリスに帰るってことですか?」

おっと聞こえたか、と少々わざとらしく井原が頭を掻く。

「いや、帰りたいけど帰れないってとこかな」

「どういう意味ですか?それ」

この日は蛍は教室に来ない日で、井原は「本当は黙ってろって言われていたんだけど」と蛍の話をし始めた。

 蛍は大学卒業後、イギリスの陶芸を学ぶため専門の大学へ留学していた。最後の一年は工房にインターンシップで学ぶことが課題で、結構有名な工房に行くことが出来、蛍は活き活きと創作活動に没頭していた。中学から私立に通い、高校でもなかなか友達が出来なかった。ただ絵を描いたりもの作りが好きでそれだけは自分の自信のある事柄だった。母親が何かと口を出すので、好きなことややりたい事が言えない子だったが、雅芸術大学への進学だけは自分で選択した。そして井原に出会い、創作の自由、発想の自由、生きる自由を学んだ。井原も蛍が自由な世界で発する表現力に気付き、留学の後押しもした。

「あいつの母ちゃんめっちゃくちゃクレーマーでな」と井原は笑った。

「娘をそそのかしたのはあなたでしょ!」て乗り込んでこられたらしい。

「無事、留学したけど、コロナ禍になったやろ。あと半年でインターンシップも終わってってところで、ロックダウン。何もできなくなってな」

蛍の母親は心配したけれど結局渡航は出来ない。あの時期は多くの人が分からないものに恐怖を抱くしかなかった。

「結局、渡航できるようになって即引き返されたわけや」

「そうやったんや」

「もう少し待てば課程をすべて終えて帰ってくるつもりやったから、残りの半年分だけもう一回イギリスに戻って復学したいんやと思う」

律はだから帰りたそうだったのか、と納得したが「じゃ、恋人っていうのは?」とすかさず井原に聞く。

「あぁデイビットな」

「え、デイビット?イギリス人、ですか?」

「ハハハ、まそれは自分で聞け」ククク、ククク、井原はその後一人で笑っている。


♪♪♪


律のスマホが鳴った。画面には真司の文字。電話に出た瞬間「りっちゃん!」と乾の慌てた声が耳に飛び込んできた。



この日の時間を少し戻したころ、乾が打ち合わせに顔を出しているとマリノスポーツ店の店長が事務所に駆け込んできた。

「すいません!楢崎主任、ちょっと助けてくれませんか!」

店長はかなり慌てている。打ち合わせを中断し「どうしました?」と皆が店長に注目する。

「申し訳ないんですが、明日の『がんばれ!スポーツ』のトークショー時間ずらすことできません?主役がスペインからまだ今飛行機に乗ったばっかりらしくて、到着が関空に午前中、そっからだと早くて三時なんで午後一のトークショーにはどうしても間に合わないんです」

「あぁ、それは開催の時間をずらすのは可能ですけど」

「いや、時間変更のアナウンスをこれからしてもきっと当日時間通りに来るお客様は少数でもいらっしゃるかと・・・」

「確かに。待ってもらうしかないでしょ」

「いや、絶対クレーム出るって」

「そうやな」

事務所の面々は対応について案を練り始めた。

「ほな、時間通りで他のなんかショーでもしよか」

乾は自分たちで簡単なショーでもすればいいと言い出す。トークショーのお客様は対象が小学生が対象で告知していた。ならばと物置を探りに事務所の奥に向かった。


物置には文具関連、コピー用紙の箱、防災物品、イベント用看板、様々な物が棚に分かるように置いてある。その奥に大きな段ボールがあって、乾が覗くと、着ぐるみが数着おいてあった。

「これやな」ニヤリとしてまず碧に電話をかけた。そして、律に「りっちゃん!」と慌てた風に電話をしたのだった。


事務所に戻って乾は、楢崎主任と川島副主任に説明をする。五体の着ぐるみがあるのでこれを自分たちが着て、碧の振付に合わせ踊るという。

「私たちが?」

川島副主任が目を丸くして言う。

犬、ウサギ、猫、ライオン、トラ、カエルの着ぐるみを段ボールから出して、乾はやる気満々だった。碧も協力してくれるというので、ちょっとぐずった楢崎主任も了承し、川島副主任、乾、碧、そして律の五人で決行することになった。この時はまだ律は何も知らなかったのだが。



 律は乾の電話で急いでショッピングモールの事務所へ向かった。

「お疲れ様です、何事ですか?」と慌てて事務所のドアを開けると、四体の着ぐるみがダンスレッスンをしていた。律より早くに碧が到着していて、既に振付が始まっていたのだ。

「どうゆこと?」

状況が理解できないでいる律に否応なく着ぐるみを着せながら乾は事情を説明し、「はい、準備オーケー、練習練習!」と律もそのまま加わることになった。

外は秋の夕暮れ。真夏より日も少しずつ短くなっていた。




 翌日気が重い律は事務所で着ぐるみの頭だけ被らず体はトラになっていた。昨日帰宅して薫に着ぐるみを着る羽目になった経緯を話すと、笑って「見に行くね」と言っていたので「来ないでくれ」と願っていた。

 元サッカー選手は順調に当初の予定を遅れて向かっていた。

もうすぐ午後一時。やはり昨夜のSNSでの予定変更告知では伝わり切れなかった子供連れがトークショー予定の会場にそこそこ来ていた。マリノスポーツ店の店員が対応に追われて、代わりのショーがあるのでと席へ誘導している。会場はモールの中心部のイベントスペース。二階からは自由に回廊になっている場所から見えるが、ステージ前には着席椅子がいくつか用意してあった。椅子には親子が中心に着席しショーの始まりを待っている。二階からも何が始まるのか覗き込む者もいて、薫もこっそり二階から覗いていた。

「りっちゃん大丈夫なのかしら」



 井原陶芸教室。午前の部に蛍は来ていた。

「先生、今日りっちゃんお休みですか?」

蛍は教室内を見回しそう聞いた。

「あぁ、なんか昨日大事件でも起きたような様子で仕事場に飛んで行ったわ。それで、今日は緊急事態でトラになるって言ってたな」

「トラ?」蛍は眉を顰めながら笑った。

「なんなら見に行って来ていいぞ、ここ今日は生徒も少ないしワシ一人で十分やわ」

行ってこい行ってこいと蛍を追い払うように井原は送り出し、何でも掴み取れ、自分の気持ちに正直に歩け、と心で呟いていた。



館内放送で「午後一時より当初予定のトークショーの代わりに、スポーツを楽しむストレッチ体操ダンスショーをお送りします。本日予定のトークショーはその後三時からの予定です」とアナウンスされた。

音楽がなり、五体の着ぐるみがステージに登場する。パラパラと拍手がまばらになり、クスクスと笑い声も聞こえる。

律は着ぐるみで顔が見えないでよかったと思うくらい顔が真っ赤になっていた。ウサギの碧が可愛く踊りだし、司会が「皆も一緒に真似してください」と誘導し、小さな子供は嬉しそうに真似をし始める。碧が見本で踊り、その後四体がそれを繰り返し、最終皆が覚えたら客席と一緒に踊る。途中ストレッチ法などをマリノスポーツ店の説明があり着ぐるみたちは一緒にストレッチをしたり、とにかく時間を潰していく。案外ライオンになった楢崎主任とネコになった川島副主任がノリノリで楽しそうにやっていた。律は狭い視界から薫が来ていないチェックし席には居ないことで安心していた。すると、席の奥に立って見ている群れの中に蛍の顔を見つけた。

「え?何で?」急に動作がぎこちなくなる。あぁ、絶対井原先生やん、おしゃべりやん、と心の声が漏れそうになる。乾が様子がおかしい律に気付き傍に寄ってくる。

「どうした?」

「香川さんが居た」

「え?どこ?手ふってみよか」

「やめろ」

カエルの乾はウッシッシと律を揶揄って楽しそうにしている。律は早く時間が立たないかと気が気ではなかった。どうにか一時間が過ぎ、一旦ステージ袖に着ぐるみ衆は下がることになる。暑さもあって袖に下がって頭の被り物を取ると汗だくになっていた。

「うわ~暑いわ~」

各々が水を飲み汗を拭いて椅子に項垂うなれた。

「もう一回とか無理だから~」

川島副主任が絞り出すような声で言う、のをかき消すように会場のざわざわする声が聞こえて来た。

「何?どうした?」

袖から皆で覗くと会場の後方で揉めている客がいた。女性二人。

「お母さん、そんなこと許しません!もう日本に居なさい!」そんな声が聞こえた。乾があれ?と声を出すと一人の女性が「やめて!」と言い「蛍ちゃん!待ちなさい!」ともう一人の女性が言っていた。

「おい、りっちゃん」

「あぁ香川さんやん」

女性の声は大きくなり周りの人垣が離れていく。

「お母さん心配してるの分からないの?イギリスへはもう行かせません」

「こんな人前でやめて。私は中途半端なのが嫌なの。ちゃんとやり遂げて帰ってくるから、行かせて、今はもう一度行かせて!」

蛍が陶芸教室を早く出て行った後に、母親が訪ねて来て、井原が少し話をしたらしい。一旦イギリスに戻してやってくれと。そこで蛍の後を追ってショッピングモールに来て、蛍を見つけたようだ。

「ちょっとこれ止めに入った方が良くない?」

と川島副主任が言い、乾の顔を見た。

「いやいやこの格好では無理でしょ、俺カエルですから」

警備員が出たら大ごとになりそうなので、どうしようかと悩んでいたところ、律がトラの被り物を被り直しステージに走り出した。

「ちょっと!中田君!」

川島副主任の声は律にはもう届いていない。律はステージの真ん中に仁王立ちに立った。乾は慌ててスポットライトのスイッチを押す。

え?

律は飛び出したもののライトに照らされい一瞬躊躇したものの、真っすぐ蛍の方を向いて叫んだ。

「そこのお二人!こんな所で親子喧嘩ですかぁ?」

「はぁ?」蛍の母親はぎろりと声のするステージを見る。

(こえ~)律の心の声が漏れそうになる。

「お母さん、娘さんの気持ちちゃんと聞いてますかぁ?頭ごなしに駄目駄目ってさっきから言ってるように聞こえてるんですけど・・・」

「あなた誰?親子の問題に口出さないで貰えます!」と母親はステージに向かってきた。

「お母さん!」とそれを追って蛍もステージに近づく。

「娘さん、思ってることちゃんとお母さんに言って。思うこと、気持ち言わないと分からないから。ね」

この声は律だと蛍は気付いていた。

「ありがとう」そう言って、蛍は母親に今まで決められた道を進んだけど、自分は陶芸をちゃんと極めたい。自分の好きなことを見つけたから、あと半年で成し遂げられること、それから日本に帰るからやらせて欲しい、と話した。母親は親だから心配するし、親だから間違いのないよう、子供を導くのだと譲らなかった。

「でもお母さん、私もう二十七歳、自分で色々選択して歩いて行きたい。このままだと後悔してお母さんを嫌いになってしまう、それは嫌だから。助けて欲しい時はちゃんと相談もする。都合がいいかもしれないけど、その時は助けて。それまで失敗しても頑張りたいの、自分で。親だったら見守って」

今まで反抗もしなかった蛍は精一杯自分の気持ちをぶつけた。

「蛍ちゃん・・・」母親はグッと握っていた蛍の腕をするりと離した。

「お母さん、彼女の人生は彼女が主人公なんです。見守ってあげてください。彼女の周りには、僕も、あ、いや、友達もいて助け合うはずです」

カエルとウサギの着ぐるみがその言葉と同時にステージに駆けだしてきた。

「・・・」蛍は涙が流れそうになるのをグッと我慢して微笑んだ。


館内放送が流れる。

「午後三時予定のトークショーは時間通り開催いたします。地元出身元スペインリーグで活躍の・・・」その場にいた人達はスター選手が来るのが分かり喜ぶ声や人の流れる音にアナウンスはかき消されるようにザワザワとした喧騒に包まれた。

二階から覗き見していた薫は

「りっちゃんの人生もりっちゃんが主役なの、早く気づきなさいよ」と独り言を言って一階へ降りて行った。

 人に偉そうにものを言ったことなど無い律はどうにかステージの袖に降りて、腰を抜かしたかのように倒れこみ、汗が一層出た。

蛍は一人会場を後にし、陶芸教室の井原の元へ向かった。蛍の母はその場に佇み、サッカー選手の登場を待つ子供たちを連れた親子が、わらわらと周りに溢れる中取り残されたかのようだった。そこへ肩をポンと叩かれ振り向くと、薫がこんにちは、お久しぶりと声をかけた。

「お茶でもしませんか?」

薫に促され二人は人混みの中へ紛れて行った。


「りっちゃん格好良かった~」

乾が律に抱き着いて、りっちゃんりっちゃんと離れない。律は何を言ったか正直覚えてないし疲れだけがどっと押し寄せていた。ただ昨日途中になっていた陶芸の続きをしなければ、と着替えて井原の元へ向かった。途中車を運転しながら自分の言ったことを思い返した。「彼女の人生は彼女が主役・・・」イギリス行きを後押ししてしまった、と少し後悔もした。だけど「じゃぁ僕の人生はの僕が主役・・・」になってるのか、ふと考えた。戦隊ものに夢中で誰かを助けるヒーローになりたかったはずが、そんなテレビに夢中になっておと~んを事故に遭わせて命を奪った自分。周りが責任を感じさせないよう、可哀そうだと腫物に触るように自分に気を使って、挙句の果て誰も知らない土地に引っ越す羽目になった。怜央姉ちゃんだって友達と離れるのは嫌だったかもしれない。自分のせいで我慢させた。家族に迷惑ばっかりかけている。こんな自分が主役になんかなれるわけがない。おばあちゃんだって会ってくれなくなったし。考えれば考えるほどネガティブになってしまう。

「はぁ」思わず溜め息が出た。ただ前方に見える秋の空は青く高く広い。うろこ雲がどこまでも続いていて奇麗だった。頭に過ったネガティブな想いと裏腹、前は奇麗に見えなかった青空が「奇麗な青」だと感じた。

「空がきれい・・・」

そう感じた自分に気付いた。

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