第3話 小学五年生

 夏休みを前にアルバイトの大学生が一人、ショッピングモールの事業管理部へ面接に来た。主任の楢崎ならさきと副主任の川島かわしまが会議室Aで面接をしていた。律が遅番で十一時前に事務所に着いた時、丁度面接が終わり会議室から上司二人と女子学生が出てきた所だった。


「おはようございます。お疲れ様です」

律が挨拶すると、楢崎主任はお疲れっと書類を持った手を挙げ、川島副主任は微笑んでおはようと言いながら女子学生に律を紹介した。

「中田君、来週から事務で入って貰う稲本さん。指導よろしくね」

「よろしくお願いします」と慌てて女子学生が頭を下げた。「あ、こちらこそ」と律は少し間を開けて言う。彼女は普段いるアルバイトと少し違い、真面目そうでスラっとした容姿にブラウスと濃紺のスカート、黒髪のボブヘアに戸惑った。今までのアルバイトは髪の色ももっと明るく結構ラフな服装でやって来たものだ。単なる夏休みのアルバイトというより就活でもしているかと思うような感じだった。

 彼女が事務所を出るなり「中田君、好み?」とニヤリと川島副主任が律を見る。川島は袖のないベスト、所謂ジレをTシャツの上に羽織り、ワイドパンツでお洒落な仕事の出来る女性上司といったところ。四十代の彼女は、女性社員の憧れでもありアルバイトからもカッコイイと人気だった。律のことを弟のように可愛がってくれるのだが、ちょっと子供扱いされるところが苦手だった。

「いやいや、そんな」と川島に返答して自分のデスクに着く。と同時に、事務所の入り口のドアが開き威勢よく入ってくる男がいた。

「お疲れ様ですぅ~いぬい到着しました~本日よろしくお願いします~」

グレーのスーツ姿のその男は律の同期で本部勤務のいぬい真司しんじだった。

「おお~りっちゃん、お疲れさんやな。調子どう?」と律のデスクへ飛んできた。

「お、おぉ、お疲れ様」と少々戸惑い気味に律が答え「お前相変わらずだな」と付け加えた。「そやで相変わらず元気いっぱいです!お前と出会った小学生の頃から変わらず元気モリモリです!」と乾は身振り手振り体で元気っぷりをアピールしていた。

 

 乾真司は律が小学校に入学した時に同じクラスになった幼馴染。家も近かったのでよく遊びに来ていた。引っ越してすぐ友達も居ない律に気軽に声をかけてきたのが乾。明るく誰とでも友達になり、クラスでよくおどけてクラスメイトを笑わせていた。小学生の人気者といえば大体お笑いセンスのある子。モテるというと足が速い子、というのが世の常であった。乾は前者、決してモテないがクラスの人気者だった。静かで自分に自信がない律と何故か乾は気が合い四六時中と言っていいほど一緒にいた。それが中学卒業するまで続いた。

 高校受験の時、律は中の上、乾は中の下という微妙な学力差があり、残念ながら同じ高校へは進学できなかった。それでも夏休みや正月休みはいつも乾が律の家に遊びに来て、縁側でスイカを一緒に食べたり、二人して琵琶湖一周自転車の旅をしたり、初詣に出かけ乾がおみくじで凶を引いて落ち込み、律が励まし自分も引くと同じく凶が出て、結果最悪で最高に面白いネタが出来たと大笑いしたり、青春を共に過ごしてきたのだ。大学は乾が大阪で一人暮らし、律は地元から通い今までほど行き来は無かったものの、偶然同じ会社に入社することになった。配属は乾が大阪本部のショッピングモール部門統括部、律はショッピングモール部門事業管理部となったが、集客イベントなどによく乾は律の部署へ顔を出していた。

「なぁりっちゃん、さっきの大学生の女の子、バイトか?感じのええ子やん」

乾はモテないけど打たれ強く愛想がいいので、律が知っている限り社会人になって彼女が居なかったことはない。

「お前バイトに手出すなよ」

アルバイトの管理を担う律は乾にくぎを刺した。

おどけた顔をしながら七夕イベントの企画会議が始まる会議室Bに向かい、振り返りがてら「りっちゃん!今晩お前んち泊まりに行くから~おか~んにもよろしく言っといてなぁ」と手を振り川島副主任にぶつかりかける。

「コラツ」と呆れられるが、乾は舌を出して駆けて行った。

「あんたの同期落ち着き無いね」川島副主任は苦笑いをしヒールをカツカツならしながら同じ会議室Bへ向かった。

律はパソコンを開け、前日の集客数と売り上げのデータをチェックし、さっき面接に来ていた女子学生の履歴書をパソコンへ入力し始めた。「稲本いなもとあおい、あ、真司と同じ大学。なんか嫌な予感がする…」



 その日の夜。遅番だった律は一人最後まで事務所に残っていた。パソコンをパタンと閉めて「さてと」と立ち上がったその時スマホのバイブがブブブッと震えた。ん?と画面を見ると乾からのメッセージが一件『お先におか~んと一杯始めてま~す』と入っていた。

「あいつ…」眉毛が左右くっつくかと思うくらい動いてから律はふっと鼻から息を吐き微笑み、急いで事務所の電気を消し家へと向かった。




「ただいま」と玄関の引き戸を開けると、岳がニコニコしながらフサフサの尻尾を振って出迎えてくれた。リビングの方から二人の笑い声が聞こえてくる。律は岳に目配せして一緒にリビングに向かう。

「お前他人ひとんちに馴染み過ぎだろ」

「あら、りっちゃんお帰り」薫が岳と同じようにニコニコして迎えた。

「りっちゃん、お先にいただいております!」

ビールを飲んで既に上機嫌な乾がふざけて敬礼しながら言った。薫が律にビールを渡してお皿やらを準備する。りっちゃん乾杯~などと兎に角楽しそうな乾はその後も喋りっぱなしだった。

「小中学生の頃も、真司君よく遊びに来てくれたよね。お陰でりっちゃんの関西弁が上手になった。大人になってからは久しぶりだけど、相変わらず楽しい子ねぇ」

薫は唐揚げやサラダ、肉と赤こんにゃくの煮たやつ、近所のお肉屋さんの肉じゃがコロッケ、琵琶湖のうろりの佃煮、漬物など色々準備していてくれた。話も盛り上がり笑いが絶えなかった。

「そう言えば、真司ここまでどうやって来た?車じゃないと不便やろ?」律が問うと、「おか~んに駅まで迎えに来てもらった」と真司は平然と答えた。は?律が二人の顔を交互に見る。律はいつもマイカー通勤。ショッピングモールは駅近えきちかではなく郊外にあったからだ。県内の公共交通機関はそれほど数がないので自動車所有率は高い。一家に一台ではなく家族人数分持っていても普通というのは大げさでもない。現に律も薫も自動車を持っている。

「真司君が久々に来るって言うから、アッシーしちゃったのよ」薫が嬉しそうに言うと「アッシーっておか~ん、バブリー」と真司が薫を指さしてお道化る。呆れながら律は「アッシーって死語やん」とボソッと吐きながらビールをごくりと飲んだ。


---

 真司は小中学生の頃から母と楽しそうにお喋りをしていた。僕より真司と話している母は笑顔が多くて少し羨ましかった。でも母が笑ってくれることが嬉しく僕は真司をよく家に連れてきた。真司はクラスでも人気者だったから、他のクラスメイトも家に付いてきて、小学五年生までは結構我が家は賑やかだった。

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「小学生の頃は沢山お友達が家に来てくれたよね。懐かしい」薫は昔を思い出していた。

「五年生までね」

律がボソッという。

「まだなんか引っかかるんか?」

乾が急に真面目な声色で言う。


◇◇


 律と乾が五年生のある日、いつものように学校帰りに律の家に遊びに来ていた乾はクラスメイト三人を連れていた。その中に転校して二週間程の女子が一人混じっていた。庭で当時飼っていた小型犬の雑種と走り回ったり、薫がおやつを準備してくれたり賑やかだった。

 夕方五時になろうかという時間。薫は親御さんが心配するからと子供たちに帰るように促していた所、一人の母親がやって来た。転校間もない女子の母親だった。


「ごめんください」

少し上品な口調のその母親は香川と名乗った。

ほたる、絵画教室の時間よ。いつまで遊んでるの?」さっきの上品な口調はそのままで少し強くなったのを子供たちは察し気まずい空気が流れた。

「あら、蛍ちゃんのお母さん?すみません、私が気が付かなく」薫が慌ててとびっきりの笑顔で声をかけた。「皆もそろそろ帰る時間よね、ほら鞄忘れないでよ」と乾達にも声をかける。ふんわりしたブラウスと腰はピタッとしひざ下まであるスカートは裾がひらひらしたマーメイドスタイルというお上品な奥様といった蛍の母親は薫の標準語に気付いた。

「あら?奥様こちらの方じゃないの?」

「ええ、息子が小学校に入る時に越してきたので」

「元はもしかして東京?」

「ええ」

そこから急に親しげに、あらやだ~東京?越してきて間がないから嬉しいわ~同郷の方が居て~などと、蛍の母親は話が止まらなくなった。薫も知人が居ない所での新生活の心細さは分かる。相槌を打ちながら話を聞いていた。「あらやだ、近くに住んでいたのかしら?」話の内容から同じ学区に住んでいたようだった。世の中狭いものだ。

「蛍は撫子なでしこ保育園に行ってたのよ。もしかして一緒だったりねぇ」

薫の顔が少し曇った。そんな偶然なんて。蛍の母親は話が止まらず「そうそう、同じ保育園で男の子、交通事故に遭ったのご存じ?あらやだ、違うわ、事故に遭いかけて、骨折したのよ。暫く腕、こう、ぶら下げて来ててね」と腕を曲げて見せながら話を続けた。「あの、それ」と薫は話に割り込もうとするが一方的に話を続けてくる。

 乾もそのクラスメイトも呆れ顔で蛍の母親を眺めていた。律は真剣に耳を傾けている。

「そう、その男の子。お父さんに助けられて骨折で済んだんですって。でもお父さんお気の毒に亡くなられて。その男の子、自分と引き換えにって、可哀そうに。当時もママ友皆で言ってたの。それを知ったらね…ほんと可哀そうにって。奥様ご存じないかしら?」

乾は律の顔を見た。まさか。案の定、律の顔色は白くとも青くとも何とも言えぬ、呆然とした表情で縁側で立ち尽くしていた。 

「奥さん、絵画教室、お時間大丈夫?」

薫は落ち着いていた。冷静にそう声をかけて「急がれた方がいいですよ」と付け加えた。

あらあら、と左腕にある華奢なお洒落な腕時計を見て蛍の母親は我に返り「またお喋りしましょう」と微笑んで蛍を連れて帰って行った。

「真司君、また遊びに来て。今日はもう帰って宿題終わらせるのよ」そう乾に微笑み、乾も頷いてクラスメイトと共にランドセルを抱えて帰って行った。

「りっちゃん」薫は律の背中をトントンと撫で「夕飯何にしようっか?」と言いながら家の中に促した。薫は大事な話は料理をしながら話すことが多かった。引っ越しを決めた話の時もそうだった。

夕飯の支度をしながら、薫は交通事故の日の、恒靖が亡くなった日の朝のことをゆっくり律に話すことにした。

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