第1話 期待外れの異世界転生

 目が覚めると、幻想的な景色が広がっていた。

 それを一言で表すなら茫漠ぼうばくたる星空。

 まるで宇宙に投げ出されたかのように、俺は静かに浮かんでいた。


「なんだこの状況……俺は……あれ?」


 俺は今まで何をしていた?

 何も思い出せない。

 過去の出来事どころか、自分の名前さえ憶えていない。


「ようこそ、死後の世界へ」


 透き通るような女の声がする。

 声のした方に目を向けると、そこには人間離れした美貌を持つ少女が立っていた。


「……これは夢か?」

「いいえ、現実です」

「そうか… 俺は死んだ……のか?」


 おかしい、何一つ思い出せない。

 自分には本当に生きていたのかすら疑問に思うほどだ。


「どうしました?」

「いや、生前の記憶が全く無くて……」

「結構居るんですよね、死んだ時のショックで記憶を失ってしまう人が」


 少女は俺に同情の目を向けると、安心してと言わんばかりに優しい笑顔で提案してくる。


「良かったらもう一度人生をやり直しませんか?」

「え?」

「そんなに若くして死んで、まだやり残した事もたくさんあったでしょう?」

「いや、実は何も覚えていないんです……。というか貴方は一体何者なんですか? ただの女の子には見えませんが……」

「そういえば自己紹介が遅れましたね。私の名前はイシス、生と死を司る女神です」


 神、空想上の存在じゃなかったんだな。

 あれ、なんかデジャヴを感じる……。

 どこか懐かしい感覚に包まれる俺を、イシスが真面目な表情で見つめていた。


「何か覚えているんですか?」

「今の感覚を俺は経験したことがあるような……」


 本当に何も覚えていないのか?

 言葉は覚えている。

 地球という星も、日本という国も。

 ただ、自伝的記憶が一切思い出せない。

 何か、微かな記憶の断片でもいい。

 思い出せないのか……!

 ほんの少しでいい、何か……!

 ダメだ、何も思い出せない。


「生きていればまた思い出すこともあるでしょう。もう一度人生を歩みなおしませんか?異世界転生をして」


 異世界転生という言葉を聞いて、俺は脳に電撃が流れたような衝撃を受けた。

 そうだ、俺は異世界というものが大好きだった。

 他のことは何も思い出せないが、それだけは覚えている。

 異世界の魔法に憧れ、カッコいいモンスターを空想し、思いを馳せる。

 転移でもいい、転生でもいい。

 異世界に行ってみたいなという願望から、日々妄想を膨らませていた。


「詳しく聞かせてもらえますか?」


 興味津々な様子で俺が食らいつくと、イシスはクスクスと笑いながら異世界転生の概要を話し出す。


「魔法があるファンタジーな世界で、あなたの第二の人生を歩んでみませんか?もちろん今の状態のまま、言語等の心配はこちらがなんとかしておきます」

「何とかできるんですか!」

「女神ですから」


 得意げに胸を張るイシス。

 そんなイシスを俺は崇め奉った。

 適度にイシスを褒めて持ち上げるを繰り返す。

 もちろんシンプルにイシスへの尊敬や敬意もあったが、俺には別の意図があった。


「イシス様は何でも出来るんですね!でも戦争のない日本で育った僕が魔法のいる世界で果たして生き残れるのでしょうか……。第二の人生も終わってしまうかもなあ……。イシス様、何とかできませんか?」

「大丈夫です! 魔王がかなり昔に倒されたので、脅威となる魔物はほとんどいません。安全に暮らせますよ」

「えっ」


 確かに魔法があって安全な世界というのはとても魅力的だ。

 だが魔物が跋扈する世界で奮闘する、そんな憧れもある。

 もう少し粘ってみようか。


「うーん、そうですか。魔物と戦うの、結構楽しみだったんですけどね……」

「え、でもさっき生き残れるか不安だって……」

「死ぬのは怖いんですけどね、やっぱり異世界と言ったら魔法を駆使して魔物と戦闘したり、仲間と冒険をしたりっていうのが醍醐味じゃないですか」

「あ、でも、盗賊や悪の組織などは存在しますよ?魔物も突然変異で出現する事があるので完全にいなくなることはないですし。そういった人達や魔物を討伐する冒険者という職業も存在して……」

「でもそういう相手は魔法に対する知識や、これまでの生き様も全然違うと思います」

「……まあ全然違うでしょうね」

「僕は多分、転生したら冒険者になると思います。魔法を駆使して戦うという憧れは捨てきれないので。でもそしたらせっかくイシス様からもらった第二の人生がすぐに終わってしまう可能性が高いです。崇高なイシス様なら何とかできませんか?」


 回りくどく誘導しているが、俺の狙いはただ一つ。

 神からチート能力を貰う!

 そして異世界で無双して酒池肉林三昧!

 誰もが憧れるシチュエーション!

 それが叶うかもしれないこの機を逃すわけにはいかない!


「過度な人間への干渉は禁止されてるので、私の一存でおいそれと能力を授けるわけには……」

「そこをなんとか! ほんの少しでもいい……」

「そんなに欲しいのなら儂が授けてやろう。人間界で唯一無二の特殊能力を」


 しわがれた、貫禄のある声がした。

 全身が軋むような悍ましい恐怖感が身を包む。

 見ていなくても本能的に分かる。

 この声の主は俺とは格が違う存在なのだと。

 本来、話すことは愚か、同じ空間に存在することすら憚られる相手なのだと。

 チート能力はいりません、ワガママ言ってすみません、大人しく異世界に行きます。

 その言葉が喉から出てこない。

 全身が萎縮してしまい、呼吸をするのも困難だ。


「ゼウス様、神気を抑えてください! 彼が怯えちゃってるので……」

「む? 少し威圧しすぎたかのう」


 体を縛り付けていた感覚が消える。

 恐る恐る、ゼウスと呼ばれていた者の方を見ると、そこには筋肉隆々で背丈が3メートルは優に超えているであろう老人が、腹辺りまで伸びた無精髭を摩っていた。

 たしかゼウスって全知全能の神だよな?

 生意気なこと言ったら魂レベルで抹消されそうだ。

 ワガママは言わず、大人しく異世界に……あれ?


「く、くれるんですか……?! 特殊能力を!」

「お前がその能力を持ちながら、異世界でどう立ち回るのか見てみるのも一興かと思うてな。楽しませてくれたら、次回ここにきた時に褒美をやるぞい」


 ゼウス様……! 来世では一生崇拝します!!

 ゼウスが俺の頭に手をかざすと、手のひらが光り出す。

 そして数秒後。

 

「ふむ、こんな感じか。ほら、終わったぞ。これでお主は人間界で唯一無二の特殊能力持ちじゃ」

「ありがとうございます! ところでその能力とはどういうものなのでしょうか?」


「お主に与えた特殊能力の名は『巻き込まれ体質』。教科書に載るほどの大事件が起きる場所に強制転移する能力じゃ」

「えっ……?!」


 それはチートスキルというより、呪いの類では?!


「ちょっと待ってくださ……」

「それではたちばなエルよ。異世界を楽しんでくると良い」

「ちょっと待てええええ!!!」


 視界がホワイトアウトしていく。

 最後に視界に映ったのは、ほくそ笑むゼウスと少し同情の目を向けながら苦笑いするイシスの姿だった。

 

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