TOp FloOr
さて、そろそろ五時半か、目下の任務は晩飯の調達だ。初日だし外食でもいいけど、そんなことばっかりしてると生活費があっという間になくなっちゃうからな。弁当屋も近くにあるみたいだけど、まあ今日は自炊するか。
安くてうまいもの……となるとやっぱりスパゲティかな。ソースもレトルトでいっか。よし、買いに行こう。
さてアプリで検索、近くの店は……と、ライフマートがあるのか。たしかコンビニ規模のスーパーみたいな店だったかな。よし、ここへ行こう!
……と意気込んで部屋から出たけど、やっぱり静かだなぁ……? まだ住人が入ってないのか防音が優れてるのか各部屋からもまったく物音がしてこない。あまりに静かで廊下に差し込む夕日の音すら聞こえてきそうだ。
でも、こういうのって好きだな。無機質な人工物と夕日の情緒がすごく映えてなんかいい感じだ。
人のいない街並み、しんとした空気、幾何学的な建造物。廃墟とかもけっこう好きなんだけど、やっぱりこういうのがおれは好きだ。
じんわりと心地いい緊張感がわいてくる。なんだか散策したくなってきたな。とりあえず窓辺の方へと行ってみようか。
窓は大きい、当然はめ殺しか。のぞくと夕日に染まっている屋根が段々に落ちていって、各所から長細い建造物が生えている様子がうかがえる。遠目には樹木みたいに見えた部分も近くからだと幾何学的な構造体、まるでブロックのオモチャみたいだな。
……よし、そろそろ動くか。廊下を右か、左か……人間はこういうとき左を選ぶとかなんとか、左側に心臓があるからだっけ……どうだったかな……っと、左手だ、ドアのひとつが開いた。同年代くらいの青年が現れたけど、いまはなんかよくないかな、逆方向へ逃げちゃおうか。
左手に窓が続く。ここから見えるシティの形状は複雑だけど、きっと綿密に計算されたものなんだろうな。日陰の部分が思ったより少ない、太陽光がちゃんと行き渡る構造になってるんだ。プロの建築家ってすごい、おれもなれるだろうか……?
……頭のなかで『Dotlights / Life Inside A Nightmare Rectangle』が流れてくる。歩くことによって周囲のタワー部分が夕日を点滅させる。廊下に並ぶドアはひとことも口を開かなくて、おれの足音だけが硬質な音を立てている。
それにしても人気がないな……。
いや、いいことだけど……。
角に着いた、道なりに右折するか……と、なんだ? 前に……円柱形の動く物体がある? ……ああ、パンフレットで見たやつか、お掃除ロボットだ。こういう隣人はいまも大歓迎だな。
通路はしばしば右折を許してるけどひとまず直進だ、方角的に夕日の恩恵はどんどん少なくなっていく、でもそれが少し寂しくて心地いい。
……夕日が届きにくくなってくると人工の明かりが存在感を増してきたな。廊下のふちが青くぼんやりと光ってるけど……へえ、夜はこんな風になるのか。
……しかし、それにしても本当に人がいないな……?
いや、いまはそれがいいんだけど……これだけの部屋があるんだ、けっこうすれ違ってもおかしくはないはずなのに……。
まさか、そういう世界に紛れ込んでしまった? すでに誰もいなくて、でも街はなぜか生きていて……。
……なんてね、おや? 右折した先に階段があるみたいだ? となると今度は……上階が気になってくるな。よし、上ってみようか。
……と、上がったはいいけど、当たり前だな、これといって変化はない。廊下のふちの明かりがオレンジ色になってるくらいだ。やっぱり人の気配はない……。
このままさらに上にいけるけど、あんまり意味がないか? でもせっかくだし、いちばん上まで行ってみようかな?
とはいえ、上ったところで……やはり、これといって変化があるはずもないよなぁ。廊下の明かりが緑色になったくらい……いや? どことなくドアの間隔が広く……って、ああそうか、そういや上階になるほど家賃も高くなっていくんだっけ。単純に高さのせいかと思ったけど、部屋も広くなってるんだ。
あれかな、ピラミッド構造にふさわしいありようとでもいうのか、上になるほど上流階級が住まう世界みたいな……?
もしそうなら、さらなる上階にはいわゆる高ヒエラルキーの人たちが住んでるのかな。どっかの社長とか実業家とか……芸能人みたいな人たち……。
うーん、そう思うとちょっと興味がでてきたなぁ。もっと、どんどん上ってみようかな……!
「うっ……」
思わず声が出ちゃったな、絨毯の敷かれたフロアに出た……! 高価そうな壁紙が貼られてるし、ところどころに絵画も飾ってある。なんだかホテルみたいな雰囲気……! ここは何階だ? けっこう上ったはずだけど……。
ちょっとだけ意外な展開だ、どうしよう? なんだか抵抗があるな、場違いな感じ……。でも、てっぺんはそう遠くないはず、ここまで来たんだ、行かないと……。
「うう……!」
絨毯の質が……明らかに上等なものになってくなぁ……。部屋数もかなり少ない感じ、ひと部屋を廊下が囲ってる状態だぁ……。
もはや完全に金持ちの領域くさい、安物のスニーカーで歩いていい場所か? いきなり怒鳴られたらどうしよう……。
「あっ……」
……あの、天井の黒い半球は……監視カメラか……。いつから見られていた? 下層にもあるのか、上層特有のものなのか、これ以上は危険かもしれない……!
なんて、べつになにをしようってわけじゃないし、立ち入り禁止でもないはずだ。
……たしか、そうだよな? ちがったらヤバいかも……。
……しかし、しかしだ、ここでやめたら次はないかもしれないぞ、あのとき上りきっていたらって、あとで後悔するかも……?
きっと、そろそろ最上階だろう、ええい、先へと進むしかないじゃないか……!
「おっ……?」
あれっ? なんか急に簡素な、幾何学的な雰囲気に戻った? それに廊下は一直線のみ、突き当たりは窓だ。左右にドアはいくつかあるけど……これ以上、上へと向かう階段は見当たらないな。もしかしてここが最上階……?
「なにか、ご用でしょうか?」
うおっ……おおっ? びっくりした、うしろから! なんだ、どこから現れたっ?
……見るとスマートな雰囲気の男性、かっちり髪を固めて、スーツ姿だがネクタイはない。
「あっ……い、いいえ、その、さ、散策を……」
いざ口にしてみると、なんかちょっと恥ずかしい……!
……でも、男性は怒るでも奇異の目で見るわけでもない、むしろ少し笑った?
「なるほど、ピラミッドの最上階はどうなっているのか、そんなところでしょう?」
ま、まったくもってそのとおり……!
「は、はい……。その、すみません……」
「学生さん?」
「はい……四月から近隣の大学に……」
「なるほど、探究心に満ちたお年頃でしょうしね。ですがここはただの管理センターです。いささか拍子抜けでしたでしょうか」
「い、いえ、そんな……」
「ピラミッドの頂上には存外、意味などないものです」
「……ないんですか?」
「王たちが眠っていた場所は頂上ではないでしょう?」
た、たしかに……。
「それにここが頂上というわけでもない。上階はまだありますからね」
そう、そのとおりだ、ピラミッドから生えているようなタワー部分はさらに上にある……。
……うーん、いろいろ聞いてみたいけど……ちょっと居心地が悪くもあるよな、そろそろこの場を離れようか……。
「えっと……あの、なんかすみません、お邪魔して……」
「いえいえ、なにかあればお気軽にどうぞ」
「そ、それでは……失礼します」
会釈をしつつ……さっさと行こう……。
……それにしても管理センターかぁ……。けっきょくなんてことのない話だったな……。
……帰ろうか。下りはエレベーターを使おうか……とっ?
「おおっ……?」
びっ……びびった! 階段を降りた先の角から顔が、新築なのに幽霊かよって、一瞬、まじでびびったぞ……!
に、人間だ、女の子だ……。花柄のセーター、同い年くらい? 髪の長い子だ、この階の住人か?
「あ、どうも……」女の子が、はにかむ「上……どうなっていました?」
ああ、なるほど……?
もしや、この子もおれと似たようなクチか……?
「ああ……管理センターでしたよ」
「へえ……?」
なんか興味深そうに上を見てるが……。
「大丈夫……みたいですよ。ちょっと見るくらいなら」
女の子は、おれに視線を移す……。
「あー……えっと、もしかして、羊大の方ですか……?」
えっ? おれ?
「お、おれですか? そうですけど……四月から」
「あっ、ほんと? わたしもそうなんだ、四月から! 学部は?」
おっと、なんか急に親しげになったな。まあ、同学年ならかしこまる必要もないか。
「建築だよ」
「あっ、そうなんだ? じゃあ同じだね!」
へえ! この子もそうなのか。なんとなく徘徊するのは建築好きの習性なのか?
「ちょっと、わたしも上、見たいんだよね……!」
階段を上っていくが……? なんか振り返った。
「ちょっと、ちょっと……!」
めちゃくちゃ手まねきしてくる、まあ、ひとりじゃ心細いんだろうな。よし、じゃあまた上をのぞいてみようか。
「へー……こうなってるんだぁ」
とはいえ、またさっきの人に見られたらあれだな、仲間を呼んだとか思われるんだろうな……。
「なるほどぉー……じゃあ、戻ろっか」
満足したのか女の子はそそくさと下りていく、どんどん下りていく……まあ、やっぱりバツが悪いんだろうな、彼女も上階の住人じゃないんだろう。
「なんか上の方ってさ」女の子だ「絨毯とか敷かれててプレッシャー感じない?」
たしかに……。
「うん、お金持ち感すごいよね」
「ひっ捕らえられそう」
気持ちはわかる……。
さて、ようやく戻ってきたな、通路が幾何学的な雰囲気に戻った。ああ、落ち着くなぁ……。
「かえってきた……!」
女の子も同意見なようだが、なんか両腕を大きく開いて……虚空を抱きしめた……と思ったらまたすぐに階段を下りていった、いや振り返った、なんかせわしない子だな。
「……あっ、まだ名乗ってなかったよね。わたしシイナハルネ。春の子って書くけど、読みはハルネなんだ。あなたは?」
そういやいってなかったか。
「時任……修吾」
シイナさんはウンウンと幾度も頷く。
「じゃあトキトークン、わたしこの階だから、またねっ!」
「ああ、また……」
シイナさんは元気よく8階に消えていったが……ああ、おれと同じ階なのか。
でもまあなんだ、ちょっとだけ間をおいてから帰ろうかな。
なんかついてきてる! とか思われても嫌だし……。
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