Road To The Kusaka
第16話 千里の道も
昨日は結局、草下さんと外出はしなかった。食堂から帰ってきてから、もう一回誘ってみたけれど、じめじめした外気のせいで乗り気になってくれなかった。
私も湿度の高いのは好きじゃない。せっかく整えてる髪がいう事を聞いてくれなくなるから。だから、お出かけはまた今度。
日は変わって、月曜日。
朝起きると草下さんが部屋にいなかった。
玄関にローファーはあったから、きっと学校以外のどこかへ行ったのだろう。誰もいない部屋は静かで落ち着かなくて、面白くなかった。
この前「今度一緒に行ってあげる」と言ってくれたし、今日をその今度しようと思っていたのに、話しかける時間もなかった。
当たり前だけれど、教室にも草下さんの姿はない。ひとつだけぽっかりと空いている。
それなのに、教室の誰もが不在のクラスメイトのことなんて気にしていないようで、学校は不備なくまわっていく。先生もクラスメイトも、いつも通りに朝のホームルームを進めていく。これがきっとこの教室の日常。
ついこの間ここへ来た私にはない、この教室の日常。
草下さんと同じ部屋にいる私にはない、この教室の日常。
私だけ違う世界に生きているような錯覚を覚えて、少し落ち着かない。胸の奥がもやもやとする。
草下さんが教室にいつもいたことはあったのだろうか。二年生になれているという事は、一年の時には授業日数は足りていたということで。
じゃあいつから、草下さんは今の草下さんになったのだろう。昔の草下さんは、どんな人だったのだろう。
考えてみると、私の知らない草下さんが倍に増えた感じがして心が少し軽くなった。
ホームルームを終わらせた先生が、教壇からこちらへ机の間を縫って向かってくる。眼鏡をかけた冴えない見た目の教師、宮本先生。
「天野さん、草下は今日は休みですか?」
「そうですね、朝起きたら部屋にいませんでした」
「そうですか……。無理を言うようですけど、できるだけ草下を学校に連れてきてくれませんか」
「もしかして、出席日数ですか……?」
こほん、と咳払いをして手を口の横に添えて内緒話の体勢をとる。私も少し耳を寄せる。
「今すぐ、とかいうわけじゃないんですけど、今の調子で行くと夏休みまでに足りなくなるので。転校してきて急に無理難題を押し付けるようで悪いですが、善処してくれると助かります。こちらも教員としてできることはしますが、私の言葉より同じ生徒である天野さんの言葉のほうが伝わりやすいと思うので」
頼みますよ、と言って宮本先生は教室から去っていく。
周りのクラスメイトは授業の準備をしたり、隙間時間で友達と話したり、それぞれ各々の時間を過ごしている。隣の堤さんは友達と何かについて話し合っている。
こちらを気にしている人はいなかった。
さて、どうしたものか。指定鞄から教科書とノートを取り出しながら押し付けられた難題について考える。
私が草下さんを学校に連れてくる、それ自体は簡単な気もする。あの人は何か理由がない限りは私が押せば受け入れてくれる。
学校に行かない理由が、私が関与しても動いてくれないほどのものであるなら、難易度は一気に跳ね上がる。原因を突き止めて、改善しようとしないといけない。
だからといって、草下さんに直接聞いたところで教えてくれるとも思えない。いや、実際試したことはないけれど、自己紹介の時の前例がある。あの人は自分から、自分のことを話して教えてはくれない。
じゃあ草下さんの行動から読み取るか。それは難しいと思う。草下さんの考えていることを読み取るのは、あの人はわかりやすいからできるけれど、何があったのかなんてわかりようがない。
あとは、昔の草下さんを知っている人を探して話を聞くか。これが一番可能性がありそうだと思う。
問題は、そんな人がいるのかどうかだけど。
そろそろ授業が始まる時間になって、隣の堤さんの机の周りに集まっていた生徒たちが散らばり、堤さんが話しかけやすい状態になった。
とりあえず聞いてみるか。堤さん顔広そうだし。
「ねぇ堤さん」
「お? なんやなんや? ノートは汚いから見せられへんで?」
「ノートは大丈夫、ちゃんととってるから」
「そうなんか、ほなどないしたん?」
頭の上にはてなマークを浮かべて首を傾げる。
「その、草下さんってどんな人だったか、知ってたりする?」
「んん? 草下さん? あぁ、いっつも休んでるあの人か。すまんなー、一年の時のあの人はよう知らんのよ。クラス違うたからなぁ」
さっぱりといった感じに両手を広げて、大げさに残念そうなリアクションをする堤さん。やっぱりダメか。
「あぁでも、草下さんと去年同じクラスやった子は友達におるで! 紹介したろか? ほら、あそこの席に座っとる——」
そこまで言ったところで、教師が教室に入ってきて静かにするよう促してくる。スキンヘッドで威圧感のある先生だからか、今まで賑わっていた教室も堤さんも急に静まり返る。
(——すまんな、またあとでな!)
(うん、ありがとう堤さん)
小声でやり取りして、難題への過程を一つ進める。その紹介してくれる人が私の欲しい情報をくれるとは限らないけれど、私一人でできる方法よりも前に進める気がする。
草下さんのことは一旦横に置いておいて、目の前の授業に集中する。
サボっている草下さんに、また教えないといけないから。
……横に置いておけてない気もする。
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