第13話 二面性ルームメイト

 六月にしては熱い気温の中、じんわりと汗をかきながら寮の部屋へと無事に帰ってきた。扉を開けて玄関で靴を脱いで靴置きへとしまうと、視界にベージュのネームプレートが映る。『天野』と書かれたそれは、本来は扉の横のフックに掛けられているべきもので、ここにあるのはおかしい。

記憶をさかのぼると、身長が足りずに背伸びをして、結局届いていなかった天野さんがいたことに気付いた。

 フックに掛けておくかどうかを悩んで、結局掛けないでおく。


 廊下を歩いてドアを開けると、部屋にはテーブルが置かれて、透明な液体の入ったグラスが二つ置かれている。

あと、天野さんがテーブルに突っ伏して動かない。電源の切れたおもちゃみたいにしんとしていて、生きているのか不安になる。出かける前もなんだか様子が変だったし、風邪でも引いて調子が悪いのだろうか。

 動かない天野さんのそばによって、肩を控えめに叩くと再起動したスマホくらいの間をおいて上半身が起きあがる。


「買ってきたけど、調子でも悪いの?」

「んん……いえ、調子は普通ですよ」

「そう、ならいいわ」


 まだ温かい袋をテーブルに置き、トートバッグを置きに少し離れようとすると、「あ、草下さん」と声を掛けられた。昨日までとは違った柔らかい声で名前を呼ばれて、どこか落ち着かない。


「ありがとうございます、それと、おかえりなさい」


 へなりと眉を下げて微笑む。別人みたいにおとなしくて、こっちの調子が狂ってしまう。


「……どういたしまして、ただいま」


 

 

 二人でテーブルをはさんで向かい合って、黙々と買ってきたハンバーガーを口に入れる。ふんわりとしたバンズに挟まれた白身魚のフライはまだ温かくて、その下のチーズがほどよくとろけて口の中に広がる。マヨネーズとオニオンも調和して、ちょっと贅沢なだけある幸福感が湧いてくる。私が食べたかったものだ。

 目の前では、私が適当に買ってきた万人受けしそうなチーズバーガーを食べる天野さんがいる。サイドのオニオンリングもたまに口に運んでいるが、昨日の朝ほどの表情は表れない。


「……やっぱり、体調悪いんじゃないの?」

「んむ……どうしてですか?」


 口の中の物をしっかりと飲み込んでから、まったく思う節がないように問いかけてくる。


「だって…………昨日ほど、おいしそうに食べていないから」

「昨日……あぁ、そういうことですか」


 やっとわかってくれたみたいだ。わざわざ私が天野さんの表情を逐一見ていると言っているような発言をせざるを得なかったのは気に入らないけれど、それ以外の表現が思いつかなかったのだから仕方がない。自分の語彙力を呪いたい。


「あの私のほうが、好みですか?」


 私をまっすぐに見つめて、まじめな表情で問う。私の知っている天野さんはニヤニヤしながら聞いてきそうなのに、温度差と真面目さに戸惑う。


「別に、好みというわけではないけれど、こうも反応が違うと、その、落ち着かない」

「ふぅん……」


 私の曖昧な答えを聞いて、すこし考える素振りを見せる。何を考えているのか、もしかしたら何も考えていないのか、答えはあるが考えるフリをしているのか。しばらくして「草下さんなら、いっか」と呟いて、私の目を見る。



「普段の私も、私なんですけど、今の私も、私なんです」

「……多重人格か何か?」

「そんな大げさなものじゃないですよ、どちらかというとスイッチのオンオフですね」


 そう言って、天野さんが目を閉じて長い深呼吸のあと、目を開く。纏っている空気が少し軽くなった気がした。


「つまりは、こういうことです! 普段はこうして明るく振舞ってるんですけど、ちょ~っぴり疲れるんですよね~」


 にっこりと眩しく笑っていて、声のトーンも少し上がった。昨日までの天野さんが目の前にいた。こんなにもはっきりコロッと変えることができるものなのかと人間の可能性を垣間見た気がする。


「休日もこの状態で過ごしてほしいなら、そうしますけど、草下さんはどうしてほしいですか?」


 昨日までの天野さんの声で、昨日までの天野さんの表情で、昨日までに言わなかったことを問う。

 どうしてほしいか、と問われても困る。私に他人の振舞いについて決めさせないでほしい。私にそこまでの影響力を持たせないでほしい。

 それではまるで、その人の中に私が入り込んでいくみたいで、受け入れられない。入り込んだ私はその後当分は居座り続けて、大きくなったり小さくなったりするだろう。

 そして私が去れば、私が居た分だけ穴が開く。私が自主的に去るようなことはないだろうけれど、去らないという確証もない。

 空いた穴からは隙間風が吹いて、心を冷やしていく。塞ぐのには多少なりとも時間を要して、それまで苦痛が寄り添う。大きさによっては塞ぐことも諦めるほどになる。雨に濡れて風に冷まされ、太陽の熱にやられてしまう。


 言葉を出そうとして口があいて、なにも出なくて口を閉じて。


 別に、他人に穴が空こうが苦痛に悩まされようが、私の知ったところではない。

勝手に穴をあけて苦しめばいい。


 それでも、この子にはあまり苦しんでほしくない。妹と天野さんを重ねてしまう、単なる私のエゴだけれど。

 私が振舞いを決めることでこの子の中に入り込んだ私が大きくなってしまうくらいなら、それはないほうがいいものだ。

 天野さんはありのままでいればいい。あってほしい。人に合わせる必要はない。

 少なくとも、私の前では。



「…………疲れない程度に、好きにすれば」


 私の想いを伝えようとしてやっと出た言葉は、私の思考とは比べ物にならないくらい短かった。


 ……たとえこの言葉で、私の中の天野さんがどのような変化を生もうとも、私にはもうすでに大穴が空いているのだから、些事として受け入れられるだろう。



「……わかりました、好きにしますね!」


 天野さんはそういって、私の隣へ膝で歩いてきて座ったと思ったら、手元のチーズバーガーを大口を開けて食べ始めた。

にこにこもぐもぐと咀嚼して、昨日と重なる。


「天野さんっ」

「なに」

「おいしいですね!」

「……それはよかったわ」


 笑顔が眩しくて、目線を逸らした。このままだと目が焼けてしまう。

 


「……ありがとうございます、受け入れてくれて」


 ぼそりと隣から聞こえた声は、私の調子を狂わせる声に戻っていた。

 いや、それより弱々しくて、消え入りそうで、切実な響きだった。


 あぁ本当に、調子が狂う。

 こんなに私の心に干渉してくる、天野さんはやっぱり嫌いだ。



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 ”私”という建物には、壁も屋根もない。

 雨は降って体を濡らすし、風は吹き荒んで心と体を冷やして、風邪をひく。

 太陽光で熱されて熱中症になっては幻覚を見て、倒れる。

 周りに人はいないし、私が追い払う。


 人がいるから、辛くなるし寂しくなるし甘えたくなるし期待してしまうし求めてしまうし受け入れられたくなる。


 もういらないと思うのに。

 もう傷つきたくないのに。



 それなのに、”私”の近くに建物が一つできた。

その建物の住人は”私”に土足で入ってきて、やたらと私に構う。

ちょっかいを出しては、私を困らせる。


 追い払えばいいって、わかっている。

 この人もいずれ私から遠ざかっていく。

 いずれいなくなるなら、ハナからいないほうがいい。



 それでも、私にはその人を強く追い払うことができなかった。


 その住人の空だけ雲が晴れていて、明るい星が煌々と輝いていたから。

 その住人が”私”にいる間は、私を濡らして惨めにする雨も、私を凍えさせる風も訪れなかったから。

 日差しは差し込んでくるけれど、肌を焼かないで暖かくい包み込むような日差しになったから。

 見上げていた曇天に、見つめることのできる星を見つけたから。


 土足で踏み入ってくるくせに、ふとした時に弱さを見せるから。


 だから私は、またきっと、同じ間違いを繰り返す。

 

 ああなんて。

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