第12話 情景:跡地
私という人間には、穴が開いている。
その穴は大きくて、残った私より失われた私のほうが多い。こうして生命活動を継続させているだけでも奇跡だと思えるほど、大きな穴が私には空いている。
風通りがいい、なんてものじゃない。
”私”という建物は、窓を開けているなんてものじゃなくて、壁から上がそのまま強引に持ち去られている。修復される見通しは立っていないし、立てるつもりもない。”私”は雨も防げないし日差しもよけれない。
そんな”私”という建物の中で過ごしている私は、雨に打たれ風にさらされ、冷たくなって風邪をひく。
容赦のない太陽光で焼かれて日焼けどころか、熱中症になって幻覚をみて、そして倒れる。
周りに住んでいる人はいない。誰もこんな荒廃した”私”などに寄り付きたくないだろうし、近づいてきた人間は私が追い払う。
ここは立地もよくないから、追い払われてまで住みたいところではない。
誰もいなくなった静かなこの建物でただひとり、屋根を……ではなく曇天の空を見上げる。太陽も月も星も見えない。寝ても覚めてもこの天気。ただ雲があるだけ。
でも私を焼く太陽光は照り付ける。
昔はこの建物にも屋根があった。壁もあったし、周りに人も住んでいた。
何ならこの建物にもう一人住んでいた。
その住人が”私”を去るとき、”私”から屋根と壁を持ち去った。
屋根と壁とを奪われて荒廃した”私”を見て、周りの人は不気味がって数を減らした。
それが辛くて、寂しくて、情けなくて、やるせなくて、受け入れられなくて。
だから私は、荒廃した”私”に寄り付く人間も追い払った。
人がいるから、辛くなる。寂しくなる。甘えたくなる。期待してしまう。求めてしまう。受け入れられたくなる。
もう人はいらない。
もう傷つきたくない。
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寮で出て、向かうのは最寄りのハンバーガーチェーン店。緑背景に赤文字の、ちょっと贅沢なハンバーガー店。赤背景に黄色文字の方でもよかったのだけれど、今日はこっちの気分だった。
スマホで予め注文しておいて、電子決済で支払いを済ませておく。
レジで注文するのは苦手だ。声が小さくて聞こえなかったらどうしようとか、私の言葉が通じなかったらどうしようとか考えてしまう。
そのどれもが杞憂であることは私もわかってはいるけれど、それでもやっぱり苦手だ。
それに、それ以外にも嫌なことを思い出してしまうから、注文するのはやっぱり苦手だ。“私”に風が吹き荒ぶ。
そんな私にとってモバイルオーダーというのは、とてもありがたい技術だ。使うたびに、システムを考えて、実装して、運用してくれる人たちに感謝賞を送りたくなる。
店舗に入って、店内の座席に視線を向けないように電子掲示板の前で待つ。待つ人のために置かれている椅子もあるけれど、あえて座らないで待つ。“私”に雨が降りそうだから。
私の番号が呼ばれるまでもう少し時間がかかりそうだった。
ぼーっとしていると、目の前をデリバリーサービスのロゴが印刷された四角いリュックを背負った人が、お客さんの注文の品を店員から受け取って出ていく。それも、意識しないで、目を向けないように、待つ。
しばらくもしないうちに、キッチンの奥の方から電子音がして、店員によって注文が読み上げられる。たぶんデリバリーサービスの注文が入ったのだろう。
またしばらくしないうちに、もう一度鳴って、読上げて。そして、四角いリュックの人が商品を受け取って出ていく。
以前興味を持ってデリバリーサービスのアプリを覗いてみたけれど、あまりに割高すぎて使わないと決めた。あのサービスを利用する人は、きっとお金持ちなんだろう。それか、極度の面倒くさがりか。
どちらにせよ、私の機嫌を少しずつ損ねていく。“私”の中の私に苛烈な日差しがぶつかって、幻を見る。
こういう時、いらない記憶を間引いて消し去ることが出来ればと切実に思う。
モバイルオーダーやデリバリーサービスの技術の進歩の延長に、任意の記憶を消去できるサービスができればいいのに。それなら、少しくらい高くても利用する。
そんなありもしなさそうな未来の話を考えていたら、私の注文の品が完成したようで、掲示板に番号が表示される。店員に近寄ると、番号を確認されずに渡された。それでいいんだろうか。この時間は忙しいからかも知れないし、もとからこうなのかもしれない。
私が将来アルバイトをするなら、もう少ししっかりしていたいと思う。私がアルバイトをする未来は、記憶消去サービスと同じくらい想像できないけれど。
袋からは仄かな温かさを感じられる、出来たてなのかもしれない。きっと美味しいのだろう。
この袋の中のものは殆ど同居人のものだ。帰って、渡して、食べて。にこにこムシャムシャと食堂の定食を美味しそうに食べていた昨日の朝の天野さんが思い出されて、少し歩くペースが速くなる。
別に、そこまでこだわりがあるわけじゃない。
でも、けれど、食べるなら美味しいものがいい、はず。
同じお金を払うなら、おいしいほうがいいに決まっている。
そう自分に言い聞かせて、頭の中にいる天野さんを追い払った。
店内で損なわれた私の機嫌も、少しは立て直したかも知れない。“私”に吹いたり降ったり差し込んだりするものも、少し身を潜めていた。
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