第4話 草下さんを知りたい
「草下さんの好きな食べ物はなんですか?」
「特にないわ」
眉間に少し皺を寄せた草下さんが、目を閉じたまま眉一つ動かさずに言う。
草下さんはベッドに座り、私はそのすぐ前の床に座って綺麗な顔を見上げている。
「嫌いな食べ物は?」
「それも特にないわ」
「え~つまんなーい」
「……はぁ」
さっきから何を聞いてもこうだ。
私に何も知られたくないように、口は開いていても心が閉じられている。
機嫌が悪いのかも知れない。
でも、初めて会ったときにもこれくらい顰めっ面だったから、これが普通なのかも知れない。
せっかく可愛い私が、上目遣いで聞いているのに、草下さんは私を見ない。
これがそこらの男子生徒なら鼻の下を伸ばして、聞いてないことまでペラペラ話し出しそうな状況だ。
でも、同性である草下さんには全く効いていない。
つややかな黒髪を指先でくるくるしながら、退屈だとでもいうように私の質問を次々バッサリ切り落とす。
会話がうまくいかない。
――トクンと、胸の奥が少し高鳴る。
「……好きな色とか」
「特にない」
「流石に趣味くらいは」
「ないわ。何なのさっきから」
会話のキャッチボールという言葉を知らないように、ボールが返ってくることはない。
「何って、知りたいことがあったら直接聞けって、草下さんが言ったんですけど」
「すべてを教えるとは言ってないわ」
「そうですけど〜」
話が続かない。ままならない。
私の口角が、少し持ち上がる。
昔から、見た目がかわいいのもあって、大体の人間関係には困らなかった。
もちろん見た目だけじゃなくて、行動でも好印象を与えられるようにしているけれど、見た目の手助けは大きかった。
宿題を写させてくれと言えば快く受け入れてくれる人もいたし、放課後一緒に遊びに行こうと誘ってくれる人も沢山いた。
でもいつしか私は、その予想できる行動を起こす人間に興味を示せなくなってしまった。
私と話したいがために寄ってくる男子生徒も、私を単なる友達だと思って遊びに誘う女子生徒も、面白くない。予想を裏切らない。
そして、それ以外の――私と仲が良くない人間も、悪い意味で期待を裏切らない。
だから私は、私の思い通りにならない人が好きだ。
私に興味を示させてくれる人が好きだ。
私の好奇心を満たしてくれる人が好きだ。
そして今までの誰もが、私の好奇心を満たしてはくれなかった。
興味を持てなかった。
――でも、この人は。
床から立ち上がり、行儀よく膝の上にある草下さんの両手を、私の両手で掴んで胸元に寄せる。
「……今度は何なの」
草下さんが、閉じていた目を開けた。目には少し困惑の表情が浮かんでいる。
きっとこの人は今、私に何かを隠している。
まるで、知られたくない何かがあるように。
――知りたい。
何を聞いてもそっけないこの人が、何を言えば違う反応をするのかを。
胸の奥がトクンと、さっきより強く。
知りたい。
この人のことを。
草下華という人間を。
草下華という人間の過去を、思考を。
――その奥にある、秘密を。
この人なら、私の溢れる好奇心を満たしてくれるかも知れない。
「私、知りたいです!」
「……何を」
この人なら、期待してもいいのかもしれない。
「貴方のことを、草下華という人間を!」
「…………そう」
そう言って、草下さんはばつが悪そうに目を伏せた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「もういいじゃない、これ以上やっても無駄だと気づきなさいな」
「嫌です! だって結局何も知れてませんもん!」
駄々っ子のように床で暴れてもいいけれど、この人には効果がなさそうなのでやめておく。
あれだけ勢い良く宣言したはいいものの、得られたものは「特にないわ」という言葉と、それに類似したものだけだった。
「そろそろ食堂も閉まるし、諦めなさい」
「うぅ〜……」
好みの芸能人だとか、好きなゲームだとか、好きなアニメ、マンガ、その他諸々。この前に看病してくれたときに読んでいた“本”という項目ですら、何も明かしてはくれなかった。
私が先に情報を明かそうが、変りなし。
そうやって、喰い付くかも知れない釣り糸を何本も垂らし続けたが、この有様。なかなか手強い獲物だ。
時計を見上げれば、確かに食堂がそろそろ閉まる時間だ。お昼もゼリー飲料しか食べていないし、お腹が空いて仕方がない。
「じゃあ、好きな人とか、いますか?」
これを聞いても駄目なら、今日のところは諦めよう。そう思っていた。
「…………なんですって?」
まるで親の敵でも見つけたように私を睨んで、少し寄っていた眉間の皺がより深くなる。
――ヒット。
下がりかけていた私の口角が、たちまち上がるのが自分でもよくわかる。
「ほら、草下さんも年頃の女子高生ですし、気になる人くらい――」
「黙って!」
驚いてびくりとしてしまい、手の力が少し緩む。
ガタリと跳び上がるような勢いで草下さんがベッドから立ち上がり、力一杯私の両手を振りほどく。
そのまま、ドスドスと足音がしそうなほど乱暴な歩調で扉へ向かう。
「草下さん、どこに――」
「……この話はもう終わり。シャワー浴びるから来ないで」
バタンと大きな音をたてて、部屋から出ていってしまった。
大きな音の後の妙な静寂に包まれ、私の心のスイッチがカチンと戻る。
「はぁ、……ご飯食べにいこ」
静寂に響く時計の音。目をやると、食堂が閉まる30分前だ。今から向かえばギリギリ間に合う。
もう今日は草下さんと話せそうにないし、また今度話をすればいい。
私に残されている時間はそんなにないかもしれないけれど、10日やその程度でないだろうから、大した問題ではないだろう。
そんなことをぽろぽろと考えながら、玄関に向かって荷物から出したスニーカーを履く。
シャワー室からは、水の音はしていない。
……草下さんは私が思ったより、フクザツな恋する乙女なのかも知れない。
どうしてあんなに怒っているのかは皆目見当ももつかないけど、それもまた私の好奇心を際立たせる。
後ろ髪を引かれる思いだったけど、玄関を開けて食堂へ向かった。
草下さんのことが気になりすぎて、晩御飯の親子丼は味があまりわからなかった。
まぁそれは、瑣末な問題だと思う。
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