天野さんは見つけたい

第1話 「まじめまして」が言えなった

 学生寮、コツコツと私の足音が響く廊下には赤に染まった西日が差し込み、6月にしては少し暖かい。

通り過ぎたいくつかの扉からは楽しそうな話し声が聞こえたり、流行りのポップスが漏れ聞こえる中、不気味なまでに静かな扉の前に立つ。

 扉の横にはネームプレートを掛けるためのフックが二つ。片方は何もかかっておらず、もう片方には『草下』の二文字が書かれたベージュのプレート。


 期待と不安……後者のほうが多い思考をため息として吐き出す。

ここから、私の新生活が始まるというのに、すでに気分は沈んでいる。

理由は簡単で、この『草下』という人について耳に入れた情報のほとんどが、あまり……いや、かなり良いものではなかったせいだ。

 再び湧いてきた不安を振り払うように頭をブンブンと振って、気合を入れるため両手で頬をパンっと叩く。心のスイッチをカチンと切り替える。

 

「……よし。」


 意を決してノブに手をかけ、捻る。私の気分とは違ってあっさりと扉は開く。



 「おっ邪魔しまーす」

 開いた扉の向こうは電気がついておらず、しんと静まり返っている。

電気がついていて人がいて、声が聞こえてくるものだと思ったから、拍子抜けだ。せっかく入れた心のスイッチがカチンと戻る。


「……はぁ」

 緊張と期待と不安とが混じったため息を零す。

 玄関でローファーを脱いで揃えて置いて、ふとすぐそばに目をやる。乱雑に脱ぎ捨てられている、私のではないローファーがある。

どうやら草下さんはいるみたいだ。それにしては物音ひとつもしないけれど。

 あまりに静かで、なんだか他人の家に来たみたいな気分になる。自然と物音を立てないように歩いてしまう。廊下を進んでもう一度扉を開く。


 目に入るのは、机が二つと小さな本棚二つ、そしてベッドが二つ。部屋の中心を境に線対称に置かれている。それぞれ同じもので、奥の片側の家具群は使用されていないようで、何一つ乗っていたりしない。よく片づけてある

 手前の片側の状況は散々だ。本棚には本が横積みされているし、机にはプリントと本が山のように積まれている。挙句の果てには、脱ぎ捨てられた学校指定のブレザーや靴下やプリントが床に散乱して、足の踏み場もない。……少し誇張したけど、でもよくこんな状態で生活しているなと思う。

 ベッドに目をやると、ちょうど人が入っているぐらい膨らんでいる。枕が向こうにあるのだろう、顔や頭らしいものは見えない。おそらくあれが草下さんだろう。違ったら恐怖である。


 散らかった衣類やプリントを踏まないように気を付けて歩く。頭がるであろう場所に視線をやりつつベッドを回り込む。

頭の先、髪、眉、目、鼻や口まで見えたころにはベッドの枕元まで来ていた。

端正な顔立ちだ。まつ毛は長いし、顔を構成するパーツのバランスはいい。私はよく可愛いと顔を褒められるが、この人……草下さんはきっと綺麗と褒められるだろう、褒める人がこの人の周りにいれば。



 さぁさて、どうしようか。部屋に入ってルームメイトの顔も認識した。

でも、声も知らないし、相手は私のことを知らない。自己紹介くらいするべきだろう。

枕元のそばに背を向けて座り込む。

でもこの人寝てるし……、初対面の人間が寝ているところを起こすのもどうかと思うし、逆に初対面の人間に寝顔を見られるのも嫌だろう。もう手遅れだけど。

起きるまで待つべきだろうか、でも私も静かなこの状態のまま色々しにくいし。


「ん、ぅうん……」


 でもなぁ……うーん……。うん?

ハッとして振り返る。キスでもしそうなほど近くには、まだ微睡んではいるけど目を開けた草下さんの顔が。


「……?! ッッ!!!」

「あぶぇ」


 気が付くと私の額にはなにかが投げつけられ、視界は天井を映していた。

あまりにも早い投球(?)スピードに、私は倒れて後頭部は床に叩きつけられる。

ジンジンとした後頭部の痛みと共に遠ざかっていく意識の中、ぼんやりと


物体のエネルギーって、やっぱり速度の二乗に比例するんだなぁと。


そんなしょうもないことを思いながら、私は気を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る