第29話 おやっさんの見立て


 その男は不思議な奴だった。


 思い出した様に降るにわか雨の様に、或いは次の季節の匂いを不意に運ぶ風の様に、ある日ふらっと現れおった。


 森の匂いのする男だった。

 草いきれと樹木の木陰、獣の息づかいと危険を孕んだ夜の闇。

 それらは儂ら狩人かりうどが慣れ親しみ、そして畏れる森の匂いだ。


 持ち込まれたのはホロホロ鳥、止め刺しがされ腸を抜く為に腹が割いてあった。

 それ以外は全くの無傷だ。

 まるで眠ったまま事切れたかの様だ。


 真の達人に斬られたならば、斬られた事に気づかないと耳にした事はあるが……

 それにしては止め刺しは綺麗なものではない。

 随分と粗悪な刃物で為されたのだろう。


 長年、様々な獲物を見てきたがこれ程の綺麗な状態は滅多にお目にかかれない。

 改めて持ち込んだ男を見やると短く刈り込んだ頭にありきたりのローブ、足元は……靴の上に草を編んだ滑り止めを括り付けている。


 リオンと名乗るその男は、全てがチグハグだ。


 ホロホロを仕留める腕に反する止め刺しの雑さと腸抜きの素人臭さ、濃い森の匂いを放っているのに刈り込まれた髪。

 森に生きる者は緊急時の糸として使える様に、一房でも髪を伸ばすものなのだ。


 話を聞くと、森に慣れてると言うくせに細々こまごました事を知らない。

 ついつい老婆心ながらを教えてしまうが嫌な顔一つせずに耳を傾けてくる。


 そうこうしてるとジョバンニがやって来て知り合いだと言う。

 茶請けだと出してきた干し肉も不自然に上物だ、恐らく塩が違う。


 聞けば森歩きの時には猪肉を出したとか……干し肉の基本は赤身だ。

 敢えて脂の多い猪を使うのは好みもあるが、油分の補給も兼ねる場合だ。

 

 森歩きの口なぐさみには丁度良いだろう。

 そういった選択が自然にできる程度には、森に慣れてるのは本当なのだろう。


 そんな感想を抱いた出会いだった。



 ――――お前さんが良ければウチで登録してみないかい?


 そんな言葉が口をついて出ていた。

 確かにこれだけ綺麗に狩れる腕は稀有であろう。

 だがそれだけでの登録を進めるには少々弱い。

 それでもこの出会いを、縁を逃すなと儂の狩人かりうどとしての勘が言っていた。


 しばらくすると又その男はフラリと現れた。

 相変わらず不自然なまでに綺麗に仕留められた獲物、そして一体の熊を持ち込んできた。


 なぶり殺された熊だ。


 魔物は存在そのものが人間に祟るが、野生も事によっては祟る。

 森のルールを逸脱しない限りはまず起こり得ないが、無体や理不尽を強いれば必ず返ってくるのだ。

 

 例えば、この様な死体を森に放置したとしよう。

 すると不思議な事に必ず森は荒れる、それは同種である熊だったり或いは他の獣だったり魔物である場合もある。

 

 本来、森は人が生きていける場所では無いのだ。

 “森は我々が住むのとは別の世界”とは先人の言葉だ。

 果たして魔除けの茨に頼らずに森の夜を越えられる者が何人いるだろうか……

 そんな森に足を踏み入れ恵みを享受するのだ、畏れを抱き敬意を払うのは当然なのだ。


 誰に教えられた訳でも無いだろうに“供養の一つでも”と遺体を引き取ってきたのは、やはりこの男は森に生きる者だからなのだろう。

 


 それにしても変わっているのは間違いなく、スミスの店を贔屓にしているらしい。

 面白い玩具を持ち込んでは何やら練習している。


 投げ槍を模したバランスで仕上げた杖なんぞは造りも良く、護身に持ち歩いても中々に瀟洒しょうしゃさがある。

 気に入ったので儂も一つ揃えてみた。


 冒険者ギルドで若造に絡まれた時にも重宝したの。


 熊の件で申し入れに行った時の事だ。

 冒険者ギルドとは良くも悪くも付き合いは長い。

 冒険者は余所から流れてくる連中が多く、どうにも仕事が荒くなりがちだ。

 

 今でこそ大まかな棲み分けが出来ているが昔はよく衝突したものだ。

 魔の森の脇で根を下ろす、それは容易な事では無かったし安易な策は簡単にくつがえされるのだ。


 熊の件もそうだが、最近は街中の空気も不穏なものがある。 

 狩人ギルドとしても久しく無かったの受け入れをしたので騒ぎを起こさせるなと釘を刺したら、冒険者ギルドも何か思い当たる節でもあるのか大人しく引き下がった。

 

 このギルドマスターも若造の頃は散々してやったので居心地の悪さもあるのだろう。

 用件の受け入れを確認したら早々に退散してやるかと思った矢先に冒険者の死体が発見された。

 

 運び込まれた死体を検分したら致命傷は熊にやられた傷であった。

 発見された場所からも、熊なぶりの犯人で間違いなかろう。

 犯人探しは手間が省けたが……何とも後味の良くない事よ。


 常識の通じない異界である迷宮ダンジョンと違い、森は大自然の常識やルールがあるのだ。

 迷宮ダンジョンに憧れる冒険者はどうにもその辺りを忘れがちで、ついつい小言の一つも口からこぼれる。



 それから暫く日が経つがリオンは弓の稽古に通い詰めていた。

 最初はぎこちなくわっぱの手習いの様だったが筋は悪くない。


 気がつけば60どころか100にも当てる様になっておった。

 しかも魂消たまげた事に何割かは“射る”気を消しておった。


 当てようとして当てるのが弓だ。

 その先に当てようとせずに当たる領域は確かにある。

 だがそれは当てようとして気の遠くなるほど射続けて、身体に射る動作が染み付いた段階を経て初めて踏み入れる領域なのだ。

 

 当てる意識がないから、獣も狙われた事に気づけぬまま射抜かれるのだ。

 一体何を見据えていれば一足飛びにその境地に到れるのだろうか。



 終いにはフラリと森に入ったかと思えば中層まで入り込んだ上に、獲物に歩いて近づき槍の一突きで仕留めて来る始末だ。

 端的に言って色々普通じゃない。


  

 髪を短く刈り込んで露わになった耳を見て無ければ森人エルフだと思っていたかも知れんの。


 

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