第7話 突然生えてくる三男

 思わず閉じた目を開く。すると真っ先に、自分の――ロビンの顔が目に入った。


「えっ?」 

「ロビン? どうしたの。顔が真っ青だけど」


 ロビンは階下の、使用人たちの鏡の前に立っていた。間違いなく鏡の前だった。

「あれっ、えっ、えっ?」

 美形の魔王は消え、庭から階下へ移動し――薄暗い鏡の前で、リジーの隣に居る。しかも今し方聞かされた台詞は、もう何回目だったろうか?

(これ……時間が巻き戻ってる?)

「――毎日毎日無理するからよ。休むといいわ。旦那様やメイド長には、私がうまくいっておくから」

リジーは髪を結いながら、ロビンに微笑みかけた。

「ゆっくりするのよ、働くのは禁止。わかった?」

「あ、え、……ええー……」

「わかった?」

リジーは念押しするようにロビンの頬をつついた。

「そうじゃないと、が心配なさるでしょ」 


 困惑ばかりのロビンの思考に、その単語がぶっすり突き刺さってきた。

(まおさま?)


「リジー、マオさまって、なに?」

「なにって、……なにってロビン! マオさまよ?」

「は?」

 リジーは目ん玉をひんむいた。ひんむく、という表現で間違いない。

 ロビンはなにか、おかしなことを言ってしまったようだ。

「いやだって、マオさまなんて、ゲームにはいな――」

 リジーの前で出してはいけない情報まで出てきかけたロビンの口を塞ぐように――

「セインレル家三男のマオさまに決まってるじゃない、ちょっと、ロビン!」

 ――リジーはロビンの頬を挟んでむにゅっと押し込んだ。

「大丈夫? 熱は……ないか。さすがにちょっとそれはどうなの。あんなにロビンのことを好いてくださってる坊ちゃまのお名前を忘れてしまったの?」

「セインレル家三男?」


 三男なんて知らない。

 存在しないはずだ。


 いやな予感しかしない。


「あのう」

 ロビンは「マオさま」の部屋の扉をノックした。

「ロビンです、マオ、さま……」

 言い終えるが早いか、扉が開いて細腕が伸び、ロビンの腕をひっつかむと中に引き入れた。



「ロビン!」

「マオさま。いえ、魔王さま。どうしたことでしょうかこれは」

 セインレル家の空き部屋はひとつ、三男のための部屋になっていたし――そこにはいるはずもない三男が生えていたし、さらには、その三男は先ほどの魔王をちょっと小さくしたような外見をしていた。黒髪に青い瞳。透き通るような美貌。

 一応セインレル家の……ということだから、ぎこちない敬語でロビンは続ける。


「私の記憶にはない三男が無から生えてきていますが、何事でしょうか……」

「ねえ、これでぼくも、ロビンの攻略対象になるよね」


 青い瞳をきらきらさせて、魔王は、いやマオはロビンの手を握った。


「ね、ぼくのこと、攻略してくれるよね? 好きになってくれるよね?」

「え、ええっと……」


(なんなのこの邪気のない瞳! これが魔王?)

 とても、先ほどまで鎌を振り回そうとしていた男と同一人物とは思えない。


「何してほしい? ぼく、なんでも勉強する! 今は小さいけど、これから大きくなるし……ぼくはつよいし、なんでもできるし、それから……ええと」

「何してほしいも、何も……」

(努力の方向性がおかしい! 思ってたのと違う……)

 ロビンはあきれ果てて魔王の顔を見た。同じ位置にある顔は期待に満ち満ちている。しかしこれが彼なりの考えと努力の結果だということは間違いがないので、ロビンは何も言えず彼の青い瞳を見ていた。

「魔王さま、恋の経験はおありで?」

「ロビンがはじめて」

「誰かを愛したことは?」

「ロビンがはじめて」

 繰り返される質問に、魔王は何度も同じ答えを返した。

「全部ロビンがはじめてだよ。ぼく、こんなに誰かに見てほしいと思ったこと、ない。ロビンにも同じ気持ちでいてほしいと思ってる」

「魔王さま。先ほどのお話の続きですけど」

 命乞いをした手前、努力はしよう。だがこれだけは、言っておかなければならない。ロビンは静かに息を吐いた。

「私はいちど別の人生を経験しましたが、

「そうなの?」

 可憐とすら言える瞳がまたたく。ロビンはうなずいた。

「そうしたこととは無縁の人生でした。そして今も、恋だの愛だのに関しては、よくわかっておりません」

「……こんなにぼく、ロビンのこと好きなのに?」

(人の話を聞けー!)

 マオはロビンの首に抱きついて、そのまま母にすがる赤子のように離れなくなった。

「魔王さま、ちょっと」

「マオ」

「魔王さま」

「まーお。マオだってば。マオ・セインレル」

「魔王だからマオって、安直すぎやしませんか」

「じゃあ、ロビンが考えてよ」

「……マオでいいです」 

 ロビンはやんわりと彼の腕をほどこうとしたが、きつく巻き付いた腕は今度こそ離れなかった。

「坊ちゃま。メイドに抱きつくのはおやめください」

「誰にも文句を言わせないようにするから大丈夫。あの兄ふたりにも、庭師にも、勇者にも……」

 あまったれの声は一層低くなり、耳元に吐息が触れた。


「大丈夫だよ、ロビン。ぼくが恋も愛も全部教えてあげるからね」

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