第3話 猫ちゃんだけが私の癒やし

 兄弟を放置して庭先に出、ロビンはもう一人の攻略対象の姿を探した。

 庭師のジャック。設定上はロビンより一つ年下の少年だ。十六歳。


 ジャックは薔薇の植え込みに手を入れていた。はさみを操って形を整え、庭の一角を形作っていく。何度見ても手慣れたものだ。彼に技を仕込んだ前の庭師の老人の顔を思い出して、ロビンはゆっくりとジャックの背に歩み寄った。


「ジャック」

「あ、ロビン。さっきは大丈夫だったか?」

 日に焼けたむき出しの腕が、頬を伝う汗を何度も拭う。ロビンは率直に尋ねた。

「ジャックはどうしてあのとき私が困ってるってわかったの?」


『お二人とも喧嘩はその辺にしないと、メイドが困ってます』


 あのとき脈絡なく降ってきたジャックの言葉が、ロビンを救ったのは事実だ。それがシナリオだろうが何だろうが――。

 ジャックは頭を掻いた。

「あー、なんとなく? そう言わなきゃロビンが困ると思ったんだよな」


(やっぱりなぁ、『約束のユーフォリア』の筋書きをなぞってるんだ)


「で、それがどうしたんだよ」

「なんとなく」


 ジャックはさっぱりしていていい。本当に、いい。あのお互いにうじうじした侯爵家の兄弟に比べれば。ロビンは息を吐き、「ジャックの仕事を見学してもいい?」と尋ねた。ジャックは鳶色の目を丸くした。


「あれ、ロビンの仕事はどうしたんだ? まだ終わりじゃないだろ」

「体調不良で休みをいただいているので」

「体調不良なのに、部屋で休まないのか?」

 至極当然な疑問を投げかけてくるジャックに、ロビンは手を両手を広げてみせる。

「別に、こういう休みがあったっていいでしょう。他の人が働いている間堂々と休むのも休みのうち、違う?」

「『知ってるか、そういうのサボりっていうんだぜ』」

 ジャックが歯を見せて笑う。ロビンは弱々しく笑った。それは乙女ゲーム内で何度も聞いた、ジャックの台詞だった。……言わずもがな六回目の。

「別に言わないよ、ジャック」

 ジャックは何も言わなかった。何も思わなかったのか、それ以外に台詞のストックがなかったのか。返事がなかった。


 多少この世界で会話してわかったことがある。攻略対象の彼らは息をするようにプログラムされている台詞を吐くのだが、特に自覚はないらしい。

 それでもそれらしくあつらえられている話の流れや雰囲気や世界観が、かろうじていびつなコミュニケーションを成り立たせているにすぎない。時にちぐはぐなこの世界のコミュニケーションには、慣れる気がしない。


「他の人とちゃんと会話できてる気がしない……」

 会話の本質がつかみきれないし、相手が何を考えているか全くわからない。ロビンは手際よく仕事をするジャックを眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。そして吸った。

 ここに居る限り自分はセインレル家のロビンだ。この得体の知れない・奇妙な・たちの悪い夢が覚めるまで、せめて何事もなく過ごしたい。


「頑張れロビン、頑張れ私……」

 と、そのときだった。


 背後の茂みがガサガサと揺れ、ひょっこりと小さな黒いものが顔を出した。ロビンははっと振り向いて、思わず両手を握り合わせた。


「ね、ネッコチャン!」

 黒猫はつぶらな瞳をこちらに向けてにゃおと鳴いた。酷く痩せていて、毛並みもボサボサだった。けれど猫は、猫だ。ロビンは早口の高い声で猫に呼びかけた。


「ネコチャン! どこの子かな? どこからきたの? おうちは?」

 何を隠そう、ロビン(の中の人)は猫派である。


 差し伸べた手をぺろりと嘗めた猫はにゃーと細く鳴き、ロビンの手の中に収まった。本当に小さな小さな黒猫だった。


(ああーっ! 癒やし! かわいい! 連れて帰りたい!)


 両手にギリギリ収まるくらいの黒猫は尻尾を垂らしてロビンを見上げた。ロビンは頬ずりせんばかりの勢いで子猫を抱え込み、その毛並みをなでて整える。頬に触れる感触はほんのりあたたかく、何より心音が聞こえた。


(ネコチャン!)


「ネコチャン!」


 ロビンは衝動をそのまま口から垂れ流しながら、ぐるぐると思考を巡らして、どうにかしてこの猫を飼えないかと考えた。同室のリジーは猫が平気だったろうか、とか、ご主人様にあたる旦那様に黙って勝手に飼ってしまっても大丈夫だろうかとか、餌のやりくりをどうしようかとか――様々なことを考えている間に、手の中の猫にじっとのぞき込まれていることに気づく。青い瞳の猫は、じっとロビンの瞳を見上げていた。


「何? ねこちゃ……?」


 ぐにゃっと視界が揺らいだとき、ロビンはとっさに「覚えがある」と思った。五回は見た、この光景。

(おかしい、「回避」したはずなのに……?)

 きっとこれから「悪夢」を見る。ロビンにはその確信があった。目の前の一対の猫の瞳が、青と黒に入り交じって溶け、見えなくなった。




【n年前、某領】


「――は、っ」


 少女は走っている。少年に手を引かれて、息が切れるのも、心臓が破けそうなほど痛むのもかまわず走り続けている。


「リヒト、」


 少女は自分の手を引く幼なじみに呼びかける。「どこいくの、リヒト、ねえ」


「《――》! 走るのをやめるな!」

「リヒト、怖いよ、ねえ」


 何が何だかわからない。闇の中で村が燃えている。裸足の足の裏が切れている。少女はだんだん怖くなってくる。これが夢ではないことを思い知り始める。

「怖い、夢だ……」

「夢じゃない! 魔王が……! 魔王がおまえを狙ってるんだ! 俺は俺の使命のためにおまえを逃がさないと、」

 そのとき、二人の前に漆黒の影が立ち塞がった。影はその触手をのばし、緩やかに《――》の首を絞める。真綿のように柔らかいのに氷のように冷たい感触が、首を圧迫している。

 少女は足をばたつかせて暴れる。少年が剣を抜き放ち、叫んだ。

から離れろ、魔王! このリヒトがおまえを、」

 彼は最後まで言えずに弾き飛ばされた。木の幹にあっけなく打ち付けられ、そのまま失神してしまう。

(リヒト……!)

 叫びたいのに、声が出ない。大事な幼なじみの名前ひとつ呼べない。無力だ。

 少女は、無力だ。

 彼女は首を絞める触手をぎゅっと握りしめて、顔も手も腕も足もない黒い影を見据え、言葉にならない言葉で魔王を呪った。


「わたしは、絶対に、貴方の、思い通りには、ならない」

 

 そしてそのまま、気を失った。

 

【プロローグ:過去の記憶】



 

 爽やかな風が吹き抜けるセインレル家の庭でロビンは目を開ける。横になった庭が見える。倒れ伏す自分の両腕が絡まっている。それなのに地面に頬がついていないから、柔らかい何かを枕に眠っていたようだった。

「ん……?」

 抱いていた猫が居なくなっている。それどころか、枕にしたそれは相応にあたたかく、時折動く。

「んん……?」

 ひょっとして猫を枕にしてしまったか、などと思った矢先。

「目覚めたか、ロビン」

 聞き慣れない低い美声がから降ってきて、ロビンはすぐさま飛び退いた。

 

「だっ、だっだっ、だっ?」

 黒髪に青い瞳。整った鼻梁と薄い唇。漫画かアニメか、はたまた乙女ゲームから出てきたみたいな美男がそこにいた――が。

「だ?」

 美男は首をかしげて見せた。緩やかに黒髪が首筋を流れていった。

「どうした、ロビン」

「だっだだだ誰!? だれーッ?」



 ロビンは彼を知らなかった。



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