第2話 現状整理、よろしくて?

 まず、「必ず見る夢」を方向で行こう。


 ロビンは後ろ手にドアを閉めると上の階へ向かい、先ほどまで仕事に使っていたモップを片付けようとし――モップを立てかけた場所にいる思わぬ先客に、目をみはった。


「あ、ヴィ、ヴィクター……様」


「ロビン? 体調が優れないって聞いたけど、寝ていなくて大丈夫?」


 ヴィクター・セインレル、20歳。このセインレル領を収める侯爵──旦那様の次男にあたる。


「あ、あの、いえ、その……モップを回収してからと思いまして」

「俺ときみの仲で、そんな堅苦しい言葉遣いはよしてくれと何回も言っているだろう。昔は、俺とふたりで楽しく暮らしたじゃないか」


 長い茶髪をうなじでひとつに結って垂らし、親譲りのトパーズ色の瞳を瞬かせ、色男は顔を曇らせた。――そう、お色気枠なのだ、ヴィクターは。

 しなだれるようにして壁に肘をつき、ロビンをのぞき込む高い背。きっとこういう男が好きな人は、ヴィクターのことを好きなのだろうな、と、ロビンは考える。


「昔のように君と遊びたいよ。庭の木にブランコを掛けたりして――ブランコを押してとねだるきみはとても可愛らしかったね」

「――今は私はメイド、そしてヴィクター様はこの屋敷の子息でいらっしゃいます。侯爵領主のご子息とメイドが遊ぶなんてとんでもございません」


 「大丈夫か?」という最初の言葉以外は、ヴィクターの乙女ゲームでの台詞だ。このやりとりも五回やった。きっちり覚えている。


「お堅いな。俺のかわいい駒鳥ロビンにメイド長は何を吹き込んだんだか」


 ……ちなみに最初からヴィクターはこんな感じだ。攻略対象の態度に関わってくるシステム「好感度」は関係ない。素で、これだ。


「メイド長はメイドとしてのあり方を教えてくださいました」

(こいつ、うっとうしい……)


 というか、置き去りにしたモップがない。なくなっている。ロビンはごくりとつばを飲み、またシナリオにない台詞を発する。


「あの、ここにあったモップはどちらに?」

「モップ? その辺のメイドが片付けたんじゃないかな?」

 ヴィクターは興味なさそうに言った。「そんなことより今は、きみと話をしているんだけど、ロビン?」

「私、モップを探しているので、これで」

 ロビンはすぐさまきびすを返して何事もなかったかのように歩き出した。引き留めようとする腕がロビンの手首を捉える。

「待って」

 いやです待ちません、と言いかけたそのとき、背後からとがめるような声がヴィクターを呼び止めた。


「やめるんだ、ヴィクター。ロビンの邪魔をするな」


 ジェイド・セインレル。23歳。この侯爵家の長男であり、次の領主と期待されている。

 ジェイドは弟と違って生真面目で、今後の人生のあり方を親に決められている、不自由なキャラクターだ。この乙女ゲームの中で唯一、婚約者がいる。弟と同じ色の髪と瞳の色をしているが、顔つきは異なる。母親が違うのだ。


「おや、兄上様」

 ヴィクターにつかまれたロビンの手首は解放された。が、代わりに――。


「ご機嫌うるわしゅう。出来損ないの弟の顔を見に来るなんて、兄上様暇なんですか?」

 ジェイドはため息をつき、弟をじっとにらみつけた。

「出来損ないだと思っているのはおまえだけだろうヴィクター。駄々をこねるな。俺のせいにするな、うっとうしい」

「おや、言葉をくるくるひっくり返して、兄上様だ、全く」

「思ってもいないくせに、よく言う」

「そっくりそのまま返しますよ」


 心底面倒くさい兄弟げんかが始まってしまった。もちろん、シナリオには存在する台詞ばかりだ。シチュエーションは違ったけれど、内容はほとんど同じ。これも五回見た。もはや、テスト勉強でやったところがテストに出たときの感覚にそっくりだ。ロビンはこれを知っている。


(うわー……)


 ここは止めるべきなんだろうか?


 ちなみに、シナリオ上では止めに入るとき、どちらの味方をするかで二人のロビンに対する好感度が変わってくる。

 五周は繰り返したからどっちの反応もわかっている。選ばれた方の好感度が上がったり選ばれなかったほうの好感度が下がったりして、――しかし喧嘩は止まらず続くのだ。つまりロビンが止めようが止めまいが、この喧嘩は止まらない。止めようとするだけ無駄だ。


「あの、」

 しかしロビンは口を開いた。


「お二人ともいい大人なのですから腹を割って話をするといいのでは? 何年も前の禍根かこんをひきずってうじうじされても私困ります」


 そして盛大に、正直な本音をぶちまけた。


「お二人ともうじうじして上辺だけの対立を延々えんえん続けているくらいなら吹っ切れるまでお互いに本音をさらし合うべきと存じます。根本的に兄弟げんかの方法が間違っています。せめて拳でなくても腹の底から出てきた本音の言葉できちんと殴り合ってください」


 きょとん。

 兄ジェイドと弟ヴィクターは口を開けたままこちらを見ていた。そしてお互いに顔を見合わせた。兄弟そっくりだ。


「ろ、ロビン? いきなりどうした」

「なにがどうしたんだ?」


「いきなりも何も私はこの話六周してあんたたちのやりとりを何回も何回も何回も聞いているわけなんですけれど」


 口調まで崩れてしまった。しかしロビンは止まるどころか拳を固めて熱弁した。


「あんたたちは立場も性格も真反対だと思ってるかもしれないですけど、本当に兄弟そろってそっくりなんですから、いい加減に共通項を見極めて仲直りして下さい。何回も同じ喧嘩見せられる私の身にもなってください。いい加減にして」


 廊下に静寂が満ちた。わかっていない様子の二人を見もせず、ロビンはなおも続ける。


「失礼いたしました――そろそろ頃合いじゃないでしょうか。庭師のジャックがこう言うでしょう。『お二人とも喧嘩はその辺にしないと、メイドが困ってます』」


 そのとき、窓の外から大声が響いた。


「お二人ともお! 喧嘩はその辺にしないとお! メイドが!」


 ロビンはため息をつき、二人はなおも顔を見合わせた。そっと窓の外を見ると、麦わら帽をかぶった小さな影が手を振りながら叫んでいた。

「メイドが困ってます!」


「ジャックは……なんでわかったんだ……?」

 ジェイドが小さくつぶやいた。ロビンは肩をすくめた。

「そういうことになってるんです。筋書きで」

「筋書きで……?」

「さっきから言っているじゃないですか。私、もうこのやりとりは六回目なんです」

 いい年の兄弟は喧嘩も忘れたようにしてまた顔を見合わせた。すっかり仲良しじゃないか。ロビンばかりが、途方に暮れていた。

 ここまで台詞は既存のものばかりだ。大きく流れが変わったとは思えない。

(いやでも、小さな変化がやがて大きな変化を生むこともあるし……バタフライ・エフェクトっていうし……)

 しかしロビンにはその小さな蝶の羽ばたきを信じるだけの理屈を持ち合わせていなかった。


 血に染まる画面。ちらつく鎌の影。


 どうやったらあのバグに支配された結末を変えることができるんだろう?

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