六周目のロビンとバグった魔王様! 立ち絵すらないキャラに溺愛されて異世界転生した場合

紫陽_凛

第一章 『約束のユーフォリア』

第1話 唐突に始まったメイド生活一日目

 気づいたら、メイドになっていた。


 ロビンは「あれ、私、メイドになってる?」と首をかしげた。屋敷の長い廊下にモップをかけつつ、仕事の手は止めず――それでも、不思議と違和感の方が勝ち、思考をそちらに傾けて、何度も何度も今の状況を見つめ直した。


 マキシマム丈のメイド服を着込み、廊下を磨き、何より「気づく」までそれを当然のことのように受け流していたこと。そして今になって、おかしいなと気づいたこと。……何かが変だ。

 「何かが変だ」と自覚すると、疑問を抱いた理由はすぐにわかった。 今の自分の認識と、この現状が、まるでかみ合っていないのだ。


(私は、間違いなく、ゲームをしていたはずだ)


 ロビンは、「ゲームテスター」としてゲーム会社で働く社員だったはずだ。昨日まで、いやついさっきまで、乙女ゲームの『テストプレイ』にいそしんでいた。はずだ。製品になる前のゲームからバグを探し出してプログラマに報告する地味な仕事だが、ゲームからバグを取り除く大事な仕事。ロビンの中にいる「自分」は、その業務の真っ最中だったはず。

 ――はずなのだけれど、今はそれなりに重量のある立派なモップを担いでメイドのまねごとなどしている。一体どういうわけだろうか。


「っていうか、――ん?」

 ロビンははじめて、口を開いた。すっかり角の取れた丸い三十路女の声ではなくて、可憐な少女の――というか、人気女性声優みたいな、張りのある美しい声だった。

「うそでしょぉ……」

 誰もいない廊下につぶやきが吸い込まれていく。わなわなと唇が震え、次第に手足まで震えだした。

「――ロビンって、今テストプレイしてた乙女ゲームのデフォルトネームじゃなかったっけ……?」

 さっと顔から血の気が引いた。ロビンは自分の手を握ったり開いたり、何度か足踏みしたりジャンプしたりし、直に伝わってくる触感があることをしっかり確かめたあと、思いっきり自分の片頬をひっぱたいた。

 スパァン!

 勢い以上の派手な音がした。ついでに痛い。さらにもう片側の頬をつねってみる。

 やっぱり痛い。

「うそだ、こんなたちの悪い夢があってたまるかぁ!」


 ロビンはこれが夢であることをまだ諦めていなかった。モップを放り出――さずに、丁寧に壁に立てかけ、倒れないことをしっかり確認してから、指までさして「よし」と言う。それからあらためてロビンはきびすを返した。早歩きで階下へ向かう。


 使用人たちのスペースにあたる階下には大きな鏡がかけてあって、そこで身だしなみを整えるのがメイドや下男の定番になっている。

 鏡の前では同僚のリジーが髪を結い直していた。ロビンはその隣に立ち、リジーと、その隣に映り込んでいるロビンの姿を見比べた。

「た、立ち絵のままだ……」

 角度によって金色にも見える栗色の髪に、エメラルドのような深い緑の瞳。整った鼻梁とほんのりと赤い唇。自分で言うのもなんだけれど、美少女だ。美少女過ぎた。ロビンは倒れそうになって、前のめりになり、鏡に手をついた。確かに鏡の中の美少女は自分だった。その美少女の中に自分が入ってしまっていた。

「ロビン? どうしたの。顔が真っ青だけど」

「いや、ええと、」

「毎日毎日無理するからよ。休むといいわ。旦那様やメイド長には、私がうまくいっておくから」

「あ、……うん、そう、だね」


 リジーの言葉――五回は聞いた台詞だ。主人公、な「ロビン」の体調が優れず、同僚のメイドが休むように促すシーンだ。画面下部のブラウンの吹き出しの中に、何度もその台詞を見た。

 次の台詞は確かこうだ。

『ゆっくりするのよ、働くのは禁止。わかった?』


 途端に、リジーは眉を下げて、ロビンの目をのぞき込み、

「ゆっくりするのよ、働くのは禁止。わかった?」

 ……やっぱりだ。ロビンは曖昧に笑ってうなずき、独り言がぼろぼろこぼれる前に鏡の前を去った。早足で階下の廊下を進み、自分の部屋にあたる小部屋にそそくさと入ると、大きく息を吐く。


 このあとシナリオ上のロビンは同僚のアドバイスどおりに眠りにつき、過去の記憶を呼び覚ます悪夢にうなされる。

 それも、何度も見た。少なくともロビンの中にいる自分は、このゲームのシナリオを少なくとも五回は経験している。この先どうなるのか、知っている。

 知っているからこそ、ロビンは頭を抱える。

「夢に違いない、きっとそうだ、いつかさめる悪い夢だ……」

 夢に鮮明なものがあるように、今見ているこの夢もそうであってほしい。ロビンはまた頬をつねった。痛かった。

「い、いやだ……いやすぎる……」




 『約束のユーフォリア』は、メイドの主人公「ロビン」が個性豊かな美形男子たちと恋に落ちる恋愛シミュレーションゲームだ。三年前、記憶喪失・栄養失調の状態でこのセインレル家に拾われたロビンは、餓死寸前のところを拾ってくれた旦那様や、優しくしてくれた子息たちに報いるため、セインレル家のメイドとして仕えることを決める。

 そして三年後、運命の日きょうがやってくる。過去に見た悪夢によって、「ロビン」の中に失われた記憶の兆しが見え始めるのだ。物語はここから始まり、やがて四人の男性との未来が見えてくる。

 セインレル家の長男、次男、庭師、そして、流浪の勇者まで。「ロビン」は彼らと恋愛の「フラグ」を立て、攻略可能になったキャラクターの攻略ルートへ進み、存分に恋愛をする。する、はずなのだが……


「私に渡されたゲームデータには決定的なバグがある」


 ロビンはつぶやいた。

「フラグを立てようが立てまいが、強制イベントの緑風祭りょくふうさいへ行くと……強制的にになってしまう……」

 

 緑風祭はこの世界における夏至の日に開かれる盛大な祭りだ。シナリオ上では、ここまでに恋愛フラグを立てているキャラクターが選択肢に現れ、彼らの中から一人を選んで攻略することができる。つまりこのイベント上で選んだキャラクターと恋に落ちることができるのだ。

 そのはずなのだが。

 渡されたゲームデータでは、五回繰り返しても、攻略ルートへ進むことができなかった。緑風祭イベントの半ばにさしかかるとノイズが走り、別のルートのゲームオーバーとおぼしき画面に飛ばされてしまう。ディスプレイは血の赤に染まり、テキストはロビンに起こった惨事をこう告げる。



――刹那、私の体は切り裂かれた。事切れる一瞬の間に様々な感情が巡る。視界の隅に血に染まった鎌が映り込む。

『どうして……? なんで私なの……?』

【GAMEOVER】



「いやだーっ!」

 ロビンは寝台の上でもんどり打った。長いスカートが足にまといついてばさばさ音を立てる。それでも暴れることをやめられないロビンは枕を振り回しながら頭を振りたくった。

「死にたくない! 普通に、ふっつーに、死にたくない、痛いのはいやだーっ!」

 ひとしきり駄々をこねたあと、ぜえぜえ息を切らし、ロビンは大の字になった。こうなれば美少女も形無しだ。

「これ、よくあるやつだ……破滅シナリオ回避ってやつだ……私知ってる……」


 よく広告に流れてきていたから、「破滅シナリオ回避」というテンプレートは知っているが、作り手側としてそうしたコンテンツに触れることはめったになかった。だからロビンはこういった「回避もの」のお約束をよく知らない。

 だけど、この「約束のユーフォリア」のシナリオのことなら知っている。何せ五周もしているのだ。

「まず、シナリオに、そむいてみよう」


 ロビンは立ち上がった。そしてベッドに背を向け、息を吸い込むと、思い切って自室を出た。









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