若緑のお嬢さんと冷静な高校生くん2

 何も無い。あまりにも、何も無さすぎる。


 何を見て言っているかと言うと、お嬢さんの部屋だ。いつも迷惑をかけているから、勉強を教えるくらいの礼はしたいと言われて、受験生の僕はありがたく受け入れることにした。

 姉さんも時折勉強を教えてくれるが、あまりにもパッションすぎて理解に苦しむのだ。


 改めて言う。何も無さすぎる。ベッドと、ローテーブルのみ。フローリングの床にはカーペットも何も無い。ローテーブルとの相性が悪すぎやしないだろうか。ソファもない。

 電子レンジはある。逆に言うとそれしかない。冷蔵庫も、シンクも、コンロも。電気ポットはあるけど、食器棚がない。


「あ、あの、飲み物は何がいいとか、ありますか?コーヒーとか、紅茶……はないんですけど、お水とか、お茶とか」

「……お茶で」


 もしかして、ここは居住地ではなかったりするのだろうか。さすがに高校生とはいえ男に住んでいる家を教えるのは怖いもんな。だとしたらこの家は何と聞きたいところだけど。アパートの一角にあっていい部屋か?生活感があまりにも無さ過ぎる。


 そろそろと、ニンジャか何か?と言いたくなるような足取りで、紙コップ二つを持ってくる。紙コップ。家で、紙コップ。しかもお嬢さんの分まで。


「よっ、と……ふー……あ、あの。何か気になりますか?さっきからずっと、キョロキョロしてますけど……別に何もありませんよ?」

「何も無さすぎて見ていただけです。どうやって生活してるんですか?」

「え、えへへ……苦学生なもので……普段はバイト先で寝泊まりしてるんです……」

「寝泊まりするレベルでバイトしてるのに苦学生なんですか?」

「たっ、たしかに……」


 おどおどと目を泳がせる。すごく怪しいけど、あまり触れないでおいた方がいいだろう。お嬢さんが挙動不審なのは今に始まったことでは無いし、触れて厄介事に巻き込まれても面倒だ。


「まぁ、いいですけど……まともな食事とってます?」

「とってますよぉ。バイト先の先輩に、料理が上手な人がいるんです。たまに作ってもらうんですよ」

「へぇ……なんのバイトを?」

「パソコンをカチャカチャするバイトです」

「事務職、みたいな?」

「はい」


 事務職バイトで寝泊まり……?それ、ブラックでは?いや、考えるのはやめよう。そこまで気遣うほど仲良くもないし。


「君は、将来なんの仕事をしたいんですか?」

「僕?あまり深く考えたことはないですね……ただ、母や父には姉のような不透明な職に就くのはやめてくれと頼まれますが」

「お姉さんは何を?」

「Color株式会社で働いてる、と言ってましたけど……調べたら出てきはするんですけど、なんか胡散臭くて」


 きちんとしたホームページではある。企業理念や活動内容など、会社については事細かに丁寧に書かれてはいるのだ。報告書なども定期的に上がっている。

 ただ、会社の電話番号がなかったり、住所がなかったり、そういった情報は一切ないのだ。その上、会社評判もゼロ。そのホームページ以外に、Color株式会社が存在していることを示すサイトも何も無い。


「Colorはスカウト以外で社員を集めませんし、依頼を受けたりもしませんからね」

「何をしている会社なんですか?」

「聞こえよく言うなら、正義を執行している会社、ですかね」

「聞こえ良く、言わないなら?」


 お嬢さんはお茶を飲んで、穏やかに微笑んだ。


 エアコンも着いていない部屋。夏に差し掛かってきてもいないのに、汗が背中を伝う。


 暑い。


 普段の怯えた小動物のような瞳はなりを潜めて、今はただ、表情の穏やかさとは反対に、猛禽類のようなギラつきを放っている。


 お嬢さんもきっと、Colorの人なのだ。

 まるでそうであることが当然かのように、会う度必ず緑色の何かを身につけている。今日はトップスが鮮やかな緑色だ。

 姉さんもいつからか、黄色の服を好んで着用するようになった。

 こじつけ、だろうか。


「得体の知れないものを知りたくなるのは人間の性ですが、なぜ得体の知れないものになっているのかを考えた方がいいですよ」

「どういう」

「パンドラも浦島太郎も、箱を開けたから結末がバッドエンドになりました。では、なぜそもそもバッドエンドとなりうる要素が箱に入っていたんだと思いますか?」


 バッドエンドだから、箱の中に入れていた?


 人が隠すのは、何も宝だけじゃない。人に盗られたくないもの、見られたくないもの、使われてはいけないもの、知られたくないもの。それは決して、美しいものばかりじゃない。


「ゼウスも乙姫も、開けてはいけないと言ったのに、結末は知っての通りです。好奇心は猫をも殺す。君は、どうしますか?」

「……ご忠告痛み入ります。僕は、蓋を閉めたままにしておきましょう」

「賢明だと思います」


 ふう、と息をついて本来の目的だった勉強道具を取り出す。

 やけに喉が渇いて、紙コップに口をつけた。少し温くなったお茶が、喉を潤す。

 筆箱の中から姉に五年前、誕生日プレゼントにと貰ったシャーペンを取りだして、ノートを開く。


「ひとつだけ、聞いてもいいですか」

「……なんでしょう?」

「幸せですか」

「どうでしょう。私は君のお姉さんを知らないので」

「いえ、姉さんじゃなく、お嬢さんが」


 お嬢さんは面食らった顔をして、ほんの少し頬を赤く染めた。


「幸せですよ。君とこうして、いられるから」

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