梔色の先輩とやらと口の悪い後輩くん1

 タイマンバトル。目を逸らした方が負け。

 じわじわと近付くと、ジリジリと遠ざかっていく。


「あんだ?ビビってやがんのか?てめえ……」


 だが残念だったな。もうお前は袋のネズミだ。手を伸ばして、狙うのは頭だ。


「フシャー!」

「うおっ!?」


 俺の手から逃れて、あっという間に姿を見せなくなった。くそ、また逃げやがったか。


 ため息をついて、人影のないところで胡座をかく。ケツの部分が汚れるとか、そんなこた知るか。どうせ洗濯するのは俺だ。


「あー!ため息ついたら幸せが逃げるんだよー?」

「ぅおわ!?てめえどっから出て来やがった!」


 まるで妖怪みてえにニョキッと生えてきやがったこの女は、俺の、こんなこと言いたかねえが上司だ。しかも、直属の。

 初日から俺に鬱陶しいほど絡んできやがって、それにムカついて酒を大量に飲ませてぶっ倒して俺と距離をおくようにしてやろうと思ったら、とんでもねえザルだったというオチだ。「うぉー!後輩くんもお酒強いの?いいじゃんいいじゃん!いつもお姉さん以外寝ちゃうからさあ、つまんなかったんだよ!ほら、飲みな飲みな!お姉さんが奢っちゃるよ!」とか言いながら馬鹿みてえに飲んで馬鹿みてえに酒をついで、馬鹿みてえに背中をバンバンと叩きやがる。このアマは恐れというものを知らねえらしい。あとシンプルにうるせえ。


「ふふん、壁に耳あり正午にメアリーってやつ?お姉さんはどこにでも現れるのだよ、後輩くん」

「それを言うなら障子に目ありだろうが!正午にメアリーってなんだよ!」

「いいツッコミだねえ!で、どうしたんだい?ため息なんか着いちゃってさ。お茶の中で虫でも死んでたかい?」

「そんなことでため息つかねえよ」


 あっはっは!と豪快に笑って、ほい、と俺にアイスココアを寄越してくる。ここは普通、コーヒーとかじゃねえのか?


「後輩くんいつもコーヒーに大量に砂糖とミルク入れてるから甘いの好きなのかなってココアにしといたよ!」

「そりゃあどうも!」


 サムズアップを見せてくる女にイラつきながら、ココアをひったくる。ニマニマと笑っていやがるのがうぜえ。馬鹿にしてんじゃねえぞ。


「で?どうしたのさ。お姉さんに話してごらんよ」

「お前に話すような事じゃねえ」

「報連相って知ってるかい?後輩くん。相談も大事な仕事を円滑に進める要素なのだよ」

「……ちっ」


 先輩とやらは隣に座って、ブラックの缶コーヒーのプルタブを開ける。こいつ居座るつもりか?つか、女がこんなとこで地べたにきっちりケツつけて座るとかどうなってんだ。

 黄色のスカートをシワになるとかすら気にせずに……いや、俺が洗濯やらアイロンやらする訳じゃねえし、放っとけばいいか。


「仕事じゃねえよ」

「じゃあやっぱりお茶の中に虫が……!?」

「なんでお前はさっきからそれにこだわってんだよ!ちげえっつってんだろ!」

「やぁん、こわぁい。女の子にはもっと穏やかに行かないと〜」

「てめぇぶん殴るぞ」

「きゃー」


 棒読みの悲鳴を聴きながら、あげた拳を下ろす。怖いもの知らずか?この女。

 全リソースをこいつに割いたら疲れるだけなのは分かってはいるから、ため息をついて遠くの空を見た。今のため息は間違いなく仕事関連だ。こいつ以外の上司に相談すべきかもしれねえ。


「猫ちゃんに逃げられて残念だったねえ後輩くん」

「全部見てたんじゃねえか!」


 くそ、こいつに一部始終を見られていたとは。一体どういうつもりだ?これをエサに俺をゆするつもりか?


「猫ちゃん可愛いよねえ。分かるよ。お姉さんも猫ちゃん家に三匹いる」

「三匹……」

「今度撫でに来るかい?人懐っこいから後輩くんみたいに人相悪くても逃げないよ」


 ゴクリ、と思わず喉がなった。人相が悪いは余計だが、確かに俺は猫に良く逃げられる。猫カフェに行って猫が擦り寄ってきたことなんて一回もない。俺が触ろうとしても逃げるから結局見ているだけだ。それならまだ動画で見ている方がマシだと気づいてからは猫カフェには行ってねえ。


「待て。お前、一人暮らしか?」

「実家暮らしなら来ないのかい?」

「いや、女一人で住んでる家に俺が単騎で行くのはヤベエだろ」

「あっはは、真面目だねえ。気になるなら弟も呼ぶよ」

「その弟とやらが気まずくねえか?」

「勉強部屋貸しちゃるって言ったら来るよ。別に弟と戯れたいわけじゃないしね」


 いいのか、それ。他人の家庭事情に口を突っ込むもんじゃねえが。


「今週の日曜日、二時に駅前でどうだい?」

「俺は行くなんて言ってねえ」

「うんうん、決まりね。遅れてくるんじゃないよ、後輩くん」

「は?おい、勝手に話進めて勝手に去るんじゃねえ!」

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