若緑のお嬢さんと冷静な高校生くん1

「ひょ、ひょわあああ!」


 猫のように勢いよく跳ね上がって、僕の後ろに隠れるお嬢さん。僕の目の前にいるのは犬。それも、小型犬。犬には詳しくないから犬種までは分からないけれど、恐らく成犬だ。

 驚いた理由は単純明快。この犬が吠えたからだ。高い声で、きゃん、と一度。


「そう大きな反応をすると、犬が警戒すると思いますけど」

「ええっ!?じゃ、じゃあどうしよう?」

「普通にしていたらいいのでは?噛みませんよ、多分」

「た、たぶん?」

「……絶対」


 泣きそうな顔をしたお嬢さんを、宥めながら、犬にごめんね、と心の中で謝る。撫でてやりたいのは山々だけど、僕犬アレルギーだから。


 このやけに臆病なお嬢さんとは、つい最近、烏が飛び立った拍子に彼女が尻もちをついたのを、大丈夫ですかと声をかけたことをきっかけに知り合った。別に仲良くなりたい訳でもないんだけど、行く先々に彼女がいるのだ。短期間で5回も6回も会っていれば、当然顔を覚えもする。彼女はいつも緑色のバレッタをつけているから、それで、というのもある。というか、緑色が好きなのか、いつも服のどこかしらに緑があるのだ。今日はつま先に行くにつれてふわっと広がるスカートが緑色だ。


 鳥が飛べば驚き、猫や犬が鳴けば驚き、挙句の果てには雨が額に落ちただけでも驚く。よくもまあこれまで生きてこられたものだ。そこまで驚きに支配された生活だと、寿命も数年、いや、十数年縮まっているに違いない。

 彼女は自分がうさぎで無かったことに安堵すべきだろう。うさぎはなんでも、ショック死しやすい生き物らしい。真偽の程は知らない。そこまで興味もない。


「あの」

「は、はいっ!」

「いつまでそうしているんですか?」

「あ、う……ごめんなさい……」


 お嬢さんが犬を警戒しながら後ずさる。先程は猫に例えたが、こう見ると猫に見つかったネズミだ。もっとも、ネズミよりも、猫よりも、果てはこの犬よりも図体は大きいのだけれど。

 後ずさる時に僕の服の裾まで引っ張るのだから勘弁して欲しい。制服が汚れるなどというつもりはないけど、普通に危ない。僕がお嬢さんの足を誤って踏む可能性は考慮していないのか。

 可愛らしい緑色の靴を踏まないように、足元を見ながら彼女に合わせて後ずさる。何も気遣っている訳では無い。耳元で叫ばれると今度こそ鼓膜がやられる。


「毒も持ってないのに、何をそんなに怯えてるんですか?噛まれたところで痛いだけでしょう」

「い、痛いのがいやなんですよぉ!」


 ……それはそうか。痛いのを好む人間なんて少数だろう。いや、マジョリティじゃないというだけで少数かどうかはなんとも言えないな。

 腕時計を見ると、既に遅刻判定が下される二十分前だった。ここから学校までは、歩いて十五分。間に合いはするが、ギリギリ滑り込む、なんてことは避けたい。


 ビビられていることすら分かっていなさそうな子犬を一瞥して、子犬の前を通り過ぎようとお嬢さんから離れる。


「……そうですか。では、僕はこれで」

「ちょ、待って、私を置いていかないでくださぁい!」

「ぇえ……?」


 腕にしがみつかれても困るんですけど。僕、いつの間にお嬢さんの付き人になったんだ?

 顔は知っていても、お互いに名前も、年齢も知らないんだけどな。


「僕、今から学校なんですけど……方向多分違いますよね?」

「あ、あのワンちゃんが見えなくなるところまででいいので!」

「まぁ、いいですけど……もう少し離れてもらうことは可能ですか?歩きづらいです」

「す、すみませぇん……」


 謝りながらも距離は取ろうとしないあたり、相当図々しい人だ。というかビビってる割に犬のことワンちゃん呼びなのか、この人。いや、まあ犬と言っても驚くか。


「疲れないんですか?あんな、子犬にまで驚いて」

「え、えへへ……もう、慣れちゃいました」

「慣れるべき点はそこではないのでは?」

「うっ……意地悪言わないでくださぁい……」


 涙を瞬時に浮かべるお嬢さん。すごいな。特技の欄に記入できるんじゃないか?何も自慢できたものでは無いけど。


「昔っから、こうなんです……ビビりで、グズで、のろまで……」

「…………わっ!」

「ひゃあああああ!?」


 その瞬発力はグズやノロマなんてものじゃないと思う。危機察知能力が高いんだろうか。


「や、やめてくださいよぉ!」

「すみません、つい。なにかトラウマでもあるんですか?」

「な、ないですけどぉ……」

「あ、僕こっちなんで」

「聞いておいて興味無い感じですかぁ!?」


 丸い目をもっと丸くしたお嬢さんは、はぁ、と分かりやすくため息をついた。

 いや、僕も遅刻しそうなので。これでも大分譲歩した方だ。というか、


「お嬢さんは学校は?」

「えっ?」


 お嬢さんはきょとんとして、ぼくの顔を見た。何か変なことでも言ったか?


「あ、あぅ……あの、私、二十歳なので……あ、いや、大学にはいってるんですけど、今日はお休みで、えっと、あの」

「………………えっ?」


 この人、僕を年下だと認識した上でアレなの?

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