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「呪い」、そう言うと非現実的に聞こえるが、しかしそれは実際に存在し、効いている。
例えばこんな事を言った人がいる。「世界で最も偉大な発明家とは、地面に線を引いて領域を分けた者だ」って。
「ここからこっち」と「ここから先」、その二つに分ける。それは、線を引いて、そういう“お約束”を認識させる事で、初めて成立する話だ。でも実際には、線は線だ。壁があるわけでもないし、通れないわけじゃない。
でも、そこを通ろうとすると、或いは踏み越えてしまうと、人は「忌避感」を、抵抗を感じる。
それが、「呪い」の本質だ。
歩道と車道を分ける白い線、民家がそれぞれ持つ敷地、広い平原のど真ん中に存在する国境、それらは全て、別に超えようと思えば超えられる。物理的に不可能な事は無い。だけど、法だったり、マナーだったり、命の危険だったり、それらによって、線を踏み越えるのを、躊躇わせる。
俺が今捕まっているのは、その呪いの強化版だ。
視界が悪い雨の日、誰にも見られていない、注意を払われていない中で、この交差点を斜めに横切ろうとする。恐らくそれが、あの事件と同じ状況であり、この呪いが発動する条件。
あの悲劇を二度と起こしたくない、誰かのその想いが、立て看板を介して増幅し、この外に出れない四つ辻を、「踏み越えてはいけない」結界を作ったのだ。
俺が白線を超えようとすると、立て看板が警告する。「ここから先には行ってはいけない」、「今が一番危ない時だから、ここから出てはいけない」、「大切な命の為に」、と。その時に俺が感じる「危機感」や「後ろめたさ」は、列車が高速で通過しているホームの、点字ブロックを超える事、よりも強い。だから、踏み越えられない。ここに俺を閉じ込めているのは、あの看板に操られた、俺自身だ。
ここは絶対に事故に遭わない安全圏。だけど、構造的欠陥がある。「もう安全だから渡って良し」、そう判断する仕組みが無いのだ。何せ、「誰も見ていない」事が発動条件であるのだから、誰かがその場所に囚われたと知る事自体が、出来ないようになっている。
傘の劣化具合から言って、もしかしたら、外の時間も止まっているのかもしれない。「危ないタイミング」である「今」が、永遠に過ぎ去らないからこそ、誰もここから出られないのだとしたら。そうだった場合、行方不明者として捜索されようと、意味が無い事になる。
ここは死者の怨念が、命を奪う為に作った場所じゃない。
まるで逆、「もう誰も死なせない」という、生者の妄執が生み出した聖域だ。
或いは、複数人によって作られているのもあり得る。そうだとしたら、とても俺では太刀打ちできない!
俺はやがて、歩く事にすら疲れ、だけど死体の上に座りたくもなくて、鳥居の脚に寄り掛かって、止まっていた。
何も妙案は浮かばなかった。こうして体重を預けている今も、俺の意識は間違っても外側に倒れ込まないよう、バランスを整え続けている。強制的にその配慮を引き出される事で、要らない気疲れが発生して、精神力を余計に消耗する事になる。
喉は乾かずとも、腹が減って来た。この場では水に困らない事が、益々最悪だ。じわりじわりと、出来るだけ長引かせ、嬲り殺しにされてるようだった。
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