6

 俺は怯えるように飛び離れた。

 今その目で見た事を整理しようと、懸命に頭を動かし、しかし混乱と恐怖が勝つ。俺はまた歩き始める。とにかく今は動いていたかった。

 

 数十秒か、或いは数分か。俺は意を決して、再度隙間から顔を出す。またしても街が見えた。そこに灰色のレインコートがやって来て、止まる事なく進み、撥ねられて、白い車が走り去る。それらの光景が消えて、


 「今月の交通事故00件」。


 同じ事の繰り返しだった。

 俺はそこで思った。これは幽霊の仕業なんじゃないかと。ここで交通事故で死んだ誰かが、地縛霊となって、人を閉じ込めているのだとしたら?怨嗟によって、道連れを欲しているのだとすれば?

 俺は何処かで聞いている、この現象を引き起こした誰かに、大声で語り掛ける。俺をここから出してくれ。出してくれたら何でもする。花とか線香だってあげてやるし、犯人を捜せと言うなら協力する。家族や友達、恋人への遺言があるなら、狂人呼ばわりされようと付き合ってやる。

 何か望みがあるなら、俺を外に出した方が得だ。だから、ここから出してくれ、と。


 しかし、何も返答は無かった。

 恨めし気に睨む誰かが浮かび上がる事すらなく、鳥居がただ静かに俺を囲み、


   キャー!


 悲鳴に似たブレーキ音だけが小さく木霊するのみ。

 泣こうが喚こうが、聞き入れる者は居なかった。疲労困憊、クタクタになった俺は、その場にへたり込んでしまう。ズボンがジャリジャリに汚れてしまったが、熱っぽくボンヤリとした頭にとって、その程度はどうせ今更な話だ。


 ふと顔を上げると、鳥居の先に看板が見えた。

 

 「今月の交通事故00件」。


 ずっと強調された「0」に気が行っていたが、横に少しだけ小さな字で書かれた、標語のような物も目に入る。


 「守ろうあなたの大切ないのち」。


 目線で下まで字を追っていたら、地面に小さく透明なビンがあり、1本の花が挿さっていた。

 さっき俺が見たあれは、過去に実際にあった事なのだろう、そう思った。俺がこの辺りに越して来たのは、大学に入ってからだから、まだ2年と少しだ。その間、あの看板はずっとあったように思う。それが出来たのが、痛ましい事故、いや、轢き逃げ事件によるものだったとしたら、数年以上前の事故に、未だに花を捧げている人が居る、という事になる。

 誰かにとって、本当に大事な人だったのだろう。それか、この辺りの地域の人からすれば、人気者だったのかも。あの看板に書かれた、力強い「0」。それは、今尚衰えない意思の顕れだ。プラス感情と違って、負の感情は減衰しにくい。時間をおいても、切っ掛けがあれば再燃する。この交差点に囚われ続けているのは、死んだ方だけとは限らないのかもしれない。


 俺は看板に向かって手を合わせ、それから立ち上がろうと地面に手を突き、固い突起のような物を探り当てた。両手を使って掘り出してみると、それは錆びた鉄の骨組みのように見えた。ビニールの膜の切れ端がひっついている。傘だ。それもかなり年月が経過してボロボロな。それが出て来た辺りを手探りで調べてみると、何かの欠片を見つけた。白茶しらちゃけて、一部丸みを帯びたそれは、まるで——


 俺は慌ててそこを犬のように掘り返し始めた。ドロドロとした粒や汚濁が爪の隙間に入って来るのも構わず、その欠片を辿って砂泥を掻き分け、

 

 髑髏の上半分を見つけてしまった。

 

 状態は良くなくて、穴だらけで、粘着いた黒い何かもくっついているが、頭蓋骨だと分かった。俺はそれを放り出し、更に自分の足下のそれらから出来るだけ離れようと尻を引き摺りながら後退り、ガクガク震える膝に無理を言いながら鳥居を伝って立ち上がった。


 俺がずっと踏んづけていたのは、死体だ!


 この隔離された場所で、どうやって腐敗が起こっているのか、それとも別の現象によって形が保てなくなっているのか、それは分からない。とにかく、死んだ人間の体が、砂や泥といった地層になって、この地面を形成している!

 これは、この檻に囚われた者達の末路だ。

 この領域の中から出て行く事が出来ずに、餓死か、或いは熱病による衰弱死。それが俺の辿る未来だと、そう理解させられる。

 ベトベトと衣服や手足にくっついた粒子を払い落としながら、俺はまた居ても立っても居られなくなり、歩き始める。

 

   キャー!


 音に惹かれて目を向ける。

 看板には別の標語。


 「今月の交通事故00件」。

 「雨の日こそ注意忘れず」。

 「地獄に行きたきゃ歩きスマホで」。


 何となくその時、俺は直感的に分かりかけて来た。

 これは、呪いなのだと。

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