第3話 薬剤師から転身して詩人を目ざす 👩‍🔬



 翌春、なんとか生き延びた級友たちとともに帝国女子医学・薬学・理学専門学校を繰り上げ卒業した詩人は、のちに薬剤師の資格試験にも辛うじて合格するが、在学中から化学に苦労したうえ空襲下を逃げ惑う生活で実力が備わっていないことを申し訳なく思い、せっかくの資格を封印し、かわって好きな文学の道を志すことに決める。


 しかし、それにはむすめの将来を心配する父に、いくばくかの才能の発露を認めてもらわなければならない。戦後の価値観が大きく変容するなか、多くのひとたちと同様にもがき苦しみながら自分の道を模索していた詩人は、評判の『真夏の夜の夢』を観に行った帝国劇場で、読売新聞主催第一回「戯曲」募集広告の看板に目を留めた。


 わたしが一番きれいだったとき

 街々はがらがら崩れていって

 とんでもないところから

 青空なんかが見えたりした


 わたしが一番きれいだったとき

 まわりの人達がたくさん死んだ

 工場で 海で 名もない島で

 わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった


 わたしが一番きれいだったとき

 だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

 男たちは挙手の礼しか知らなくて

 きれいな眼差しだけを残し皆発っていった  (「わたしが一番きれいだったとき」)



      *



 三河地方の木綿発祥の民話を骨子にした戯曲が選外佳作に選ばれた詩人はこの小さな手がかりから創作童話『貝の子プチキュー』がNHKラジオで放送されるなど童話作家・脚本家として、さらにのちには詩人として評価されるようになっていく。同時に新劇女優・山本安英の知遇を得て清冽な人柄に魅了され、親密な交流が始まった。 


 大人になるというのは

 すれっからしになるということだと

 思い込んでいた少女の頃

 立居振舞の美しい

 発音の正確な

 素敵な女の人と会いました

 そのひとは私の背のびを見すかしたように

 なにげない話に言いました


 初々しさが大切なの

 人に対しても世の中に対しても

 人を人とも思わなくなったとき

 堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを

 隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました  (「汲む―Y・Yに―」)  



      *



 愛を石清水のように

 淡々と溢れさせえない悔恨が

 私を夜の机にむかわせる

 見知らぬ人へ

 やさしい

 いい手紙を書くつもりで

 ペンは

 いつのまにか

 酷薄な文句を生んでいる。                (「或る日の詩」)


 三月 桃の花はひらき

 五月 藤の花はいっせいに乱れ

 九月 葡萄の棚に葡萄は重く

 十一月 青い蜜柑は熟れはじめる


 地の下には少しまぬけな配達夫がいて

 帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう

 かれらは伝える 根から根へ

 逝きやすい季節のこころを              (「見えない配達夫」)


 どこかに美しい村はないか

 一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒

 鍬を立てかけ 籠を置き

 男も女も大きなジョッキをかたむける              (「六月」)


 信濃のあもりという村は 杏の産地

 多くの絵描きがやってくる 私の心の画廊にも

 小さな額縁がひとつ その中で杏の花は

 咲いたり 散ったり 実ったりする            (「くだものたち」)


 はじめての町に入ってゆくとき

 わたしの心はかすかにときめく

 そば屋があって

 寿司屋があって

 デニムのズボンがぶらさがり

 砂ぼこりがあって

 自転車がのりすてられてあって

 変りばえしない町

 それでもわたしは十分ときめく              (「はじめての町」)




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