第8話 そのとき、わたしは椅子から起ちません 🎶



 のど元過ぎればのおおらかな(笑)国民性から、あれほどの目に遭わされ、いえ、それより以前に、頻繁な他国侵略の歴史の象徴である『君が代』の復活を大方の国民はなんの抵抗もなく受け入れた、一部のこだわるひとたちを除き……。後者に詩人もいた。「☆◇△▽万歳!!」を唱えて死んでいった先人たちの無念に首を垂れながら。


(まったく、ひとがいいというかなんというか……。いわば国旗と国歌に応召されたようなものでしょう。ふたつの象徴に命を投げ出せと強制されつづけているうちに、象徴の否定は自らのアイデンティティの否定につながる、そんな気持ちに駆られたのかもしれないわね。でないと、とうていメンタルを保てなかったということなのか)


 集会の前や後に主催者側から「国歌斉唱」の呼びかけがあると、参会者はだれに命じられずとも一斉に椅子から立ち上がって、正面の壇上にだれかがいるかのように姿勢を正して、粛々と「君の御代」の弥栄を讃える。けれど、詩人は立たず、かといって隣人に不起立への賛同を呼びかけることもなく、ただ静かに座っているのだった。

      

 なぜ国歌など

 ものものしくうたう必要がありましょう

 おおかたは侵略の血でよごれ

 腹黒の過去を隠しもちながら

 口を拭って起立して

 直立不動でうたわなければならないか

 聞かなければならないか

    私は立たない 坐っています             (「鄙ぶりの唄」)


 やわらかな音調にものものしい歌詞がつく国歌ではなくて「さくらさくら/草競馬/アビニョンの橋で/ヴォルガの舟歌/アリラン峠/ブンガワンソロ/ちょいと出ました三角野郎が/八木節もいいな」日本や世界各地の山河に育まれた民謡をうたうのだったら、どんなにか懐かしく慕わしく、やさしい気持ちになれることだろうか。



      *



 東京都立高校の卒業式で校長の命令に従わず国歌斉唱時に起立しなかった一部教諭に東京都教育委員会が定年退職後の再雇用を不合格とし、表面的な復興はなったかに見える戦後社会を震撼させたのは、セレモニーのどこの会場でも圧倒的マジョリティの無言の圧力に堪えて着席しつづけた詩人の抵抗よりも、かなりのちのことになる。


(戦時中、当時の政権の指示とはいえど教育現場の陣頭指揮を執り、数多の教え子を戦場へ送ったその組織の自らの罪障も償わないうちの居丈高で傲慢なスタンス……。時代が進んでもこの国の本質は変わらないなと思わされたわ。この分ではまたいつなんどき、あの暗愚としか言いようがない戦争が起きるかもしれないと怖くなったの)




      *



 退屈きわまりないのが 平和

 単調な単調なあけくれが 平和


 ともすれば淀みそうになるものを

 フレッシュに持ち続けてゆくのは 難しい

 戦争をやるより ずっと

 見知らぬ者に魂を譲り渡すより ずっと          (「それを選んだ」)


 生来が好戦体質の、または軍需暴利を狙う男たちからつぎの戦争待望論があがり始めたとき、詩人は平和の意味を敢えて書かねばならなかった。「それを選んだわたしたち」には「好きな色の毛糸を好きなだけ買える/眩しさ!」と一緒に「ともすれば淀みそうになるもの」がついてまわる。そのとき、生き方の工夫が問われるのだと。


 詩人は、自身を含めた人間のご都合主義を取沙汰せずにいられなかった。万事に忍耐を強いられ、戦地ではもちろん銃後でも命の危険に怯えていた戦時中は、人間のよりよい生き方について模索する暇はなかった……あるいは深く考えずに済んだと言えるかもしれないが、とりあえずの安全を確保された戦後は、そうはいかなくなった。


 日常的に自他の人間性が問われる時代がつづくと、恐ろしいことだが、せっかく獲得した平和への倦怠感が湧き出す現実が露呈した。増上慢を嘆いてみてもそれが人間という存在の本質なのだから仕方がない。ではどうするか。各自が自分の内面を磨くことが幸福への道だと、生来心配性な詩人はつぶやかずにいられなかったのだろう。



      *



 ちなみに、ナチス・ドイツのため父母兄妻を失い、自身もホロコーストにとらえられていたものの奇跡的な生還を遂げてオーストリアにおもむいた精神科医・心理学者のヴィクトール・エミール・フランクルが、戦後の虚脱状態を案じた友人たちの勧めによって過酷な収監体験を克明に記す『夜と霧』を出版したのは一九四六年だった。


 ウィーン大学医学部精神科教授・市立病院神経科部長として患者の治療に当たっていたフランクルはやがて奇妙な現象に気づいた。戦中にはいなかった、生きる目標を見つけられない人びとの急増……。これはおかしいと考え、過去の経験が精神疾患の原因とする従来のフロイト説を覆し、独自の心理療法「実存分析」の開発に至った。


 一九四七年にエレオノール・キャサリン・シュヴィンと再婚し、以降、半世紀余り睦まじい夫婦でありつづけたことは唯一の救われるエピソードになった。夫唱婦随の研究を重ねた末に「意味のない命はない」「人間が人生を問う前に、人生から人間が問われている」という定義付けに至った影響をわが詩人も受けていたかもしれない。




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