第7話 「そういう言葉のアヤ」のこと 🎌
一九七五(昭和五十)年の秋、フォード大統領の招待を受けた天皇・皇后両陛下は日米修好史上初の訪米を行う。二週間にわたる長期滞在でワシントンやロサンゼルスなどを見てまわり、ディズニーランド(一九五五年、カリフォルニアにオープン)も訪れて、スペシャルゲストとしてミッキーマウスらキャラクターの歓迎を受けた。
(複雑な気持ちでテレビを観ていましたよ。軍のトップとしてこの国を敗戦に導き、戦後、とつぜん神から人間に変身された天皇が、その大切な臣民である広島と長崎に原爆を投下して人類史上例のない惨禍をもたらせた国を表敬訪問されたのですから。大柄な男女からカメラを向けられて憮然としている天皇と笑顔の皇后の対照……)
天皇はホワイトハウスでの晩餐会のスピーチで、終戦直後、敗戦国日本の再建のために温かい援助の手を差し伸べてくれたことへの感謝を述べて両国の交流に貢献したと報道されたが、戦争責任問題を消化しきれていない一部の心ある日本国民は、帰朝後の記者会見での曖昧な発言が気になった。詩人・茨木のり子もそのひとりだった。
*
日本記者クラブ理事長の代表質問につづきロンドン・タイムズの中村浩二記者が「ホワイトハウスでの『わたしが深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言は戦争に対して責任を感じておられると解してよろしゅうございますか。いわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっておられますか」と核心を突く質問を行った。
それに対して天皇は「そういう言葉のアヤについては、わたしはそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」一般的に考えて意味が通りやすいとは思えない返答をしたことが報じられたのだ。心ある国民は出しに使われた文学こそ迷惑という心境だったろう。
戦争責任を問われて
その人は言った
そういう言葉のアヤについて
文学方面はあまり研究していないので
お答えできかねます (「四海波静」)
*
詩人は珍妙な返答にも黙して異を唱えようとしない羊の如き大方の国民に率直な疑問をぶつける。「三歳の童子だって笑い出すだろう」「三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア」「野ざらしのどくろさえ/カタカタカタと笑ったのに/笑殺どころか/頼朝級の野次ひとつ飛ばず/どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット」
(ふつうに考えて記者会見でそういう質問が出ることは予測できたはず。なのに返答の用意がなかったとすれば、ご自身に戦争責任はないと考えておられたのか、それとも取り巻き連が甘い予想を具申したのか摩訶不思議よね。しかも、そのことに疑問を抱いたのは一部の国民だけで、大方はただただありがたがっていた、戦前のように)
まるで何事もなかったかのように除夜の鐘を聴こうとしている現状が許せなくて、あの無為な戦争で犠牲になった数多の魂魄に申し訳なくて「野暮は承知で」書かずにいられなかった。みんなどうして黙っていられるのだろう、いまの自分と家族がよければ過去のことはどうでもいい、むしろ、掘り返されたくないということだろうか。
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