第6話 ミンダナオ島の珍しい「木の実」 🌴



 あるとき、静かな日常を送っている詩人の目は小さな新聞記事に釘付けになった。戦後二十六年を経て、日本軍の戦地だったミンダナオ島の樹に見慣れない青い果実が生っているのをある若者が見つけた。母親にか恋人にか採ってやったらどんなによろこぶことだろう。若者はためらいもなく軽い身ごなしでするすると樹に登り始めた。


 その地点に到達して手を伸ばしかけたとき「うわっ!!」と叫んだ若者は樹から転がり落ちた。地上から見て、なんと旨そうな果実だろうと思ったのは、戦死した日本兵の頭蓋骨だった。徴兵で見ず知らずの南の島に連れて来られ、そこで死んだ日本兵の骸は眼窩か鼻孔かを樹の枝に引っかけられ、幹の成長と共に空へ昇ったのだった。


 高い梢に

 青い大きな果実が ひとつ

 現地の若者は するする登り

 手を伸ばそうとして転り落ちた

 木の実と見えたのは

 苔むした一個の髑髏どくろである            (「木の実」)

 


      *



 この頭蓋骨をかき抱き、髪に指をからませてやさしく引き寄せた恋人や、小さな命のこめかみがひくひく動くさまを愛しげに見ていた母親が日本のどこかにいたことに思いを馳せて「もし それが わたしだったら」と考えると、その先の一行がどうしても出て来ない。そのまま一年が過ぎ二年が過ぎても草稿は埋まらないままだった。


(たぶん、わたしだけではなかったでしょうね、あの記事のために眠れない夜々を重ねたのは……。銃後を守れと国に留め置かれた女性たちは直接戦地を知らない分だけかえって想像をたくましくして、そのおどろおどろしい光景をまるで見て来たように目の裏に貼りつけざるを得なかったのだと思うの。画像にもまさる活字の威力よね)


 この詩はとうとう未完のまま『倚りかからず』(一九九九年)に収録された。最初の草稿から何十年も経ち、二十世紀が終幕となるころになってもまだつづきが書けないまま詩集におさめたのは、この衝撃的な事実を記録しておきたいという気持ちと、未完もまた自身のすがたなのだからという一種の達観に後押しされたからだった。


(そのことへの批評? それはむろん、あったわよ。これに限らず、何事にもアンチはつきもので、万人に迎えられることなどあり得ないでしょう。好きと言ってくださる方がいれば、その反対の受け止め方をする方が必ず出て来るものだしね。創作のモチベーションが下がるから、そういう声は聞かないし気にしないことにしていたの)




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