第一章 幽霊屋敷の事情⑥
「これって、強盗の犯人は捕まったんやっけ?」
「いや、捕まってないらしいよ。家の中がほとんど荒らされてなかったのもあって、証拠があまり残ってなかったんだって」
私にも見やすいよう、神代はファイルの位置を少し下げてくれた。神代が示したのは、ネットニュースをプリントアウトした紙だった。
「ほら、ここ。室内に物色された形跡はほとんどなかった、だって。家の中を物色する前に住人が帰ってきちゃったから、やむを得ず殺したんじゃないかってさ」
「亡くなった母娘のうち、娘さんの方だけ地縛霊になった、と……。本当に痛ましい事件だねえ……」
社長が同情のこもった声でつぶやいた。
地縛霊の力は、死亡した時の恨み、怒り、悲しみ、未練といった負の感情の大きさに応じて強くなると言われている。母もろとも強盗に襲われ、無念の死を遂げた少女は、負の感情が凝縮された強力な地縛霊として、あの館に留まることになった。
「美羽さんに兄弟の一人でもいれば、あの館は小清水家が引き継ぐことになったんだろうけどねえ」
小清水親子の死後、あの館と敷地は国に引き取られた。美羽の両親は既に死亡しており、美羽には兄弟もいなかったため、相続人が一人もいなかったのだ。国庫に帰属し、のちに競争入札で売りに出されたあの館を、現在のオーナーである高橋さんが二年前に落札した。
「誠二さん側の縁戚が引き取る話も、一度は出たみたいですよ。ただ、あれだけ広い家だとメンテナンスも大変ですし、もし将来的に手放すことになった際に、ああいう事件があった物件に買い手がつくか不安だったらしくて。結局、譲り受けるには至らなかったみたいです」
心霊現象は、高橋さんがあの館を落札した直後から観測されはじめたらしい。近隣住民が夜中に少女の歌声を聴いたとか、その歌を聴いた通行人が体調不良で倒れたとか、そういう噂が立ちはじめた。
高橋さんはあの土地を早く売り払おうと考え、すぐに館の取壊しに動いたが、作業員が原因不明の不調でバタバタと倒れてしまい、作業が一向に進まない。オーナーが個人的に雇ったベテラン除霊師も追い返されてしまい、最後の手段として、さざなみ不動産に駆け込んだという経緯だそうだ。
「幸いにも、あの館の心霊現象の噂はまだそこまで広まってない。あの辺りは人気のエリアだし、ちゃんと土地をまっさらにできれば、買い手はつくと思うよ」
「おっしゃるとおりですね。あの地縛霊……カノンさんの能力からしても、円満に立ち退いてもらうのが最優先だと思います。時間をかけてでも、じっくり交渉を続けますよ」
神代はそう言って立ち上がり、ジャケットを羽織りはじめた。
「あれ? またどっか出かけるん?」
「うん。ちょっと調べたいことがあってさ」
「なんやねん、出たり入ったり慌ただしいなあ。お前もたまには仕事サボれや。私が怠けてるのがバレてまうやんけ」
「それ、社長の前で言うセリフじゃないよ、更科さん」
社長は楽しそうに笑っている。
「大丈夫、僕ひとりで行ってくるよ」そう言って黙々と支度を始める神代。「大したことじゃないし、個人的に興味があるだけだから」
「カノンちゃんの件と関係する話か?」
神代は静かにうなずき、ファイルのページをめくりはじめる。
「この資料を読んだときから、ずっと引っ掛かってたんだよね」
私に見せてきたのは、例の除霊師が作成した報告書だった。
「ほら、報告書の最後のところ。『意識を失う直前に男の姿を目撃した。霊ではなく人間のように見えたが、正体は不明。地縛霊の能力による幻覚の可能性もある』……」
「……おい、それってもしかして、さっき話してた侵入者と同じヤツか?」
「可能性はあると思う。あの館には継続的に出入りしてる人間がいるのかもしれない」
「でも、あの館の鍵は、お前とオーナーしか持ってへんやんけ。そいつはどうやって侵入してるん?」
「うーん、そこは謎だね」呑気な声を出す神代。「扉や窓に、こじ開けられたような形跡はなかったもんね」
「鍵穴から、合鍵は作れへんのかな?」
「あの館の鍵は最新のタイプじゃないから、技術的には一応可能だよね。でも、現実的じゃないと思う。時間のかかる作業だし、かなりの専門知識が要る。建物の所有者以外からそんな依頼を受けても、請け負ってくれる業者はいないんじゃないかなあ」
腰に手を当てて首をかしげる神代に、私はしびれを切らして尋ねる。
「ほんで結局、お前は今から何を調べにいくねん?」
「今日、カノンさんに直接会って、ひとつ分かったことがあるんだ。何だと思う?」
神代はうっすらと笑みを浮かべていた。勿体ぶった態度に苛立ち、私は神代を睨みつけた。
「うっとうしいなあ。はよ言わんかい」
「それはね、彼女は意外と優しい性格だってこと」
そんなことかい、と拍子抜けしたが、私も驚いたのは事実だ。想像していたよりもずっと、話の通じそうな娘ではあった。生前から気の強い性格ではあるのだろうが、少なくとも、むやみに他人に悪意を振りまくような人間には見えない。
「あおいもそう思わなかった?」
「まあ、思ってたよりは、な。神代の話も真剣に聞いてくれてたし。礼儀正しいところもあった」
「そうでしょ? あの除霊師はともかく、不動産業者はカノンさんを攻撃しようとしたわけじゃなかった。そういう無抵抗の相手に対して、一方的に攻撃をするような子には思えないんだよね」
神代は先ほどのファイルをめくり、とあるページを見せてきた。
それは、家庭裁判所が実施した、美羽とカノンの相続人の捜索結果をまとめた資料だった。事前に聞いていたとおり、小清水美羽と小清水叶音には相続人がおらず、あの館も含めて、彼女らが持っている財産は、ほぼ全て国庫に帰属したらしいが……。
「預金の一部を、特別縁故者として譲り受けてる男がいる。素性は分からないけど、歳は小清水美羽さんに近いんだ。ほら、一個上」
相続人が一人もいない場合、被相続人と特に親交の深かった者がいれば、家庭裁判所の判断で相続財産を分与することがあると聞く。美羽の相続の際には、「三島雄太」という男が、二百万円分の預金を取得したらしい。
「誰やこいつ。家族でもないのに相続財産を分けてもらえるって、どんな関係だったんやろ?」
「この三島って人のことを、ちょっとだけ調べてみようと思ってるんだ。さっきの侵入者と関係があるかもしれない。カノンさんを切り崩す糸口になるかも」
「……遠回りすぎひん? 私はあんまりピンときてないんやけど」
「だからあおいを巻き込みたくなかったんだ。まだ個人的な違和感のレベルだから、気にしないで。何か分かったら報告するよ」
それだけ言うと、神代は鞄を手に取り、足早に事務所を後にした。
神代が出て行ったのを見届けると、社長が隣で大きな音を立てて緑茶を啜った。呑気にため息をついてから、「あっ」と何かを思い出した声を出す。
「そういえば、警官コンビに伝えたいことがあったんだ。神代くん、出て行っちゃったなあ」
社長は入り口の扉の方に目をやった。
「伝えたいことって?」
「二人にはもう一件、別の物件を担当してほしいんだよね……どう? いけそうかな?」
私と神代のペアは、現在、五軒の物件の交渉を並行して進めている。
普通の不動産業者には、私たちのように地縛霊と立退き交渉をしてくれる除霊師などいない。そのため、円満な明渡しを希望するオーナーは、さざなみ不動産の噂を聞きつけると、縋るように駆け込んでくるのだ。私と神代のコンビは、対外的にはさざなみ不動産のエースとして紹介されており、稼働率も社内で群を抜いて高い。
「しゃーないなあ。やったるわ」私はしぶしぶそう答えた。
たしかに、いま抱えている案件だけでも、かなりの業務量を強いられてはいる。とはいえ、一件増えるくらいなら大差はないだろう。何より、私の脳裏に神代の顔がチラついてしまった。
「よかった。神代くんにも今度聞いておくね」
「あいつの答えは聞くまでもないやろ」私は笑いながらそう言った。
「そうだね」と社長も同じように笑う。
神代が入社してから三年、彼が仕事を断るところはおろか、渋るような素振りすら見たことがない。張り切りすぎではないかと心配になることはあっても、あいつの仕事ぶりを物足りないと感じたことは一度もなかった。そんな神代の仕事への熱意を無視して、仕事を断るのは気が引ける。
「今度のはどんな内容なん?」
「普通の地縛霊案件だよ。都内の分譲マンションの立退き交渉。知り合いの不動産業者から紹介してもらったの。詳細は追って、二人が揃ってるときにでも」
「また厄介な案件、拾ってきたんちゃうやろな?」
「んーん、今度のは全然。その不動産業者が地縛霊絡みの物件に慣れてないから、ウチの力を借りたがってるだけ。幽霊屋敷の件に比べたら、相当楽だと思うよ」
社長はそうつぶやいてから、銀縁眼鏡のレンズを布で拭いて手入れしはじめる。
「それにしても、幽霊屋敷の少女は不思議な能力を持ってるねえ。あおい君と同じで、本人のもともとの特性が霊能力に反映されたパターンかな」
私の場合、霊能力が身に付いたのは小学生の頃だが、それ以前から耳だけはすこぶる良かった。
遠くの小さな音でも拾える地獄耳は、身体が成長するにつれて、霊の出す声や音をもキャッチするようになった。生まれつき音感がよく、聞こえた音を再現するのが得意だった私は、訓練により、自分の声や周囲の音を、直接他人に聴かせることができるようになった。
「声や音で相手を攻撃する霊はたまにいるけど、ここまで強力なのは初めて聞いたよ。生理的機能を狂わせるっていうけど、効果の種類や度合いは調節が可能なのかな? 声量と効果はどう関係してるんだろう? やっぱり音が大きいとダメージも大きくなるの? 他の曲を歌っても効果があるのかな? 彼女の声を録音したものを聴いても同じ効果が生じる? ……うーん、気になることばかりだよ。彼女に会える時がきたら、色々と調べさせてもらいたいねえ」
眼鏡のレンズを天井の電灯にかざしながら、社長はニヤリと口角を上げた。オタク特有の早口と、そのニヤケ面に、私は軽蔑の眼差しを浴びせる。
「そのツラ、ただの変態やで。まさか、あの館に侵入してる不審者って、あんたちゃうやろな?」
私がそう尋ねると、ははは、と社長は豪快に笑った。
「そうしたいのはやまやまだけどさあ。君たちの交渉の邪魔になるようなことはしないよ。その少女には、この件が解決したらゆっくりご挨拶させてもらうさ」
眼鏡の手入れが終わると、社長はまたオカルト雑誌をパラパラとめくりはじめた。
「最近、神代くんの様子はどう?」雑誌から目を離さずに尋ねてくる。
「調子良さそうやで。見てのとおり元気いっぱい仕事してはる」
「この地縛霊の子、母子家庭だったんだよね。唯一の肉親を失くして、行き場を失って彷徨ってる……。大丈夫かな、神代くん」
社長が何を心配しているのか、私にもすぐにピンときた。
「神代くんに担当させるのは、ちょっと酷だったかな?」
「大丈夫やろ。あいつももうこの仕事始めて三年やで。公私はちゃんと割り切ってるはずや」
そう言いつつ、私にも思うところはあった。これまで十件以上の交渉案件を神代と担当してきたが、この件は特に肩に力が入っている気がする。
「あんな細かい資料さ、普通、読み飛ばしちゃうよねえ。神代くん、きっと家でも読み込んでるんだと思う」
先ほどの相続人調査の資料や、除霊師の報告書のことだろう。
「張り切りすぎてないといいけど」
神代は、どの交渉案件においても、地縛霊側の事情に肩入れしすぎる傾向がある。私たちの顧客はあくまで不動産のオーナーだ。オーナーに最大限の利益をもたらすためには、ときに、地縛霊にとって酷な交渉をしなければならないこともある。
「大丈夫や。横で私が見てるから」自分に言い聞かせるように、私は言った。
「おお、頼もしいねえ。さすがは学生時代からの親友」
「そんなんちゃう。ただの大学の同級生や」
ふと、目を閉じてカノンの話に耳を傾ける、神代の横顔が頭をよぎった。
さらに私の脳裏に、全く同じ表情をした、学生時代の神代の姿が蘇る。
あの少女の話に耳を傾けながら、神代は何を想っていたのだろう。
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試し読みはここまでになります。
続きは書籍でお楽しみください。
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