第一章 幽霊屋敷の事情④
「脅しっていうより、アドバイスって捉えられへんかな? このスーツの兄ちゃんは、あんたのことを心配して言うてんねん」
私はパーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、カノンに顔を近づける。声のトーンを少し落として、ささやくように話す。
「私らみたいな、平和ボケしたポリシーの除霊師はごくごく少数や。除霊なんてのは普通、庭にできたハチの巣を駆除するくらいの感覚で、有無を言わさず済ませるもんなんやで。霊には人権なんて認められてない。前にオーナーが雇った除霊師はあんたに撃退されたみたいやけど、こっちが本腰を入れれば、あんたを除霊するのなんて簡単や」
カノンは神代に向かって、助けを求めるような目線を送った。神代はテーブルの隅の一点を見つめていたが、すぐに目線を前へ戻した。
「表現は少し過激でしたが……あおいの言っていることは本当です。優れた除霊師を手配するツテと、彼らへの報酬を払える経済力さえあれば、あなたを力ずくで除霊することは難しくないと思います。そうなれば、あなたという存在は……この世界から完全に消えてしまいます」
神代は悲しそうな目をしている。
当然ながら、これほど強力な地縛霊が相手となれば、確実に除霊が成功するとは限らない。何とか除霊に成功したとしても、彼女の能力からすれば、除霊師側も無傷では済まないだろう。
話し合いで円満に立ち退いてもらえるのであれば、我が社としてもそういったリスクを回避できる。オーナーからすれば、優秀な除霊師を何人も手配する手間と費用を削減できるというメリットもある。
そういう需要から、地縛霊との間で立退き交渉を行う、我々のような異質な除霊師が誕生したのだ。
「そうならないためにも、カノンさんには平和的に、ここを明け渡していただきたいのです」
「お二人の言ってることも……理解はしてます。この家はもう他の人のもので、色んな人に迷惑がかかってるってことも。でも……」
俯いていた彼女は、迷いを断ち切るように顔を上げた。
「私にとっては、この館を離れるくらいなら、消えてなくなった方がマシなんです」
「それって、何の非もない他人に迷惑をかけてでも、この家に居座りたいってことでええか?」
彼女のペースに持っていかれないよう、さらに揺さぶりをかけてみる。
「えらい自己中心的な考え方ちゃう? 解体業者の中には、あんたの歌の後遺症で、未だに体調不良を訴えてる奴もおんねんで」
「それは……それは……」困ったように言葉を詰まらせる。「そうなんですか。すみません、初めて知りました。私も、自分のこの力のことを、あまりよく分かっていないので……」
「よく分かってない力なら、なおさら気軽に振るったらあかんやろ。自分の都合だけで他人を攻撃するなんて、ヤクザとおんなじ考えやで」
あえて強めの口調で責め立てつつ、神代の脳内にメッセージを送信する。
――神代、フォローせえよ?
「ちょっとあおい、そういう言い方はよくないよ」
神代は真剣な表情で、私の言葉を遮った。私のメッセージを汲み取ったのかもしれないが、彼の性格上、本気で私を窘めている可能性もある。
「この館にやってきた解体業者や除霊師が、カノンさんに十分な説明をしないで、強引な手段をとってきたことは事実だと思う。カノンさんにとっては、侵入者から身を守る正当防衛的な意味合いもあったはず。これまでは、お互いに話し合う努力をしなかったから、行き違いが起きていた。それだけのことだよ」
カノンは不安そうな目で神代のことを見ていた。神代は彼女の方へ爽やかな笑顔を向ける。
「カノンさんのお気持ちはよく分かりました。今日のところはお暇しますね。もともと、ご挨拶だけのつもりでしたので」
神代はテーブルの上の名刺を回収して、名刺入れにしまい込む。霊は人間界の物体に触ることができないため、カノンに直接名刺を手渡すことはできない。
神代は名刺入れをジャケットの内ポケットに戻すと、併設されたキッチンの方を覗きはじめた。
「キッチンもいいデザインですね。広々としてて使いやすそうですし」
シンクやコンロのあたりをじろじろと観察している。
「こういう家ってほんと憧れちゃうなあ。僕はボロアパート暮らしが長かったから」
私たちが玄関まで歩いていくのを、カノンは緊張した面持ちで見送っていた。玄関で靴を履いている間、彼女が不安そうに尋ねてきた。
「……お二人は……また来るんですか?」
「そのつもりです。カノンさんともっとお話ししたいですから」
神代は靴紐を結びながら答える。
「……また来ても、私の気持ちは変わらないと思います。お二人の要望には応えられません」
「そこは、もう少し話してみないと分かりませんよ。次回はそんなに気を張らず、気楽にお話ししましょう。口うるさい親戚のおじさんくらいに思ってください」
「お二人の時間を無駄にするだけだと思います」
「全然気にしなくていいですよ。僕たち時給制なので」
神代は顔を上げ、今度はいたずらっぽく笑った。
「働いた分だけ給料が出るので。何ヶ月でも、何年でも通う覚悟です」
「何年って……それはさすがに困ります」
カノンはかすかにだが、初めて笑顔を見せた。
「覚悟した方がええでー。こいつはアホみたいにしつこいからな。ほんま、ストーカーの素質あると思うわ」
「僕の一番の取り柄は忍耐力だからね。粘り強さには定評があるんだ」と神代は胸を張る。
「いや、嫌味で言うたんやけど。ほんまにアホやな、お前」
靴紐を結び終わると、神代はびしっと背筋を伸ばした。
「それでは、今日はゆっくり休んでください。さっきの歌で、体力を消耗してると思いますので」
柔和な笑みを浮かべたまま、神代はお辞儀をした。
閉まりゆく玄関扉の隙間から、廊下で小さく頭を下げるカノンの姿が見えた。
***
神代と肩を並べて住宅地を歩く。私たちの身長には三十センチ以上の差があるので、正確には肩は並んでいない。
あの館から駅までの道沿いには、敷地の広い戸建ての住宅がずらりと並んでいた。
この地域は、ビジネスの中心地から電車で三十分程度という立地と、有名な高級住宅地に比べれば地価が低いという特徴から、不動産市場で根強い人気を誇っている。高級住宅街とまでは言わないまでも、所得の高い層が住まうエリアではあり、行き交う人たちの所作にもどこか気品が感じられた。
「ねえ、あおい。幽霊って手を洗うと思う?」
突然そう言って、神代は私を見下ろした。左手をズボンのポケットに入れ、ビジネスバッグは肩のあたりで掲げて持っている。
「何を言うてんねん。洗えるわけないやろ」私は笑いながら答える。「あいつらは人間界のモノには触れないんやから」
人間は生まれながらにして、霊的な要素と、物質的な要素を併せもつ。精神と肉体、と言い換えてもいい。通常、人が死ぬと、精神はその入れ物である肉体を失うため、この世界に留まることはできなくなってしまう。
ところが時おり、強い未練を持ったまま死んだ人間の、霊的な要素のみが、この世界に残留することがある。入れ物を失くした中身が独立して、霊体という即席の器を自ら作り出し、まるで人間のように振る舞うことがあるのだ。
我々が霊と呼ぶ存在は、そうやって生まれてくる。中でも、自分の居場所に強いこだわりを持つ霊を、除霊師たちの間では地縛霊と呼んでいる。
そして、霊は、霊的な要素を持っているもの――つまり、人間と霊にしか、干渉することができない。
「水には触れへんし、そもそも蛇口を捻ることすらできひんやん」
「そうだよね。でもね、シンクがちょっとだけ濡れてたんだ。あれは明らかに最近のものだった」
神代が帰り際、キッチンの様子を確かめていたのを思い出した。
「それとさ、あの家って全体的にホコリまみれだったでしょう?」
「せやな。床もソファーもホコリまみれやった。掃除しに来る人なんかおらんかったし、無理もないわな」
最後に訪れたベテランの除霊師が撃退されてから、既に数カ月が経過している。この館はその間、ブレーカーは上げっぱなし、掃除も全くできていない状態で、放置されてきたのだ。
「テーブルの上にもホコリが積もっててさ。あー、これ掃除したいなあって思いながら見てたんだよ」
「お前、交渉中にそんなこと考えてたん? 相変わらず綺麗好きやな」
「そしたらさ、テーブルの隅の方に、ホコリが拭われてる箇所があったんだ。あれって、誰かが手で触っちゃった跡じゃないかな。ホコリが手に付いちゃったから、キッチンで手を洗った、とか? ……これって、どう理解すればいいと思う?」
あの館の鍵を持っているのは、オーナーと神代の二人だけ。オーナーはあの地縛霊が現れてから一度もあの家に立ち入っていないし、神代もあの家を訪れたのは今日が初めてだ。
「誰か、あの館に出入りしてる第三者がおるってことか……?」
しかも、体の透けてない奴が。
自分でも答えを持っていなかったらしく、神代は微笑みながら肩をすくめた。
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