第一章 幽霊屋敷の事情③

『さざなみ不動産 資産管理部 除霊師 神代紘一』


 少女は遠巻きに神代の様子を見ていたが、やがてソファーを回り込み、しゃがんでその名刺を覗き込んだ。


「除霊師……っていうんですか?」少女は眉間に皺を寄せる。

「そうです。ご存じありませんか? 生まれつき強い霊感を持っていて、悪霊に対抗する能力を持っている人間を、そう呼ぶんです」

「おい、おい、神代!」私は名刺を拾い上げ、神代の目の前に突き付ける。


「こいつは何や!?」

「何って、名刺だよ? 見たまんま」

「それは分かっとるわ! 何を堂々と『除霊師』なんて書いてんねん、アホか! こんなんいつの間に作ったんや!?」

「いいでしょ、これ」神代は名刺を手に取り、満足そうに眺める。


「地縛霊の皆さんからしたら、除霊師って名乗られた方が話しやすいんじゃないかと思って。不動産業者って言われても、あんまりピンとこないでしょ?」

「落としてもうたら、どうすんねん! 除霊師の存在は、一般には知られてへんねんぞ!」

「大丈夫だよ、ゼッタイ落とさないから」神代は自信に満ちた顔でそう言った。


 さざなみ不動産の従業員は全員、普通の会社員同様、従業員としての名刺を支給されている。それは不動産のオーナーや他の不動産業者に渡すもので、もちろん「除霊師」などという怪しさ満載の肩書きは記載されていない。どうやら神代は、それとは別に、霊に渡す用の名刺を自前で作ったらしい。


「すみません、自己紹介に戻りますね」

 神代はローテーブルの上に名刺をもう一度置きなおした。


「僕たちは、この館の所有者から、ここの管理と売却を依頼されている不動産業者です。僕が神代で、こっちが……」

 神代が手で私の方を指し示す。


更科さらしなあおい。こいつと同じく除霊師や」

「二人とも同じさざなみ不動産の社員です。服装が違いすぎて驚かれたかもしれませんが」


 そう言って、スーツ姿の自分と、パーカー姿の私を交互に見ながら、にこやかに笑う。


「不動産業者の人が、何の用ですか」

 少女は警戒の色を隠さずに尋ねてくる。

「率直に申し上げますと、あなたには、このお館を引き払っていただきたいのです」

「……そうだと思いました。私を追い出しにきた、ってことですね」


「ご存知だとは思いますが、この館と敷地は現在、高橋宗司さんという方が所有しています。ところが、館を取り壊して土地を売却しようにも、取壊しになかなか着手できず、困っているとのことなんです。なんでも、解体業者が現況を調査しようとこの館を訪れるたびに、怪奇現象が起こってしまうんだとか」


「怪奇現象……ですか」

「心当たりがないとは言わせへんで、お嬢ちゃん」私は少女に鋭い視線を向ける。「あんたがその上手なお歌で、この館に立ち入った人間を攻撃してきたせいや。違うか?」


 少女は何も答えず、気まずそうに視線を逸らした。肯定しているのとほとんど変わらない反応だ。

「つまりあなたたちも、私を除霊しにきたってことですね。この前やってきた、着物のおじさんみたいに」


 少女は上目遣いで私たちの様子をうかがう。

 いいえ、と神代は即答して、穏やかな笑みを再び浮かべた。


「僕たちは、除霊師を名乗ってはいますが、除霊をすることはありません」

「……どういう意味ですか」

「僕たちが来た理由はただ一つ。あなたと話し合いをしにきたのです」


 ゆったりとしたペースで神代は続ける。

「どんな地縛霊にだって、事情があると思うんです。それぞれ正当な言い分や要望があるはず。だって、元人間ですから。道徳から大きく外れるようなことをするはずがない。それなのに、彼らの言葉に耳を傾けず、一方的に、はい除霊、はい退治というのは、人間側の傲慢だと思うんですよ」


 熱のこもった神代の言葉に、少女は半信半疑といった様子で耳を傾けていた。こうして会話をしている様子を見ると、彼女が生きているのではないかという錯覚を受ける。


 しかし、彼女の体はやはり半透明になっており、向こう側のソファーや壁が透けて見えている。足もとに目線を落とせば、彼女の足の裏は床に触れておらず、若干、宙に浮いている状態だ。霊は人間界のものに触れることができないため、地面を歩いたり、物を掴んだりすることはできない。


「地縛霊側の事情と、人間側の事情……特に不動産のオーナーの事情ですね。その二つを尊重し合って、折り合いをつけて円満にご退去いただく。それが弊社のポリシーです。あなたとは、そういう話し合いができるんじゃないかと思っています」


 少女は戸惑うように目を伏せる。視線の先にはテーブルに置かれた神代の名刺があった。


「すみません、ペラペラと一方的に喋っちゃって。差し支えなければ、あなたのお名前を教えていただけませんか?」

 神代が踏み込んだ質問をすると、少しためらう間があった後、少女はおもむろに口を開いた。


「……こ、小清水こしみずカノンです。叶える音と書いて、叶音かのん

 私と神代は目を見合わせる。見た目の年齢や服装の特徴もたしかに一致している。

「やはりそうでしたか……。あなたの身に起こったことは、僕たちもお聞きしています。本当に痛ましい事件でしたね」


 五年前に、この家で発生した強盗殺人事件。


 被害に遭ったのは、その数年前に一家の大黒柱を亡くし、この広い家に遺された母子だった。小清水美羽みわと、その娘の小清水叶音は、金品を強奪する目的でこの館に侵入した強盗犯に、二人揃って惨殺された。

 ここは、とカノンはおずおずと口を開いた。私たちが次の言葉を待っていると、ようやく言葉を続ける。


「ここは……私の住んでいた家です。生まれてからずっとこの家で育ちました……ここ以外に、私の居場所はありません」

 彼女は必死に私たちに訴えかけた。


「私にはもう、家族がいません。親はどっちも死んでしまったし、兄弟もいないんです。友達は少しはいたけど、幽霊の姿じゃ会いに行っても怖がらせるだけですし……。だからせめて、この家で生活させてくれませんか……? 寂しくても構いません。これからは、静かに、誰にも迷惑をかけないように暮らすので……」


 カノンが話している間、神代は目をつむっていた。

 じっくりと自分の心の中に染み込ませるように、目を優しく閉じたままうなずいている。神代は人の話を聞くとき、よくこういう風に目をつむる。


「お気持ちはよく分かります。しかし、人間界の土地や建物は、人間のルールで運用されています。もしもあなたが生前、自分の住む家に霊が棲みついて、嫌がらせを続けられたら、どう感じていたでしょうか。人間界のルールと、あなたのお気持ち……両方を上手く擦り合わせなければ、お互いが損をすることになります」


「でも……でも、私がここから動こうとしなければ、皆さんにはどうすることもできませんよね? 力ずくでというなら、私だって抵抗します」

 気の強い子だ、と私は感心した。


 霊としての力の強さは、精神の強さに比例する。彼女の能力を支えているのは、この強靭なメンタルだろう。


「僕たちは、あなたに危害を加えたくありません。だからこういうお願いをしているんです」

「それって、どういう意味ですか。……もしかして、脅しですか」

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