第一章 幽霊屋敷の事情①

 インターホンの音が、閑静な住宅街にこだまする。

 私はパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、隣に立つ男に向かって、苛立ちの視線を浴びせた。


「なあ、鳴らす意味ないやろ。鍵、持ってんねんから。とっととこの門開けて入ろうや」


 そう言ってポケットから取り出した鍵を、彼の顔の前に掲げる。神代紘一(かみしろこういち)は百八十センチ強の長身から、目線だけ動かして私の方を見下ろした。


「それはやめとこうよ。いきなりガチャって入ってくのは感じ悪いと思う。警察のガサ入れじゃないんだからさ」


 神代が決め込んだ濃紺の無地のスーツが、春の陽光をきらきらと照り返している。  

 季節はそろそろ夏に突入しつつあるというのに、見ているだけで暑苦しく感じる服装だ。私はうんざりした気分で、鍵を神代の手の中に押し込んだ。


「お前、お人好し過ぎんねん。無断で占拠してる奴に、そんな気ぃ遣う必要ないやろ。この館の管理権は私らにあんねんぞ」

「それはこっちの理屈でしょう」神代は穏やかな口調で言う。

「居座ってる側にも言い分はあるはず。まずは話を聞いてあげないと」


 神代の指がインターホンのボタンを押す。ピンポーンと乾いた電子音が再び響くが、やはり返事はない。もうええやろ、と私は鋭い視線を神代に向けた。


 そのとき、エンジン音を耳にして、私たちは同時に振り返った。頭の禿げ上がった中年の男が、高級セダンの運転席から降りてくるところだった。どこかで見たことのある顔だったので、記憶を辿るが、誰だか思い出せない。


 そこは空き家だよ、と男は言った。そのしわがれた声を聞いてようやく思い当たる。この館の隣の敷地に住んでいる男だ。


「五年くらい前に、住人が亡くなったんだ。今は誰も住んでない」

 私は、住宅地の中で寂しそうに佇む、その洋風の豪邸を見つめた。


 百坪を超える広々とした敷地を、可愛らしい薄オレンジ色の外塀が取り囲んでいる。鋳物で出来たゴージャスな門扉越しに、敷地の半分を占めるこざっぱりとした庭と、えんじ色の屋根をあしらった邸宅が見えていた。三角屋根から煙突が飛び出した二階建てで、小さいながらもお城のような風格をもった欧風住宅だ。


 男は何かに思い当たったらしく、ああ、と退屈そうな声を漏らした。私たちの方へ顔を近づけ、声をひそめる。


「もしかしてあんたらも、除霊師ってヤツなのかい?」

 その肩書きには似つかわしくない連中だと思ったのか、男は訝しげな目で私たちを観察してくる。


 私は耳が隠れるくらいのショートヘアをブラウンに染めており、ゆったりとした薄緑色のパーカーに、黒のスキニーパンツという格好。隣の神代は私とは対照的に、暑苦しいスーツ姿でビシッと決めている。端から見れば、あまりにも統一感のない二人組だ。怪しまれるのも無理はない。


 神代が面倒なことを口にする前に、私が質問に答えた。


「除霊師……って、何ですか、それ? 全然ちゃいますよ」少なくとも、表向きには。

「私ら、ここを管理してる小っちゃな不動産業者です。今日は、この建物の現況を確認しにきたんですわ」


「ふうん」と男は興味なげに相槌を打った。

「この前来た、胡散臭い男の仲間かと思ったよ。まあどっちにしろ、この家に関わるのはやめときな」


 会釈でこの場をやり過ごそうとした私をよそに、神代が長身を折り曲げて会話に入ってきた。


「それって、どういう意味です? 何か物騒な話でも?」

「ここはいわく付きでな」男は眉をひそめる。


「心霊現象が頻繁に起こってるらしい。実際に何人か、犠牲者も出てるんだ。近所じゃ、幽霊屋敷って呼ばれてる」

「それ、ここのオーナーからも聞きました。何でも、この館を解体しようとした工事業者の作業員が次々に倒れちゃったとか」


「それだけじゃない」男は眉をひそめて首を横に振った。


「除霊師を名乗ってた着物姿の男も、原因不明の病にかかっちまったらしい。誰も住んでないはずなのに、この館からは時おり少女の声が聞こえてくる。それを聞いた奴はみんなおかしくなっちまうんだと」


「あなたも実際にその声を?」神代は微笑みを浮かべている。


「いや、俺は聞いてない。幽霊を信じてない奴には、聞こえないようになってんじゃねえか?」


「一応、耳栓か何かしていった方がいいですかね」


 神代は冗談交じりに、耳のあたりを指すジェスチャーをする。禿げ頭の男は、ふんとつまらなそうに鼻を鳴らした。


「ご忠告ありがとうございます。僕たちも細心の注意を払って、調査にあたります」

 神代が深くお辞儀をしたのをきっかけに、男は不審そうな表情のまま車に乗り込み、走り去って行った。


「少女の声、か……」微笑みを崩さずに、神代はつぶやいた。「どう、あおい? 声は聞こえる?」


「さっきから探ってるけど、聞こえへんな。この距離じゃ、室内の音までは正確に拾われへん」


 私が顎で館の方を示すと、神代は「分かったよ。もう鳴らさないってば」と、先ほど手渡した鍵を取り出した。立派な門扉を開錠して、押し開ける。錆びついた蝶番がギイイと耳障りな音を立てた。


 門を押し開け、雑草の伸び切った庭を横目に、石畳のステップをわたる。広大な庭は、かつて綺麗な芝が一面に敷かれ、樹木や低木、華麗な花々で埋め尽くされていたらしいが、今では侘しい広場でしかない。


 庭を横断し、大きな木製の玄関扉の前までやってくる。神代が鍵を開けて取っ手を引くと、玄関扉は静かに開いた。館に立ち入ろうとした私は、神代の広い背中に激突する。彼は扉の少し手前で立ち止まっていた。


「お邪魔しまーす!」

 神代はそんな溌溂とした挨拶をし、お辞儀をしてから、玄関に足を踏み入れる。

「うるっさいなあ! 要らんやろ、そんな挨拶!」

「だから、何も言わずに入ってこられたら気分悪いでしょう。最低限のマナーだよ」


 玄関を入ると、奥へと廊下が伸びていた。扉がいくつか見え、二階へ登る階段も見える。天井や壁はクリーム色で統一され、床や階段はこげ茶色のフローリングだ。室内は電灯がついておらず、日がまだ高くないとはいえ、薄暗く感じた。

 靴を脱いで玄関に揃えている間も、私は、この館全体に充満する異様な空気を感じ取っていた。


――リビングの方から気配がする。

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