【増量試し読み】地縛霊側のご事情を ~さざなみ不動産は祓いません~

月並きら/富士見L文庫

序章 はじまりの事情

 

 和装に身を包んだその男は、真っ暗な廊下の隅で息を潜めていた。


「このレベルのがいるなんて、聞いてないぞ……」


 除霊師としてその名を挙げて二十年、これほど強力な地縛霊と対峙したのは数年ぶりだった。男の目的は既に、この霊を祓うことから、無事にこの館から逃げ延びることへと変わっていた。


 体が動かない。胸から腹にかけての部分が、まるで鉄の塊を呑み下したかのように重たくなっている。玄関は数メートル先に見えているのに、立ち上がることさえできない。


 屈みこんだまま気配を殺していると、またあの少女の歌声が聞こえてきた。この声を聞いてはいけない。分かってはいるものの、聴覚は自然とその奏でに惹きつけられてしまう。慌てて両耳を手で塞ぐが、指の隙間からこぼれるようにして、声はするりと侵入してきた。


 透きとおった声音にうっとり聞き入っているうちに、意識が遠のいていった。うたた寝をするような心地よい快楽の中へ、ゆっくりと落ちていく。


 ぼんやりと滲んでいく視界の端に、こちらへ近づいてくる人影が映った。

 少女ではない。透明でもなかった。


 そのくっきりとしたシルエットは、まるで――。

 

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