第35話 大人のプライド

「……小春クン」

聞いたこともないような低い声。口調はいつもの通りだが、まるで別人であるかのようにまとう空気が変わり、華月と小春の間に緊張感が走る。

「……それをどこで知った?」

「あの。実は予知で華月さんによく似た女の人の姿を見まして…もしかして、お姉さんとかいるのかなと思いまして」

「…ああ、そうか。そういうことか!いやぁ、脅かしてしまってすまないね」

「…へ?」

華月の表情がいつものものへと戻る。高鳴っていた小春の心臓の鼓動が、また静かなものへと変わった。


「あれはおそらく僕の"妹"だよ。妹は吸血鬼<ヴァンパイア>ではない普通の人間でね。もう10年は会っていないかな。まさかこの街に来ていたとはなぁ」

「その…それなんです、けど……」

「ん?どうした小春クン。長らく会っていない家族との再会があったのかもしれないんだぞ?どうしたそんなに言いづらい顔をして」

呑気に笑う華月を前に、真実を言うのは心が痛い。その純粋に喜ぶ様子を前に、小春のその気持ちはますます加速していってしまった。

「実は、事務所を燃やしたという予知の前に出たのが、その人の姿なんです」

「……なんだって?」

突如。見た事もないほどに顔を青くする華月。かつてないほどに、その顔には焦燥の色が浮かんでいた。


「いや、まさか…そんな。しかし、あいつはそんなことをするやつじゃ……、由良のやつが…そんな……」

「差し支えなければいいんですが、その妹さんというのはどういう方なのか、教えてくれませんか?」

「ん、ああ。取り乱してすまなかった。妹…由良はな、僕のただ一人だけいる妹だよ。僕が18で実家を出る前まではずっと一緒に暮らしていた。最後に会ったのは母の葬式だったかな。」

再び姿勢を正して、華月は話を続ける。

「まあただ一人の妹っていうこともあって、なかなかに可愛いやつだったよ。見た目の歳が僕を軽く追い越して、僕の方が娘に見えるくらいにまでなっても、それでも姉さんと呼んで慕ってくれていた。僕がこの仕事を始めると知っても応援してくれていたし、度々連絡も取っていたが…母の葬式を最後に、連絡が取れなくなった」


「だからどうしているかと思っていたんだが……まさかこの事務所を…信じられないが、小春クンの予知は基本的に本物なのだろう?」

「外れたことはないから…そうですね」

「全く。紬といい一哉といい、うちの事務所のやつらはどいつもこいつも何故家族と対立するかねと思っていたが。まさか僕までこうなるとはな。似たようなやつが惹かれ合うとは言われてるもんだが、運命のいたずらってやつは実在するのかもしれんね」

「?一哉くんもなんですか?」

突然出てきた新たな情報に、小春は思わず首をかしげる。

「そうだが?何せあいつは…いや、これは言わないでおこうか。まあ、誰にも隠したい事情ってやつは存在するものなんだ」

「へー……」

わざわざ詮索はしなかった。小春も正直、自分に両親がいないという事情はあまり人に話したくないものなのだ。


事務所のドアが開かれる。

「おはよう」

「ふぁ~~……」

いつも通りの無表情で挨拶をする一哉と、呑気に欠伸をする悠希の姿がそこにはあった。

「おっ、おはよう。噂をすれば一哉の登場ってわけじゃないか」

「わざわざ人について何の噂をしてたかは聞かないですけど、なんかいつもと雰囲気違いますね。依頼でも来たんですか?」

「ああ、今日依頼人が相談に来るところだよ。それと、小春クンが厄介な予知を見てしまったみたいでね。それについての相談もしている最中だ」

「厄介な予知?」


「…そっか。それは確かに厄介な予知ですね。しかも、それに所長の妹さんまで関わっていると」

「そういうわけだ。妹に久々に会えそうなのは嬉しいが、まさか放火犯としての再会とはな。気持ちに少し整理はついたが、こんなに嬉しくない再会になるなんて思わなかったよ」

「うちの事務所の人は家族と仲が悪いのがお決まりなんですか?」

「はは、その台詞僕もさっき言ったぞ」

ワケありが多いとはいえ、こうも家族と対立する人間が多いともなると、もしかして偶然ではないのでは?という考えが小春の頭によぎったが、わざわざ口を出すことでもないだろう。胸にしまっておくことにした。


「ところで悠希、さっきから眠そうだが君どうした」

「…ん~~~?昨日夜中3時まで遊んじゃってて。率直に言うと眠い……」

「そりゃそうだろういや大体察しはつくが。とにかく今日は依頼人が来るんだ。それまでにちゃんと目覚ましておくように」

「はーい。ふぁ……」

「まったく…困ったものだ。最近の若者はなどと言うつもりはないが、せめてもう少し意識というものをだな。変に真面目になり過ぎないのは悠希の長所ではあるがな」

小春は少し違和感を覚えた。華月の様子が、やはり少しだけおかしいのだ。

「あの…華月さん、もしかして。予知のことで…」

「気にしないでいい。別に君は悪くない。しいて言うなら取り乱している僕の問題だ」


「でも、やっぱりなんか今日の華月さん、いつもと違うので、もしかして色々気にしちゃってるのかなって」

「君の予知の情報がなければ由良についての話題が出ることもなかった。だから本当に気にしなくてもいい。あとな、大人っていうのはプライドを気にする生き物なんだ。だから、本当に気遣いは不要だ。しいて君にしてほしいことがあるとするなら……」

少しぎこちなく、華月は微笑みかけた。そして、そのまま言葉を続ける。

「もし僕がどんなことになったとしても、君たちだけは出来るだけ普段通りでいてくれ。それが君たちの今の仕事だ。勿論、これから来る依頼もちゃんとこなしてくれ。僕としては、君たちが僕のことで傷つくのは耐えられない」


「……はい」

小春はそう、一言だけ頷いた。出せる答えは一つだけだった。

「それにしても、本当にやることが増えたね。私達だけで何とか対処できるかな」

「全く何でこんなに重なるんだか。もう依頼断っちゃえばいいのに」

「そういうわけにもいかないでしょ。そしたら収入入ってこないじゃん」

「そっか。小春さんはそっちは死活問題だもんね」

「あはは……正直、私結構今月ピンチで……」

事務所の中に、間抜けなお腹の鳴る音が響いた。それが小春から発せられていることは、言うまでもなかった。


「そういえば小春、朝ごはん食べてなかったよね」

「あんなことがあった後に食欲なんて……」

「ん」

「何?」

「なんでツムツムがそれ知ってるの?」

「えっ、あっいやそれはその……」

こういう時だけ妙に鋭い悠希に、2人がちゃんと説明をするのに時間を要したのは、言うまでもなかった。

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