第34話 最悪の予知

「……ごぇっ、おぇっ、おぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」

目を覚ました小春は、すぐに手洗い場へと駆けこむことにした。一体自分の胃の中にどれだけの物が入っていたのか、想像がつかない程のものを、トイレの水の中にぶち撒ける。

まだ家の中は薄暗く、頼りない朝日が差し込むだけしか、光はなかった。紬だって、きっとまだ起きてきてはいないだろう。

ただ、そんなことを気にしている余裕はなかった。とにかく、あの異常な予知夢を何とか振り払おうと、予知夢によって起きた不快感からの嘔吐を何とか終えようと、小春はひたすらに身体を震わせる。


自分が死ぬだけならまだ良かった。

いや、それも全く良くはなかったが。ただ、あの血だまりの中で、首を切られて死んでいく中で、紬まで死んでいる上に、挙句その"遺体と対面した"。

前回の事件でも、探偵事務所の面々が死んでしまう予知は何度も見た。ただ、今回のショックはその比ではなかった。

紬が今までより、近しい存在になっているからだろうか。それとも、気づかないうちに先の襲撃事件で焦っていたのだろうか。


吐しゃ物をぶち撒けてしまったトイレを、嫌な匂いを我慢しながらなんとか小春は掃除した。

きっとそのうち紬も起きてくるだろうが、何度トイレを綺麗にしようとも、あの吐しゃ物の嫌な匂いが残っている気がして、ますます焦燥が募ってしまう。

手洗い場のドアを開けると、そこには紬が立っていた。

「紬さん!?わ、紬さんだ……良かった生きてる……」

「小春……?いきなり何を言い出すの……?」

目を丸くして驚く紬の姿に、小春はなんだか妙な感動を覚えた。先ほど見た、渇いた目で生気のない顔ではない、生きた紬の姿に、安心感を通り越したものを覚えてしまったのである。


「そっか……。それにしても大変なことになったね」

いずれこの予知をどうにかせねば、きっと大変なことになる。それでいて、しかも中川からの仕事まである。これは確かに、"大変なこと"だ。

「いや、小春がすっごく気分悪そうにしてる中、こんな話しててごめんね?」

「こっちこそ、朝から騒がせてごめんね…」

おそらく、過去最悪にして、最低の予知。小春の方は、一応は紬を気遣うような口ぶりをするものの、その心のうちは自分のことしか考える余裕がない。

「いや。それにしても…これ、ものすごく厄介というか。下手したらうちだけでどうにかなる問題を越えてないかな…?」

「どういうこと?」


「姉さんを襲撃した人物と、私たちを"これから"襲撃する人物。下手したら別人の可能性がある」

紬の一言に、小春は目を剥く。どういうことなのだろう。

「……また、思い出させるようなことを言っちゃうかもしれないけど、いいかな?」

「うん、大丈夫だよ」

「なら、小春を信じて話を進めようか。まず、姉さんの外傷だけど……」

紬の話によれば、奏の身体は発見された時は切り傷だけでなく、骨が折れていたような傷もあったのだという。一体中川が『修繕』の才能<ギフト>でどこまで直したのか、一心不乱になって才能<ギフト>を使ったため、正確な話まではわからなかったのだとか。

「姉さんは四肢切断はされていなかったし、出血もおそらく小春の見た予知よりは少ない。これを考えると、おそらく……」


「襲撃の方法が、違う……」

たまたま使っていた武器が違ったのかもしれない。奏に対しては傷をつけるのが目的だったが、自分たちに対しては殺すのが目的だったかもしれない。だが、色んな可能性を考えたとしても、結局は矛盾が発生して、紬の考えた方向が正しいんじゃないかと、小春はその結論にどうあっても辿り着いてしまう。

「襲撃犯を見つけつつ、自分たちの命を守るために動くしかないか……」

「理想はそうだよね、でも…」

流石に四肢切断なんてことをしてくる猟奇的な相手に、小春は立ち向かえる自信がなかった。この間対峙したあの男ですら、あの時は足が震えてまともに動けなかったし、今回は更に震えてしまうことだろう。

「出来れば直接対決を避けられるように動くしかないよね…。とりあえず、後で華月さんに相談してみるしかないか」

「そうだね……」

2人は襟を正しつつ、一緒に探偵事務所の建物へと脚を運んだ。


事務所前まで来たところで、また小春の視界が暗転する。

それは、紬と一緒に出掛けに行った日に見た、炎の予知。事務所が燃えてしまうという予知。

色々と重なり過ぎて、今や頭の隅に置いてしまっていた、あの予知だ。

内容は先刻見たものと変わらない。だが、その傍らに佇む人物の姿を発見する。

その姿は、何やら新島華月に似ていたような気がした。背は高く、おそらくは紬より少し高い程度だろうか。きっと、華月がそのまま歳をとったとしたらあの容姿になるだろうと思われる、50歳前後くらいの女性だ。老いながらも美しさを感じたその姿は、まるで魔女を思わせた。

その女性は、小春たちの方を見ると妖しく笑い、そして、視界は元に戻る。


「……小春?」

「今、見えた。放火犯らしき…人のこと!」

「放火犯……あっ、この間言ってた。事務所が燃えるっていうやつかな?」

「うん。すっかり忘れてたけど……」

あまりにも昨夜の予知が強烈すぎる。脳裏に焼き付いたそれは、事務所が焼けるというほどの一大事すら、頭の隅に置いてしまうようなものにしてしまっていた。


「おはようございまーす」

「うむ。おはよう。君たち来るの早いね。それに一緒にとは珍しい」

「えっと…実は……」

と言いかけたところで、紬が制止のためだろうか、ひっそりと、小さく袖を掴んだ。

「実は出勤中にたまたま会いまして。珍しいこともあるものですね」

「ふぅん……?まあ。そういうこともあるものだろうな」

少しいぶかしげに見る華月の姿をよそに、紬は小春の方に居直り、「静かにして」のジェスチャーを取る。


「実は朝からいきなり仕事のメッセージが来てだな……。紬、昨夜君の姉が襲撃されたそうじゃないか」

「はい、それは存じてます」

「その襲撃犯捜索の依頼が届いた。僕はこの依頼、どうするか迷っていてな。僕としては請けることに大いにメリットがあるとは思うが、こればっかりは一哉と悠希に意見を仰がないと話にならない」

「やっぱりそうだよね……。そうだ、一つ質問があるんですが」


「華月さんにお姉さんか妹さんって、いたりします?」

その質問をすると、華月の目がいつになく、鋭くなった気がした。

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