第29話 安住の地
壊れた扇風機と何度格闘しても、その扇風機が風を発することはなかった。
そういえば、朝につけた時は、ちょっと変な音が鳴っていたような…なんて回想をしていても、現実は全く変わらず。結局途方に暮れるしかなかった。
「はぁ~~~……どうしよう」
小春の住むアパートには、冷房なんて便利なものはついていない。つまり、扇風機の存在はまさに生命線だ。35度を越す炎天下、これがなければ耐えられるはずもない。少し遠くまでになるけれど、銀行まで行ってお金を下ろして、電気屋さんに行って新しい扇風機を…なんて考えていたところに、デバイスに連絡が来た。
紬からだ。メッセージアプリによる連絡で、一体何があったのだろうと思い、アプリを開いて確認することにした。
『私は今家に帰ったところだけど、小春は?』
『私はその 家に帰れたは帰れたんだけど……』
『だけど?』
『えっと 家の扇風機が壊れました』
『……ほんと?』
『ホント』
『そりゃ大変だね……冷房とかはついてないの?』
『うちの家に冷房なんてものはありません』
『なんというか よく生きてるね』
小春自身もそれは本当に思っていることだった。何なら、扇風機だけで耐えるのすら、ちょっと限界に近かった。本当なら、一秒でも早く冷房をつけて快適に涼しく暮らしたいのだ。ただ、お金がないという現実さえ何とかなれば。
『でも、それじゃ大変でしょ』
『正直今日ちゃんと寝れるか心配なくらい』
『だったらさ、うちの家来る?』
『いいの?』
『私一人暮らしだからさ それに小春泊めるスペースはあるから、泊まるくらいならいけるよ』
『すごく助かる ありがとう!』
と、会話を打ち切ろうとした瞬間、あることを思い出した。
『でも場所知らないから 住所送ってくれないかな?あと家の外観とか…』
『いいよ ちょっとだけ待ってね』
お出かけの予定はパーになり、家の扇風機は壊れた。立て続けに2度も不幸に襲われたのだが、小春にはまるでこれが、紬の家に合法的に遊びに行ける布石のようなものだったんじゃないかと思えるほどに、今は舞い上がっていた。
友達の家に遊びに行く。小学校、中学校と不幸体質の余波であまり友達のいなかった小春にとって、それは憧れのシチュエーションの一つだったのだ。
「あ。そういえば泊まりとか言ってたけど…もしかして着替えも持っていかなきゃいけないかな!?」
持っていく服を選ぼうと、クローゼットの中を物色する。
「部屋着も…これは子供っぽくてちょっと恥ずかしいかな。あ、そうだ。というか何かお礼した方がいいかな?お礼の品みたいなのも買いに行った方がいいかな?でもどこに買いに行ったら……」
だいぶ思考が飛び始めているところに、通知を知らせるデバイスの音が鳴り響く。
「ふぁい!!!!」
まるでデバイスに返事でもするかのように、よくわからない大声を上げてから、来た通知を確認する。
『これ、住所の場所と家の写真』
『ありがとうございますありがとうございますありがとうございます……!』
『そんなかしこまらなくても』
『あっそうでしたかすみませんでした!』
これ以上会話をしていたらどんな恥ずかしいことを言い出すか自分でわからないので、会話を打ち切って小春は準備を進めた。
「私の家来るの、そんなに嬉しいのかぁ……」
そんな小春の対応を不思議に思いながら、紬は家の中で彼女が来るのをずっと待ちわびていた。
さっきまでさんざん熱中症がどうなんて会話をしていたものだから、冷房どころか扇風機まで家にない彼女を心配しての発言だったのだが。
「それにしても、流石に家に泊まりに来る、とか言うのまではちょっと飛ばし過ぎたかなって思ったけど。親御さんの許可だって必要だろうに……」
小春は自分よりまだ年若い。きっと両親だって、すぐに外泊の許可を出してくれることはないだろう。彼女自身はすぐに会話を打ち切ってしまったが、そもそもそう考えれば本当に来てくれる保証はないのだ。
「そういえば、小春の親御さんってどんな人なのかな……」
家のインターフォンが押される。ピンポンという音が鳴るのは、紬にとってはなかなかに久々の出来事だ。
来客を確認した後、おそらく小春が到着してきたであろうということを確認してから、紬はドアを開けて、小春を出迎える。
「いらっしゃい」
「遅く……ぜぇ、はぁ……なりました……!!荷物とか……ぜーはー、選んでたら、その……!」
「いいから早く家上がって!!!あとその汗はやばい!シャワー!シャワー浴びて来て!!」
玄関の前に立つ小春は、明らかに息が上がっていた上に、全身汗だくだった。
「お見苦しいところをお見せしました……それにしても生き返るなぁ」
お風呂場から上がってきた小春は、さっそく部屋着に着替えてソファに座り、冷房のかかった部屋を堪能していた。
「また何でそんな急いできたの」
「紬さんのことあんまり待たせたくなくて…ダメだった?」
「いや、ダメだったとは言わないけど……。別に急がなくてもどうってことないし、その様子だと全力疾走してきてたでしょ」
それに荷物をまとめてきた時間なんかを考慮しても、明らかに速すぎる。おそらくは…相当な距離を走ってきたのだろうと、紬は推理した。
「その…急いでると全力疾走しちゃうクセがあって、つい」
「でもだからと言って炎天下を全力疾走はやめて。結構重たい荷物も背負ってたのに。というかそれ背負って歩けるのも相当だからね?」
あの時小春が背負っていたのは、かなり大きめのバッグだった。おそらく着替えなどの荷物もそこに入れてきたのだろう。
やっぱり、泊まりなどということを言ってしまったのは間違いだったんだろうか…?紬は少し、頭の痛くなる思いだった。
「私、友達の家にお泊りっていうのにちょっと憧れがあって…舞い上がっちゃった」
まあ、そう言われたら仕方ないかと、紬は先ほどまで思いを、そのまま呑み込むことにした。
「それにしても、ほんと生き返るなぁ……」
「部屋、冷やしておいたからね。普段は冷房つけないこともあるんだけど、今日は暑いでしょ?」
「うん。扇風機壊れた時はほんとどうしようかと思った……紬さんは私の命の恩人だよ……」
ここまで緩み切った顔の小春は、紬は見たことがなかった。今朝、『予知』を見た時の顔とは、まるで別人のようだった。その様子に、自分の顔まで緩んでしまいそうになる。
「そういえば、ここに来るのに親御さんに連絡はしたの?」
「あ、えっと…。それなんだけど」
「私、親。いなくって……」
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